カモワンタロット交換日記 -6ページ目

月先輩からの手紙 その1

カイ様
こんばんは。
自己を受容するということについて、
ある方からこんなお手紙を頂きました。
公開してもかまわないとおっしゃているので、
カイ様も読んでみてくださいね。


私は、両親その他の親族に愛されているという実感なしに子供時代を過ごしました。両親、祖父母、叔父叔母、忙しくて面倒を見られない。その背景には、大人が思わずかまいたくなるほどかわいいとか、またはやんちゃ過ぎて
目が離せないというような、子供本来の、母性または父性本能を刺激するような傾向が希薄だということがあります。エサだけ与えられて、遊んでもらったり、散歩に連れて行ってくれたり、手入れをしてもらったり・・・という経験のない犬のようなものです。そのまま学校に行くと猫かわいがりされた子供は自己主張し、されなかった子供はスミの方で大人しくしているという図式になります。

なにかより自分が優先された経験がないので、自分は他のなにかより価値あるものだと思えないのです。そして、可愛がられた子供は自分のやりたいことをやりたい放題にやり、そうじゃない子供は自分にはそんな権利はないんだと卑屈になって成長していきます。自分を貶め、卑屈になる分、人に対する妬みや、「自分はなぜやりたいことがやれないんだ!!(許されないんだ)」という怒りがわいてきます。妬みや怒りを感じている自分がいやだから、ますます「こんな自分には、したいことをする権利はないんだ。」と自分を押さえつけます。なぜなら、「自分は家族にすら大切にされないのだから、迷惑な存在なんだ。私がいない方がみんなも幸せなんだ。」と思うから。ますます自己主張ができなくなり、そのうち自分がやりたいこともわからなくなり、自己主張の必要もなくなってきます。そうすると楽になります。

そして、二つの選択肢が出てきます。①私はなにもしたいことがない。私はいない。私がいなければ周りのやっかい者にならずにすむ。そして現実社会に関わらず生きていくようになります。時に人と感覚が合わないことを思い知らされることが起こって、ますます人と関わるのがいやになり、自分の世界にこもってしまいます。でも根本的に自分を大切にするという感覚がわからないから、自分の世界にこもっていても自分を満たす行動がとれません。


続きは次回に。

風邪が長引いています。
それではまた。
ドーナ。

自分の価値

ドーナさん、こんばんは。

ドーナさん、風邪ですか。流行っているようですね。
ご無理なさらないように。
それからこちらのパソコンもやや不安定な状態です。いや、普段は
しっかり動いてくれるのですが、ある作業をすると非常に危うい
ことになります。その作業を無視するかどうか、いつも迷うところ
なのですが・・・

ご友人の月先輩のお話、読ませてもらいました。月先輩というのは、
とても生きることに疲れておいでのご様子ですね。だから、いつも
早く人生が終わればいいのに・・・と思っておられたのでしょう。
そういう想念が日常なのですから、その能力者に言われるまでもなく、
「このままでは寿命が残り少ない」となるのも、考えてみれば
当然のことではなかったかと思います。なにせ自分で「早く終われ」
と願っているのですから。
ここにも、心の想いというものが、とてもその人に影響するという
事例を見ることができるのかもしれません。

ドーナさんのおっしゃるように、人に優しくできるのに自分には
そうできない人が世の中には多いと感じますね。前回のご相談の
方の真の問題は「杯」、つまり、「心」にあったのですね。
まあ、どんな問題も人間が悩んでいる限り、そこには「心」の
問題が核として存在しているわけなのですが、そのケースの
場合は、まさしくご本人の「心」がネックであり、自分を認知
してもらいたい、心を癒してほしいという願いが奥底にはこめられて
いたようですね。(事情を知らず、「玉」に決め付けてしまい、
申し訳ございませんでした。)

こうなると、その方がタロットリーディングに来られてるのには、
リーダー・その人に、自分のその欲求をかなえてほしいというよう
な、依存現象が生じるおそれもあります。てきれば、依存ではなく、
相談者ご自身が、タロットを通じて自分を客観的に見られる
ようになってもらいたいですね。タロットで展開される絵柄の人物・
状況が、ご本人のそれであるとうことに気づいてもらえるように、
もっていければよいと思うのですが・・・

何年か前より、女性では「自分にご褒美」という言葉がはやって
きましたね。これなども、他人に本当は評価してもらいたいけれども、
それができないので、自分で自分を慰める、褒めるという行為
の表れではないかという気がしてします。さまざまな情報が飛び交い、
スピード時代でいろいろなものが駆け抜ける中で、人間関係も希薄に
なり、自分の存在や価値を認めてもらえる機会や時間、関係もない
まま、日常生活が送られています。これでは、ますます不安になり、
仕方なく、ある特定のイベントを利用して、自身で自分の価値を
評価しているのです。本来価値を認めてもらわなければならない
相手に、不足があるともいえます。しかし、これができる間は、
まだ大丈夫でしょう。
問題は、自分ですら、自分を認められない状況に陥り、その不満を
持て余して、混乱のままに迷路で泣いている方のような場合でしょう。
ドーナさんのご紹介されたケースは、これなのかもしれませんね。
なんとか、タロットで相談者の”生きておられる価値”というものを
再認識してもらえるように、期待したいです。

それでは、また。