カモワンタロット交換日記 -5ページ目

月先輩からの手紙 その2

カイ様
こんばんは。早速お手紙の続きです。

私は、なにもしたいことがない。人のためになにかをして
喜ばれる時だけ自分の存在を認めてもらえる。だったら、人の
望むことをしよう。人が機嫌良ければ身の置き所のなさがやわ
らぐから。人の顔色をうかがい、機嫌が悪そうな時は、なにか
奉仕をしなければいけないような気持ちにかられる。
そして、相手が喜ぶどころか逆効果になるとまた自分を責める。
「なにをやってもダメな人間だ。」次の機会に挽回しようとして
また余計なことをしてしまう。そして嫌がられる。またそんな私
を利用する人も現れる。誉められたいがためにしていることを
かぎつけ、大いに誉める。すると気を良くしてまたサービスする。
そして誉められるの、繰り返しで悪循環になる。その人は、認めて
くれたのではなく、利用したいだけなのに気がつかない。もし気が
ついた時にはすっかり嫌になって自分を卑下する。「私なんて
一人前に扱われるわけないんだ。」


以上です。
私は、祖母にだっこされて髪を洗ってもらっていたことを思い出し
ながらこの手紙を読んでいます。
安全な場所で、愛され、献身的に面倒をみてもらった記憶。
そこに、錨を降ろし、つながっていないと読むことができません。
私の両親もいそがしかったので、淋しい子供時代を過ごされた
月先輩のお気持ちが、まったくわからないわけではないからです。
誰よりも、愛されたいという願望が強い月先輩。自分で自分を
慈しむということができない、だから人から愛してもらおうと
必死で生きてこられたのでしょうね。
勉強を頑張ったり、兄弟の世話をしたり、お母さんのお手伝いも
一生懸命になさったのでしょう。

人の為は、偽りという文字になります。
自分のしたいことは、そんなに大げさななにかでなくってもいい
はずです。まずは、自分が欲しいものを自分に与えることから
でも始めてみて!
お仕事の帰りに、お花がきれいと思ったら、もったいないすぐ
枯れるからと考えないで、タイムサービスのお花で我慢しないで、
自分の好きな花束を買ってみる。どのお洋服にでも合う無難な靴
じゃなくって、一目惚れした靴を買う。そんなささいなことから
変えてみる。ご自分をボロ雑巾のように扱うと、人からも雑巾の
ごとく 扱われてしまうから・・・。

カイ様、先日、ダンスの会場に救いの大天使がやって来ていました!
思いこみではない証拠に、私以外のお二人も同じ場所に同じ
エネルギーを感じていました。
かわいいお話しを紹介しましょう。
ドーナ「今日は大天使が私たちを見守ってくれていたよね。」
みーちゃん「うん!!私の見たのは小さかったけど。」

それではまた。
ドーナ。

自己の主張と破壊

ドーナさん、こんばんは。

ある方(仮名・月先輩)のお手紙、拝見させてもらいました。
読んでいくうちに、大変悲しくなりました。この方はどうして
これほどまでに自分を矮小化し、自分の存在を否定しようと
なさるのかと。あまりのことに、言葉が出ません。

おそらくこれまでには、お手紙だけでは表現できない、数々の
苦しい出来事があったのでしょう。それがどのようなものなのか、
僕にはまったく想像がつかないものです。

しかしながら、こうも感じました。この人は、自分をなくして
しまいたいと強く願われているようですが、どうも逆に考えれば、
それほどまでに「自分」というものについて意識し続けてきたこと
というのは、「自分」への関心が、かえって人より強いからでは
なかったかということです。自意識を過剰に内側に向けた結果、
自分というものと、他者とを区別する何かがわからなくなって、
自ら作られてしまわれた「迷路」の中に、さまよっているような
印象を受けるのです。

人には、自己を主張する力と、その反対の自己を抑えて全体に
浸透させようという二つの力があると聞いたことがあります。
ともにその力のバランスが悪ければ、片方は自己中心的・尊大、
他者への暴力というようなことになるでしょうし、また反対の
片方に力が偏ると、自暴自棄や自己を滅ぼすこと、つまり自殺
というようなところまでいってしまうことになるでしょう。

この方の場合は、自己破壊の力が過剰に働いているというように
思われます。それには力の振り子として、最初は自己を意識し
すぎたところから入って、それが進んで、今度は振り子の揺り
戻しにあって、逆の自己を空しくする方向に向かったのでは
ないかと想像されます。

僕の空想じみた説はともかく、現実の月先輩の手紙の続きを
拝見させてもらうことにいたしましょう。

ドーナさん、よろしくお願いします。