[質疑応答部分を翻訳]ダライ・ラマ法王 東長寺法要『平安・平和への祈り in 福岡』 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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2018年11月22日、ダライ・ラマ法王は福岡をご訪問なさり、南岳山東長寺を拠所とする法要『平安・平和への祈り in 福岡』へとご参列なさいました。以下その時の法王猊下の質疑応答部分を翻訳しましたので、ご参照ください。https://www.mmba.jp/archives/23052

 

*一部引用↴

 

今世紀の仏教徒として日本人が取り組むべきこと

ダライ・ラマ法王談話 2018年11月22日 『平安・平和への祈り in 福岡』質疑応答 於 南岳山東長寺

訳・文責:野村正次郎



2018年11月22日、ダライ・ラマ法王は福岡をご訪問なさり、南岳山東長寺を拠所とする法要『平安・平和への祈り in 福岡』へとご参列なさり、近年の災害で亡くなられた方々のために追悼法要を行なってくださいました。以下その時の法王猊下の質疑応答部分を翻訳しましたので、ご参照ください。談話部分はこちらすべての苦しみから解放されるため、般若心経を唱える
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質疑応答

【質問】私は山口県から参りましたが、山口県の出身者として西川一三(1)、チベット名ロサン・サンポという方が居られます。彼は法王猊下がまだ十代の頃に昭和天皇と東條英機の親書を持参してチベットへ入ったとのことです。当時のことについて何かご記憶はございますでしょうか。

小さい時、ラサに彼の写真の写真がありましたが、詳しくは知りません。先代の十三世法王の時代から日本との関係は重視され、関係の構築に努力されしてきたように思います。

 

 1 ↑ 西川一三(にしかわかずみ・1918-2008は日本の諜報部員として、東條英機より潜入の命令を受けて、1945年にモンゴル人僧侶を偽ってラサに潜入。日本の敗戦後もデプンに僧侶として修行をしながらそのまま滞在して、木村肥佐生などの協力を得て潜入を続けたが、1949年にインドで逮捕され、1950年に帰国する。彼の回想録は『秘境西域八年の潜行』(中公文庫)として出版されている。
 
【質問】チベットは中国から侵略され、今日に至りますが何か対策は取られてますか。

1950年頃からカム地方からチャムドまで侵攻されました。チャムドに駐留していた中国軍は「軍隊」とは呼ばず「チベット平和解放部隊」と呼ばれていました。それらが駐留している状況のなか十七箇条の協定が結ばれました。中央人民政府とチベット地方政府との間に、十七箇条の和平協定(2)が締結され、彼らはそれを「チベット平和解放」と呼んでいます。当時から今日まで70年の間、時には強く抑圧されている時期があったり、抑圧が緩和されている時もありますが、その状況が続いています。現状はそのようになっていますが、チベット人の勇気と志には何ら変化はありません。

 
  2 ↑「中央人民政府和西蔵地方政府関於和平解放西蔵辨法的協議」
 

 

 

 

【関連】

■■ダライラマ13世の遺言 ◆チベット仏教圏の縁が紡ぐ糸[満洲]


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前日の法要ライブで、一代前のダライ・ラマ13世と日本の友好関係について触れられました。しかし、地名は出しませんでしたが、「満洲」を指しているのは自明です。

チベットと日本の縁の始まり・・

今日の広範な交流があるのは、その時代に萌芽があったのです。

 

 

チベット仏教と日本の不思議な縁を感じるのは・・

 

   *ダライ・ラマ13世 

     法名をトゥプテン・ギャツォ

 

満洲國では、前丗の第13世ダライ・ラマ法王(1876 ~1933)は、親日家で知られていました。(チベットの軍事顧問は日本の矢島保治郎氏)

 

戦争の混乱前から、敬虔なラマ教(チベット仏教)の信仰を持つ満人と日本人は穏やかな交流をしています。日満友好を説いたダライ・ラマ13世の御真影が、満人の家には飾られていましたのです。

飢えと病に苦しむ日本人の子供たちを助けてくれた人たちです。

 

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