■■”古代に渡来したユダヤ人を同化した「和の国」の力”◆田中英道・美術史家 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

■1.ユダヤ人そっくりの埴輪、ユダヤ人と共通の遺伝子

 古代日本にユダヤ人がやってきたという仮説はすでに明治時代から唱えられているが、いよいよ否定し難い「物証」が発見された。千葉県の九十九里浜近くの柴山古墳からは、ユダヤ人を模したとしか考えられない埴輪がいくつも見つかっている。

 以下の写真を見ていただいたら一目瞭然だが、丸い庇(ひさし)のついた高い帽子、美豆良(みずら、髪を左右に分け,毛先をそれぞれ耳の辺で結び束ねるスタイル)、高い鼻、長い顎髭(あごひげ)。まさにユダヤ人そっくりの容貌である。

*リブログ本文↴

 

◆田中英道・美術史家

日本から見たサピエンス全史#4◉田中英道◉古墳時代 日本に渡来したユダヤ人。埴輪・天皇・国家という名の家族。

https://youtu.be/5nPtjTjIwBQ

林原チャンネル
2019/02/17
日本の古墳時代(3世紀〜7世紀)、大陸からの渡来人には、ユダヤ人が多くいたと考えられます。その証拠がユダヤ教徒の姿をした埴輪です。
また、秦氏という渡来人の氏族は、ユダヤ人だったと考えられます。彼らは聖徳太子を助け、大仏を建立し、道鏡の企みから天皇を守り、世界に類を見ない「天皇」という存在のありがたさを知ったのです。

世の学者たちが誰もなし得なかった、現在と過去を往還する新しい歴史学がここにあります。この田中史観に、どうぞ耳を傾けてみてください。歴史がもっと面白くなること間違いなし


※大学教授の歴史専門の先生方は、歴史を時代と地域に区分してしか考えることが出来ないため、歴史を通史で見ることができないことを、皆さんはご存知でしょうか?田中先生の専門は美術史のため、歴史を自在に見ることができるのです!

★「日本から見たサピエンス全史」再生リスト:http://bit.ly/2RondKP
★ 田中先生へのご質問・ご感想 info@hayashibara-ch.jp


※コメント欄でいくつか見受けられますが、このお話は「日本ユダヤ同祖論」ではありません。
渡来人の中にユダヤ人がいて、影響力を及ぼした時代があるのではないか?という歴史的検証です。
そして外国の血・民族を同化する力が、古来より日本にはあるのではないか?という考察です。(運営追記:2/21)


※「レビ記」(旧約聖書の一書)に
「あなたがたの頭のびんの毛をそり落としてはならない。ひげの両端をそこなってはならない。」と書いてあるという。
※びんの毛=もみあげ
正統派のユダヤ教徒は現代でもこの掟を守っている・・・

※芝山遺跡の埴輪についてはこの本に美しく掲載されています

「デジタル技術でせまる人物埴輪: 九十九里の古墳と出土遺物」
 城倉 正祥 (著) 2017年/吉川弘文館

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4...


ユダヤ人埴輪の話をまとめた本が出版されました!
『発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く』
 田中英道(勉誠出版 / 2019年10月11日 発売)

https://www.amazon.co.jp/dp/4585222529/

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<目次的な!>
・イスラエル・テルアビブ大学の日本学会で何を語ったか

・古墳時代(特に5-6世紀)に作られた埴輪(はにわ/ハニワ)からわかること
・日本出土の埴輪にユダヤ人の姿
・芝山遺跡:千葉県芝山町の古墳群(3~6世紀)→芝山古墳の埴輪の写真(芝山仁王尊・観音教寺 所蔵)

・レビ記(旧約聖書)にユダヤ教徒の服装について書かれてある
・大きく言えることは、この時代、ユダヤ人が日本にやってきていた、ということ
・3世紀以降の古墳時代 ユダヤ人が日本にやって来た!

・アフリカで誕生した人類は、中東(現在イスラエルがあるエリア)を通って移動した
・常に争いの場となった要所(バビロニア、ローマ帝国、アッシリア)
・イスラエルの失われた10支族
 旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方知れずとなった10部族のこと
・10支族はシルクロードを通って朝鮮半島から日本へ、または海づたいに日本へ
・太陽信仰はあらゆる民族の最初の行動
・エジプトの太陽神ラー
・日の丸を立てる日本民族は今でも太陽信仰をしている
・弓月国(ユミヅキコク)
 中国の西、ウイグル〜カザフスタンの辺りに存在したとされるシルクロードの通り道にあった国。離散したユダヤ人が建国したという説あり
・日本書紀に出てくる渡来人「弓月君」(ゆづきのきみ)の出身地が弓月国
・渡来人 秦氏の登場

・秦氏(3世紀以降の渡来人氏族)
 日本にやって来た秦氏の初代が弓月君。何と約18000人を率いて渡来したという。

・ネストリウス派
 
古代キリスト教の教派の1つ 異端認定され中央アジア・中国へと伝わった唐代の中国においては「景教」と呼ばれる
・日本に来たユダヤ教・キリスト教徒は、日本人を改宗できないと気がつく
・ユダヤ人と日本人の古くからの関係性
・日本に来たユダヤ人は、関東(千葉、茨城、埼玉、群馬等)までやって来ていた
・日ユ同祖説
 日本民族の祖先が 2700年前にアッシリア人に追放された、イスラエルの失われた十支族の一つとする説

・Y染色体DNAのD系統は 日本人はD2系統(YAP遺伝子)といい、イスラエルの失われた十支族のうちのエフライムとマナセに、日本人と同じ染色体が見られるとか・・・
・日本人のDNAは、中国人や朝鮮人には無く、ユダヤ人と同じものがあることが遺伝子解析でわかっている
・日本にユダヤ人が来ていたことを認めることで、変わることがある
・日本列島の中にユダヤの国は出来たのか?
・諸蕃(しょばん)
 
大陸・朝鮮から渡来した人々の子孫のこと(秦氏、東漢氏など)皇別(天皇・皇子の子孫)・神別(天津神・国津神の子孫)と氏族は3つに分かれていた
 

・秦氏は、政権を獲ろうとしなかった、一神教を押し付けなかった

 →革命が大好きなユダヤ人なのに!
 →日本の神仏習合を認め、日本人を変えようと思わなかったのか?日本人がそれをさせなかったのか?

 

・秦河勝(はた かわかつ)
 聖徳太子の側近として活躍した秦氏の族長的存在、丁未の乱では物部守屋の首を斬ったという
・天皇を守り神仏習合を率先したユダヤ系渡来人・秦氏
・応神天皇(200年〜310年)
 第15代天皇 仁徳天皇の父 110歳死去説あり 誉田別尊(ほむたわけのみこと)と呼ばれる 八幡神社の祭神
・日本にある8万社の神社のうち
 
八幡神社が約25000社、稲荷神社が約32000社
・稲荷=INARI=INRI
・ユダヤ人によって八幡神社・稲荷神社は作られた
・日本人も彼ら(秦氏=ユダヤ系)を受け入れた、といえる

・奈良の大仏 建立の秘密
・宇佐神宮(宇佐八幡)
 大分県宇佐市にある全国の八幡神社の総本社
・道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件・769年)
 
政治力に長けた僧侶道鏡が 女性天皇である称徳天皇に取り入り、虚偽の神託で天皇の座を狙ったが失敗に終わった事件
 和気清麻呂が宇佐へ出向き、正しい神託を得る「天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」称徳天皇へ持ち帰り道鏡の企みは失敗に。
 しかし和気清麻呂はその後九州へ左遷されてしまったり、道鏡も栃木へ左遷、背後に藤原氏が動いていたりと、様々な説があり真相は謎の一大政変である
・秦氏の宇佐八幡神社が、天皇家を守ったともいえる

・ユダヤ人は天皇が好き(特に応神天皇)、天皇という形が世界の理想ではないかと考えた
・ベン=アミー・シロニー
 ヘブライ大学名誉教授 イスラエル日本学会名誉会長 ユダヤと日本人論の著作多数
・現代、イスラエル国ができることによって、グローバリゼーションでは立ちいかなくなって来ている
・秦氏はグローバリゼーションでは無く天皇という日本のやりかたに活路を見出した
・ユダヤ人と日本の関係のいい形がこの時代にある
・ユダヤ人でさえ同化させてしまう日本
・歴史というものは時代を往還して考えるべきもの、歴史の再発見ができる
・近代国家というのもある種の虚構(共産主義などは虚構の最たるものか?)
・虚構よりも実感を大事に、言葉はそのあと
・言葉とは葉っぱ。散ってしまうもの。現実の”事”に比べれば葉っぱのようなもの
・20〜30年したら消える『サピエンス全史』
・日本国家という家族(国という家、は真実)
・秦氏の存在をいかに考えるか?

・埴輪は、ユダヤ人たちからの「日本を大事にしろよ」というメッセージではないか、長い体験がある
・朝鮮や支那の、伝統を断ち切る「易姓革命」はユダヤ人らしいやり方(ほとんど同じ。ユダヤ人が伝授した可能性も)
・日本でそれをさせなかった、日本という確固たる地盤、精神性
・旧石器時代(3万年前)から日本には人が来ている
・縄文時代の日本は太陽信仰を基本とした自然信仰の国
・縄文土器は縄というより、水の文様
・「縄文時代の遺跡分布図」 ※「天孫降臨とは何であったか」に掲載
・日本は太陽信仰のメッカ 特に関東の太平洋側や富士山
・「鹿島神宮」「香取神宮」は総本山か?→地図
・「高天原」という実在する住所:
 鹿島神宮と海(太陽が昇る方角)の中間にある場所、茨城県鹿嶋市高天原

 

・縄文時代(2300年〜1万5000年前) 太陽を求めて日本にやって来た人類

・縄文時代当時の人口密度は世界でも随一ではないか
・ご先祖さまと神々と家族の国 日本(ご先祖は皆神々となる)

 

・三内丸山遺跡(3800年-5100年前 青森県青森市)
・集落は家族の集合体という部落、それがら集まったのが日本という祭祀国国家
・三内丸山遺跡の塔は太陽を見るためのもの

#渡来人埴輪 #秦氏 #埴輪
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田中英道「日本から見たサピエンス全史」#4
収録日:2018年1月8日
47分


◇私見

 

>古代に渡来したユダヤ人を同化した「和の国」の力

 

・秦氏は、政権を獲ろうとしなかった、一神教を押し付けなかった

 →革命が大好きなユダヤ人なのに!
 →日本の神仏習合を認め、日本人を変えようと思わなかったのか?日本人がそれをさせなかったのか?

 

・縄文時代(2300年〜1万5000年前) 太陽を求めて日本にやって来た人類

・縄文時代当時の人口密度は世界でも随一ではないか
・ご先祖さまと神々と家族の国 日本(ご先祖は皆神々となる)

 

 

血生臭い歴史と嘆きのユダヤ族は、緑なす蜜が滴るヤマトに辿り着いたのでしよう。

そこは、人を喰う大陸・朝鮮半島とは異なり、穏やかで清潔な縄文人が生活している「和の國 ・和魂 (にぎみたま) 」だったのです。

 

人肉食を禁忌する流浪の民のユダヤ人たちは、初めて穏やかな環境に慣れ親しんだのです。喰われないで、信仰に生きられる。

・・まれびと(客人)は、縄文人から歓迎されました。

 

そして学んだのは、

縄文の人々は決して穏やかなだけでなく、「阿吽の呼吸」で外敵(人食い鬼)を退治することがあると・・「荒魂(あらみたま)」を指す。
・・ユダヤ人は、縄文人にある霊的な「阿吽の呼吸」に不思議な思いをしたのでしょう。慎重にヤマトに溶け込んでいきました。

 

縄文人の「祭祀の場」に古神道の拠点が置かれたのは偶然ではありません。

「精霊の力(万物に宿る)」を取り込んだのでしょう。

・・大倭・日高見国(おおやまとひだかみこく)の精霊を畏怖したのです。