■[小品] 妾奉公(めかけぼうこう)◆桃山晴衣の端唄・深川 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

*舞台劇の[小品]風であり、登場人物の語りや背景、時期は混ざっています。
 

子供だったから気が付かなかった。
しかし、今なら「妾奉公」の意味を知る・・アレだったのかと。
祖父に言いつけられて、厳しく「口上」を覚えさせられ、「お手当」を持ってお使いしたことがあった。

貸家を何軒も持っている。

女の人、友達の綺麗なお母さんでした・・
ぼんやりした子でしたので、関係が分からない。


友達の冷たい態度に不審を抱かせた。
祖父に首を振って、言い返せず黙っていましたが、その役目から解放された。

だが、遠い記憶が滓のようになって沈下している。

 

 

・・明治の話ではない、昭和の時代の話です。
祖父にとって深川が、勢いが有って景気が良くて楽しかったのでしょう。

 

 

 

桃山晴衣の端唄/深川(三下がり) Harue Momoyama / Song of Fukagawa
https://youtu.be/hm8IuPkb0II

ototatchinuru18
2010/12/03 に公開

立光学舎ミュージックアーカイブ

立光学舎レーベルRG-6
桃山晴衣/うたづくし 小唄・端唄より「深川」

東京でおこった小唄、そして端うたは、60年代から70年代にかけ、三ゴ(小唄、ゴルフ、碁)とよばれるほど流行り、都市でも田舎でもあまねくうたわれました。そうした潮流の中を転居先の岐阜、名古屋周辺でも大勢の弟子を抱えるようになって、21歳で桃山流を名乗りました。(略)
その後、小唄にとってかわり、地域の暮らしから生まれたはずの民謡までが家元制を標榜し。産業社会の中で商売化していき、時代の流れに乗ったように見えながら、両者とも自分たちの心の音楽ではなくなっていきました。(略)
小唄はカテゴリーがあるものではなく、様々な芸を極めた人がその人の風でうたう自在さと、味わいの深さを魅力とするもの、一般にも浸透しているがプロの手にかかると、また違います。50,
60年代は私の師、人間国宝の宮薗千寿が水野ハツ、宮薗知恵が金子千恵子、というように各流の名人級が本名で活躍しており、林立してきた家元たちのはるか上をいく伎倆を誇っていました。
このCDの演奏には小唄・端うたともに、私の大好きな、深い音色の宮薗節の三味線を用いました。

(桃山晴衣/うたづくしのライナーノーツの一部より)

故・桃山晴衣の公式ホームページは
http://homepage3.nifty.com/ryukogakus...