白川優希さん (ピアノ) 才女の第2章、横浜から名古屋へ
1993年、広島県生まれ。小学2年生から横浜市育ち。
横浜市立南高等学校→桐朋学園大学卒業。
1 履歴
〇広島生まれ
生まれてから6歳まで広島で育ちました。自分では覚えていませんが、広島弁を話していたそうです。
幼稚園の時に仲良くしていた友達の事は、よく覚えています。
幼稚園年長の6歳で神奈川県厚木市、さらに小学2年生の時、横浜に引っ越しました。
〇横浜紹介
◦「横浜駅」
都内まで行かなくても、買えないものはほぼ無いくらい揃っています。
◦「みなとみらい」
夜景が綺麗です。
◦「YOKOHAMA AIR CABIN」
桜木町から「ワールド・ポーターズ」(複合商業施設)を繋ぐロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」はおススメです。
いつも並んでいて、価格がちょっとお高い(片道1000円・往復1800円)ので、敬遠していたのですが、地元だし試しに乗ってみたら、夕焼けがとても綺麗でした。
観覧車とはまた違ったアトラクションという感じです。
◦「山下公園」「ローズガーデン」
大学時代、毎週火曜日の朝、友達と横浜駅から山下公園を通って「ローズガーデン」までジョギングしていました。話しながらダラダラ走って、帰りにバラのアイス食べて帰るというプラマイゼロ会を実施していました。
◦「赤レンガ倉庫」
イベント会場になっていて、ビアフェスとかしています。
◦「野毛山動物園」
個人的に好きなスポットです。
確か孔雀とか放し飼いみたいになっていて間近で見られました。
◦「中華街」
混むのが分かっているので、あまり行かないのですが、食べ歩きは楽しいです。
◦「元町中華街」
静かで趣あるので好きです。
ジュエリーショップが沢山あり、彫金を学んでいた者(後述)としては、今はとても行きたいところです。
◦「戸塚さくらプラザ」
開館当初(正確には二年目からかな?)からお世話になっています。
ホールのスタンウェイのフルコンは、とても弾きやすく響きが良いピアノで、名だたるピアニストからの評判も高いです。
2 小学生時代
〇厚木 (1・2年生)
厚木時代は小学校二年生までだったので記憶が定かではありませんが、よく居残り勉強したり宿題を忘れたり、落とし物をしていたそうです。
花の蜜を吸ったり、漫画を読むのが好きでした。
〇横浜 (2年生以降)
低・中学年では「手芸クラブ」、高学年は「実験クラブ」に入部していたと記憶しています。
ミサンガを編んだり、ビーズで魚を作ったり、細々と手先を動かす作業が好きでした。それは今も続いています。
ピアノの練習も勉強もさほど熱心ではなく、飼っていたハムスターのイラストを描いたり、友だちと交換日記をする日々でした。
(一生ダラダラしていたいなー)と思っていたように思います。それは今も変わっていませんが(笑)。
3 ピアノ遍歴
〇広島
2歳頃からキーボードを弾いていて、習い始めたのは4歳からです。とても優しい先生だった事を覚えています。
初めての発表会は、「むすんでひらいて」(ルソー作曲)でした。
買ってもらった楽譜は、一通り全部譜読みしていました。
指が速く動いたので、とにかく速く弾くことが好き。楽しくピアノを弾いて、好きなときに練習していました。
この頃が、一番ピアノが好きだったかもしれません。
〇厚木
厚木では、ヤマハの個別レッスンに入りました。
ピアノを嫌いにならないように、母が「一番優しい先生にしてください」とお願いをして優しい先生に習い始めました。
特に上手くなりたいという欲もなかったので、全然練習しなかったように記憶しています。
〇はじめてのコンクール
小学4年生の時、ヤマハのグレード試験の審査員をしていた先生(元々習っていた先生の師匠)の勧めで、コンクールに出ることになりました。
コンクールがどういうものなのか何も分からなかったので、断る理由もなく挑戦することにしましたが、指の使い方から脱力の仕方を教わるなど、一気に本格的なレッスンになりました。
それまで毎日10分も練習しておらず、ピアノの先生とはお喋りしたり、四葉のクローバーを探しに道端でしゃがんだり、飼っているハムスターの話をして過ごしていた私にとって、世界がひっくり返ったような戸惑いがありました。
課題曲は 「スピード自動車(中田喜直作曲)」 でした。美しく弾けば、素晴らしい曲なのですが、当時の私の技量では、「プップー!ピピー!」といった効果音?のような和声が滑稽に聴こえてしまい、(コンクールの課題曲ってこんな感じなのかなぁ・・・)と複雑な心境でした。
一日30分も弾けば、かなり頑張ったという練習量でしたので、当然結果は伴いませんでした。
(もっと練習しなきゃいけなかったんだ!)と気がつき、周囲からの圧もあって、その後は毎日3時間くらいピアノを練習するようになりました。それでも短い方なのですが・・・成績は少しずつ良くなっていきました。
練習をすると親にも先生にも褒めてもらえるので、中学生くらいまでは「本気でピアノを沢山練習している人がこの世で一番偉い」と信じていました(笑)。
〇コンクールは過酷
コンクールは、あまりにもシビアでしんどい世界でした。
親や先生等周りを巻き込んで出場するので、プレッシャーが常にかかっていました。
出なくて済むなら出たくなかったです。本番前は緊張でお腹が痛くなるし、(習い事にしてはハードだな・・・)と思っていました。
コンクールって、とにかくみんな上手なんですよね。負けたくない気持ちもありましたが、難しい闘いでした。
なぜなら、得点のように目に見える形で評価されるわけではないからです。どこを直せば予選通過するのか、優勝出来るのか、正直言って今も分かりません。
個人戦なので、支え合える同じ年齢の仲間がいれば、また少し違ったのかもしれませんが。
夏と冬に一つずつコンクールに出ていたので、夏休みも冬休みも実質ありませんでした。コンクール前は、日々5時間から8時間くらい練習していました。(これでも少ない方ですが...)
休みの日は、ほとんど家で練習をしていました。
大変なことも多くあり、何度も泣きましたが、コンクールに出ていなかったら音大に入っていなかったでしょう。
目標があったからこそ、普通の習い事の「先」を見ることができた気がします。
〇もっと遊びたかった!
この頃は、あまり友だちとも遊べなくなって、切ない想いもしていました。
小学生時代に、周りからの遊びを断って練習をするというのは難しいことでした。
友達に誘われたら遊びたいし、人気のあるテレビも見たかったです。
実際には、たまにはテレビも見ていたし、友達とも遊んでいました。
仲良しの友達と、学校の帰り道、家への分かれ道にあった桜の木の下でよく立ち話をしました。クラスの話やその時編んでいたミサンガの進み具合、ハムスターの話をする時間がとても楽しかったです。
お盆の一週間は、毎年福岡の祖父母 (両親とも福岡出身です) の家に遊びに行くので、子供らしい夏休みの楽しい思い出もありました。
でも、もっと遊びたかったんです(笑)。
学校から家に帰るとお菓子を食べて、17時から20時まで練習しました。
ピアノ以外の時間は、ずっと好きなゲームしていました。
外で遊ぶと、足は遅いし転んだりして良い思いをしないので、ビーズで遊んだり、ポケモンやピクミンのゲームをしたりと、インドア中心の小学生でした。
〇練習について
練習は、正直言ってつまらなかったです。
考えながら弾くというよりは、指を動かして楽譜にある音符を弾く。それだけでした。今はもう少し考えながら弾いていますが(笑)。
どうやって楽しく練習するか、ということをいつも考えていました。ゲームみたいに、練習をしたらメモ用紙に青い蛍光ペンで経験値を塗ったり、レベルを作って楽しく練習出来るよう様々な工夫をしました。
練習というものは、「音楽を考える」作業なので、的外れだったようにも思いますが、その後の人生で、単調な作業をする時にとても役立ちました。
4 中学生時代
〇部活を断念
中学生になって、部活では吹奏楽部に入って、クラリネットを吹きたいと思っていました。音楽仲間を作りたかったのです。
体験入部にも行って、綺麗に音が出たので、吹奏楽部の先輩に「向いているよ」と言われて良い気になっていたのですが、放課後「ピアノの練習」と「部活」と「勉強」を頑張るというのは至難の業で、結局ピアノの練習を優先するため、入部を断念しました。
毎日皆が部活をしている時間に帰らなければならないので、それが辛かったです。
帰る際に自分の靴を取ろうとクラスの下駄箱を見ると、ほとんどの靴が残っていて、グラウンドで「1,2,3,4!」という大きな声が聞こえたり、ユニフォーム姿の同級生とすれ違うと、(自分も学校に残りたいな・・・)と切なかったです。
その分沢山吹奏楽部の子と仲良くなろうと思い、意味もなく音楽室に残って、ピアノを練習してみたりしました。
〇友達のこと
友達は、バレーボール部とバスケ部の子と仲が良かったです。
私がよくバレーボール部の子と一緒にいたので、私もバレー部と思っていたクラスメイトもいたようです。
毎週月曜日は、バスケ部の友達と一緒に帰るのを楽しみにしていました。
その子は絵がとても上手くて、勉強も頑張っていたので、帰り道には「一緒に頑張ろう」とテストの点を競ったり、将来の夢の話をしました。その子は絵で何かするのが夢で、私は(ピアニストかなぁ・・・)と言っていました。
彼女は美大へ進学して現在デザインの仕事をしており、私はピアノを弾いています。
そういうのって、なんかすごいですよね!
〇勉強に励む
家に帰っても一人だし、ピアノもつまんなかったので、勉強をしました。
なぜ勉強をしようと思ったのかというと、吹奏楽部の体験入部の時に先輩が、「一年生の前期は楽勝だよ。頑張れば誰だってオール5を取れる」と言ったのを鵜呑みにしたからです。
また、たまたまその日に、サクセスストーリーが書いてある教材勧誘の漫画を読み、(勉強をしたら友達も出来て人生が充実するんだ!)と信じてしまったのです。
「やることもないし、勉強でもしよう」って勉強したら、成績が良くなりました。そのせいで勉強が出来る子だって勘違いされて、志望校を決める時にかなり苦労することになります。
地頭が良いわけではないので、受験勉強は大変でしたし、勉強しても、サクセスストーリー漫画のような充実感は得られず、当時は詐欺にあったように落胆しました。
〇受験一件
中学生時代は、それなりに楽しく過ごしていたと思いますが、「高校受験の不安」「コンクールの不安」等・・・ネガティブな数年間だった気がします。
前期試験の前日にピアノの発表会があったり、後期試験終わってもコンクールが控えていたり、ピアノと勉強も両立することは。とても難しかったです。
ピアノは毎日3時間くらい。そこまで沢山弾いてはいないですが、自分ではは頑張っている実感がありました。
17時から20時まではピアノを弾いて、それ以外の時間は(ラジオを聴きながらですが)勉強をしました。
進路について、「普通科高校か音楽高校か」周囲の意見が割れ、迷いましたが、普通科高校に進むことにしました。
受験勉強は大変でしたが、当時通っていた塾の先生に手厚くフォローしていただき、第一志望に合格することができました。
受験前には、お守りや飴が入ったポーチをくださったり、卒業後も出世祝いにとネックレスをくださったりと、とてもお世話になりました。
5 高校時代 横浜市立南高等学校
〇部活動
中学では帰宅部で寂しい思いをしたので、その反動で高校では「軽音楽部」と「書道部」2つ入りました。軽音楽部では、バンドを二個掛け持ちしたりして「部活」を取り戻していったのです。
部活に入ると、やっぱりそれはもう楽しかったです。19時まで学校に居られるのもワクワクしました。みんなと一緒に学校に残ると言うことが嬉しかったです。
コンビニに行ってチキンを食べる事も出来たし、書道室から出られるベランダからサッカー部やハンドボール部の練習の様子を見たり、廊下で練習していた吹奏楽部の子と少しお喋りしたり・・・中学の時にできなかった部活体験を一気に取り戻した感覚がありました。
特に軽音楽部はとても楽しかったです。練習中一人じゃない事が心から嬉しかったです。
友達と、ほぼ毎日のようにマック行ってカラオケに行ってずっと話していました。
何を話していたのかは覚えていませんが、同じタイミングでピアスの穴を開けたりと、充実した三年間でした。
〇練習嫌い
高校生活の充実と引き換えに失われたものがあります。ピアノの練習時間です。
毎日心から楽しかったのですが、ピアノへの興味はほぼ失われました。将来はネイリストになりたいと思って資料を集めたり、友達にネイルをしたり、専門学校を調べていました。
ほぼ練習しなくなって、漫画を読みながら練習したり、当時好きだったロックバンドの音源を聴きながら片手で練習していました。
ピアノを練習したくないから、週に二日くらいは学校から家までバスで20分で着くところを音楽を聴きながら二時間かけて歩いて帰ったりしていました。
コンクールなんか出てもつまらないし、どこをどう直せば良いのかも分からないし。今まで費やしてきた時間を考えるともったいないから続けているようで、(辞めたいな・・・)と考えました。
実際何回か、ピアノの先生に「辞めたいです」と言いに行きました。
でも、ありがたいことに「あなたは、本当はピアノが好きなのよ」と言って熱心に引き留めてくれました。
確かに練習は嫌いでも、ピアノは嫌いではなく、ピアノを弾くことは自分の個性の発露ということは感じており、「完全に辞める事はないだろうな・・・」と思っていました。
そして音楽大学を目指すことに決めました。
〇桐朋一本で勝負
どこの音大を受験するのかは、ピアノの先生が決めました。先生の出身校で、受験は桐朋一本で受けるように言われました。
「滑り止めにどこか受けたいんですけど」と相談しましたが、「必要ない」と言われました。
「東京芸大も受けてみたい」と言ってみたら、「それはあなたの心がけでは難しい、準備も全然間に合わないし、系列が違う」みたいな感じの説明を受け、正直よくわかりませんでしたが、色々あるんだなーと思いました。
ソルフェージュと楽典が苦手だったので、(筆記の方が間に合うかな?)と いう焦りはあった気がします。
滑り止めもなく、桐朋一本だったので不安は常にありました。
6 大学時代 桐朋学園大学
〇大学紹介
音楽的なレベルが高いです。
真剣に音楽を学ぶ姿勢にはいつも胸を打たれます。
〇大学時代の音楽活動
実はストリートライブをよくしていました。
「S-percyem(エス・パーチェム)」というユニットを組んでライブ活動をしていました。
はじめはインストバンド的な形で活動していて、二年目から歌とピアノでユニットを組んで作曲や編曲をしました。
この時から応援してくださっている方が、今もたまにTwitterなどSNSでリプを送ってくださり、感慨深いものがあります。
〇エピソード
大学時代は、ほとんどピアノの練習をしていませんでした。
コンクールに毎年出ていたのが大学に入るとなくなって、人生を楽しみたい気持ちになったからです。
バイトをして高校の時の友だちと遊びに行って、たまにピアノを弾いて。人生を思う存分楽しめた実感がありました。
音楽大学は、門下に入る(弟子入りのようなもの)のですが、普通大学でいう所のゼミみたいな感じかもしれません。
毎週レッスンがあって、技術を磨きます。テストが前期後期で年に二回あってコンクールのように審査され成績が決まるシステムになっています。
私は一年目からよく怒られていました。練習していないので当たり前なのですが、「頼むから練習していただけませんか!」と何度も怒られて、練習して、それでも何だか怒られて(笑)の繰り返しでした。
師匠に「才能がないなら、コスパ悪いからピアノ辞めます」と言いに行って戸惑わせてしまったり、「今の言い方がすごく傷ついたので、ピアノもう弾きたくないです」と泣いたりして厄介な学生でした。本当に申し訳なかったです。
〇師の言葉
大学四年生の夏、師匠に「桐朋はプロ育成学校なの!プロのピアニストになる人が入る学校なの!」と諭されて、初めてスイッチが入り、そこから練習を本気で頑張り始めました。
通学に往復4時間かかる上に、実家では夜の19:00までしか練習ができなかったので、頭の中で練習をしたりキーボードで片手だけ練習したり、工夫を凝らしました。
その甲斐あって卒業試験の帰り道、師匠から「あなたの演奏を聴きました。あなたをここまで育てられたことがとても嬉しかった。あなたはピアノを勉強し続けてほしい」という電話をいただき、言葉をそのまま鵜呑みにして大喜び。
「勉強を続けるなら演奏活動はし続けないと!」と仕事をするようになり、ピアニストになりました。
後に師匠に聞いたところでは、「これからもピアノは忘れずにたまに弾いてね」という意味だったらしいですが(笑)。
7 ピアノ・トーク
〇ピアノの魅力
時代や言葉の壁を超えて楽しめる所です。
ピアノが弾けるということは、人生を豊かにします。マイナスな感情さえも、音楽にすることができます。
ピアノを弾いている時、とても美しい音が奏でられる時があって、その時「人間として生まれて良かったな」と思えるのです。
〇得意・好きな演目
あっけらかんと明るい音楽が得意です。
そういう点で、モーツァルトは相性が良いなと思います。
〇難しいこと
暗い音楽が苦手です。シリアスな場面、真剣でいなければならない場面は毎回苦労します。
手が大きくなく、オクターブギリギリなので手が開く曲も沢山の練習時間を要します。
〇心がけていること
どんな時でも美しくありたいです。
美しくいるための努力を惜しまず、いつでも丁寧に練習します。
〇印象深いコンサート
小学生くらいの時に、アルゲリッチのコンサートを聴いたことがあって、その音色を今でも忘れていません。
圧倒的な美しさであったことを覚えています。
〇メディア関連の仕事
やはりメディア関連は特殊だなと思います。
テレビカメラが手元に何台もセットされており、スタッフ20-25名程に至近距離で囲まれた中演奏するので心臓が壊れてしまいそうなくらい緊張します。冷や汗もかきます。
・NHK BSプレミアム 特別ドラマ「黒蜥蜴 ~BLACK LIZARD」(2019)ピアノ演奏。(ピアノ演技指導・吹き替え・監修)
・テレビ朝日系列「はじめまして、愛しています。」(2016)ピアノ監修。(ピアノ演技指導・吹き替え)
・テレビ朝日系列「『警部補・碓氷弘一シリーズ』~殺しのエチュード~」(2017)ピアノ監修。(ピアノ演技指導・吹き替え)
・テレビ朝日系列「警部補・碓氷弘一~マインド~」(2018)ピアノ演奏。(ピアノ演技指導・吹き替え)
・フジテレビ系列『世にも奇妙な物語「シンクロニシティ」(2016)』ピアノ協力(自身出演・演奏)。
・日本テレビ系列「金曜ロードショー『さよならドビュッシー』(2016)」ピアノ協力。
(ピアノ演技指導・吹き替え)
・日本テレビ系列「消しゴムをくれた女子を好きになった。」(2022)ピアノ編曲・演奏。
ラジオ出演
・FMうらやす 『セラピストユーのなにをユーラジオ』
・エフエムとつか 『Evening station』「今こそクラシック!」コーナー
〇恩師たち
音楽大学のときに教えてくださった川島伸達先生。
いつも勉強を怠らず、新しいことに挑戦する姿勢は本当に尊敬しています。生徒想いの所も身に染みて感じています。
大学卒業後もレッスンに通い、コンサート前は必ず一度は聴いて頂いていました。
今は私が名古屋に引っ越してしまったので、中々お会いすることが叶わず寂しく思います。先生にいつ聴いていただいても良いように、きっちり仕上げていきたいです。
桐朋に入学するまでの道を示してくださった井上節子先生。
井上先生に習っていた時の楽譜を見ると、細かくcresc. decresc.書いてあり、音楽の筋道を丁寧に教えてくださっていたことが分かります。
今でも気にかけてくださる大好きな先生です。
8 音楽家評
〇J.S.バッハ
J.S.バッハは小さい頃から研究熱心でした。前の世代の作曲家の作品を写譜したり、違う国の作曲家の技術を真似したり。
バッハのパズルのように組み合わさった芸術は、細かく見れば見るほど面白いです。
ただテーマを横流しに作っているわけではなく、複雑な転調やテーマの拡大、逆配置など非常に凝っています。
職人としてのきめ細やかな技術は見習いたいです。
〇モーツァルト
モーツァルトのあっけらかんとした明るさは、実は底なしの暗さからきています。
当時は自分の感情を音楽に乗せることはタブーとされていました。当時の流行は貴族の注文にあわせて量産する音楽です。
モーツァルトの素晴らしい所は、自分の作りたいものよりも注文の中でこだわりを入れることができる部分です。
こだわりだけでは仕事になりません。自分だけのこだわりは大事にしながら、注文に忠実でいること、中々出来る人は少ないのではないでしょうか。
〇ベートーヴェン
ベートーヴェンは、複数のパトロン達に「ベートーヴェンに年金を保証します」という契約書を書かせました。
音楽家はいつ仕事が失われるか分からないため、安定した収入を持つ事が難しいです。その中で、年金保証させる策略家な部分は、作品にもよく表れていると思います。
短いモチーフを建築物のように組み立てて作る音楽は、計算された美しさがあります。
生活に困らないように、お金のことを考えることは音楽家に必要な部分だと学びました。
〇ブラームス
ブラームスは生涯に四曲しか交響曲を書いていません。
ベートーヴェンが亡くなった後、「誰がベートーヴェンの第九を超えられるのだ?」と音楽家達は常にプレッシャーを抱えて生きていくことになりました。そんな中、ブラームスは徹底的に当時より前の作曲家の研究をして交響曲に挑みます。
完璧主義で、自分が気に入らない曲はどんどん燃やしてしまいました。
そんなブラームスが作った交響曲は今でも演奏会の定番でベートーヴェンに並ぶ名曲です。
勉強熱心な部分、諦めない心は尊敬に値します。
9 プライベート・トーク
〇趣味
ヨガ。手先が器用なので、彫金、手芸など。
2週間以上続いた趣味は、一旦プロを目指すと決めています。
彫金は職人に弟子入りをして、基本の甲丸リングと平打ちリングを徹底的に学びました。
ヨガは、「全米ヨガアライアンスRYT200」という資格を取得しています。
〇ファッション
私服は、その時着たいものを着ています。似合うか似合わないかよりも、その時好きかどうかを大事にしています。
ステージ衣装は、ピアノが黒いので反射しても綺麗な色を選ぶよう心がけています。
〇スポーツ
水泳が好きです。たまに泳ぎに行きたいですが、気軽に泳げる場所って少ないですよね。調子良い時期は2kmくらい泳いでいました。
観戦は、大抵のものは見出すとずっと見ちゃいますね。最近だとサッカー、野球、ハンドボール、テニス等。もっと色々なスポーツを観戦してみたいです。
〇アルバイト
携帯電話会社のキャンペーンガールをしていました。大きな声で呼び込みをするので心臓が強くなった気がします。
キーボードを持ち込んで、ストリートでピアノを弾いて呼び込みをした時もあります。
フィリップモリスのナイトキャンペーンや、フリスクガール、展示会などでも働いていました。
一番短かったのは飲食店です。グラスを運んだときに、一日に10個割って申し訳ない、と言って辞めました。
(楽譜配信サイトのトップ画像モデルをしました)
〇好きな食べ物・お酒
好きな食べ物はオムライス、ハンバーグ、親子丼です。てんぷら、お寿司、焼肉も好きです。
お酒はビール、ハイボール、ジントニックなど。
最近はハーブティーに凝っています。自分でハーブを組み合わせると味に変化をつけられるので面白いです。
〇テーマパーク
ディズニーランドよりディズニーシー派ですが、最近ずっと行けてないのでどっちも行きたいです。
一時期デイジーが大好きで、サインを貰ったこともあります。
〇国内旅行
両親が福岡出身なので、毎年夏(大学生まで)は福岡に行くのが楽しみでした。 福岡は本当に何食べても美味しいです。
特におすすめはイカのお造りです。透明で美味しいですよ。
明太子も大好きです。八女の和紅茶もおすすめです。
それから一年前から名古屋に引っ越しまして、せっかく名古屋にいるので沢山国内旅行したいです。
〇日本史
作曲家を学ぶ中で、どのあたりの時代なのか、日本史でも考えるようにしています。あまり明るくないので、今後学んでいきたい分野です。
10 大学卒業後の足跡と現在の音楽活動
〇オペラ紙芝居
オペラ紙芝居も、まだ続けています。
(※オペラ紙芝居については、
https://ameblo.jp/tarsuke89-shiraito/entry-12357915039.html?frm=theme
をご参照ください)
2021年の夏に、新作のオペラ紙芝居「こうもり」を発表しました。
広い部屋で実施した為、装飾が大変でした。
オペラというものは、舞台セットや衣装までがセットだと考えています。予算に限りがあったので出来る範囲ではありましたが、来ていただくお客様に少しでもオペラっぽい雰囲気を味わって頂きたく様々な工夫を凝らしました。
全体を飾り付けるために、取っておいた楽譜のミスプリントや、もう弾かないであろう本番の楽譜達を丸く切り、ミシンで縫い付けてカーテンを作りました。
(何かお土産があると可愛いかも)と思い、楽譜で薔薇を作りました。
「こうもり」の劇中に乾杯をするシーンがあり、リトミック的な要素も取り入れて会場全体で盛り上がれるよう、楽譜でワイングラスを作って配りました。
また、少しでも「お祭り感」を出したいと思い、90×90cmの絵を描いて飾りました。
予算に限りがあったため、額縁は買えず、100円均一に売っている発泡スチロールを組み合わせてキャンバスから手作りしました。
絵は、それぞれこうもりに出てくる音楽の、私の頭の中にあるイメージを具現化したものです。
音楽を奏でる時にいつもではありませんが、アニメーションのようにイメージが表れる事があって、それをそのまま描きました。
オペラは歌とオーケストラで奏でるものですが、一人で実施するために全ての曲をピアノソロに編曲しました。
序曲などはピアノソロ用の楽譜がありましたが、アリアにはなかったのでそれぞれ編曲して楽譜も作りました。
今回はイラストも自分で描きました。とても大変でしたが、やり切ったので公演後は清々しい気分でした。
イラストのLINEスタンプもあるので、是非ご利用ください。
[かわいい♡オペラスタンプ]
https://line.me/S/sticker/15911905/lang=ja&utm_source=gnsh_stickerDetail
〇テレビドラマの音楽監修
直近ですと、日本テレビ系列「消しゴムをくれた女子を好きになった。」の劇中 BGMをピアノ編曲しました。
送られてきた音源を一度楽譜に落としてから、ピアノに崩しました。
テレビドラマで使用されることを想定した依頼を受けたときは、どこをカットしてもいいように、どんなシーンでも合うように考えて編曲します。
恋愛的な部分が出てくるドラマかな?と思ったので、気持ちが高揚するような場面で合う音作りや、少し切ない部分でも使えるように編曲しました。
大抵家で演奏・録音して、提出しています。
監督が役者への演技指導が必要と判断した場合は、レッスンも引き受けています。
レッスンでは、初めの2,3小節は弾けるように教えます。
あとは主に弾き方について、どのように映り込んでも自然であるように指導しています。
〇作曲
この数ヶ月は、宅録がメインでした。
レコード会社からメロディが楽譜で送られてくるので、そのメロディをピアノソロに作り替えて、曲を膨らませ10分から15分くらいの曲にして演奏し、録音、編集して送り返します。
この音源は、病院や本屋さん、エレベーター内などでBGMとして流れているようで、街のどこかで私が演奏している音源を聴くことが出来るかもしれません。
一度だけ本屋さんで「あれ、もしかして私の演奏かな?」と思ったことがありましたが、どんな風に弾いたか覚えておらず、定かではありません、
数ヶ月で20曲近く送ったので、いつかどこかで流れていると思います。
〇コンサート
コンサートホールでの活動では、二つのバイオリンとピアノの演奏会を実施しました。
戸塚さくらプラザでの公演で、上品なプログラムになったと思います。
中でもプログラムの、サン=サーンス作曲「タランテラOp.6」は私が以前目覚まし時計として設定していた曲で、いつかどうしても弾きたいと思っていたため、小さい夢が叶い満足できる本番となりました。
もっと室内楽に挑戦してみたいと思うくらい楽しかったです。
〇執筆
「音楽の隠し味」という冊子を作りました。
より多くの方が、この冊子を読んでクラシック音楽家の作品をより楽しく聴けるよう、以下 URLにて公開しています。
http://shiraty.com/commentary/%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%ae%e9%9a%a0%e3%81%97%e5%91%b3
〇名古屋
2022年10月、名古屋に転居しました。
名古屋での演奏活動はまださほど増えていませんが、レストラン「VITRA(ヴィトラ)ナゴヤ」にて、たまに演奏をしています。
2022年12月23日から26日の4か日、クリスマスコンサートを実施しまし た。クリスマスなので、関連性の高い名曲を25曲(12月25日なので)聴音(耳コピ)し、楽譜に落としてピアノソロに編曲、練習しました。
一ヶ月で取り組んだので、かなりハードでした。
〇今後の音楽活動
2023年4月22日、11:30から名古屋の「宗次ホール」で、バイオリンとピアノでコンサートをします。
ロマンスをテーマにプログラムを組み、愛を感じられるような作品を集めまし た。
プログラムは、J.S.バッハ/グノーのアヴェ・マリア、シューマンのロマンス Op94-2、トロイメライ、チャイコフスキーのメロディの他、様々な愛にまつわる曲を弾きます。是非いらしてください。
〇CD制作
また、今後はCDを作ることに専念したいと考えています。
クラシックのピアノソロCDはもちろん、クリスマス曲やアニメのピアノソロ版などレコーディング活動を頑張りたいです。
https://www.tunecore.co.jp/artists/shiraty?lang=ja
また、楽譜販売も行っています。数を増やせるよう活動を続けるつもりです。
https://store.piascore.com/scores/160548
◎SNS
ホームページ→ http://shiraty.com/
LINE登録を是非よろしくお願いします。 LINEで今後の演奏会のお知らせを行っています。
LINE→ @704qdads
Instagram @_shiraty Twitter @_shiraty
YouTube①ピアノソロの音源です。
https://youtube.com/@shiratyskyblue
YouTube②日々の私生活や練習風景はこちらに毎日投稿しています。 https://youtube.com/@user-rs2ke4xe6d
〇取材を終えて
白川優希さん。2018年以来5年ぶり2度目の登場です。前回聞き足りなかったことを、ガッツリお聞きしました。
しかし、 引き出しが多い魅力的な方なので、まだ聞き足りない気がしています。
横浜が似合いすぎる白川さんが、名古屋へ転居。第二章の開始です。