[最後のステージ]日野てる子/夏の日の思い出
2015/02/07 に公開
日野てる子の「夏の日の思い出」 最後のステージとなった。
夏の日の想い出 日野てる子
2016/05/28 に公開
・・デビューしてから1年目のヒット曲です。
公開コメント
masa seto
この新鮮な日野てる子さんの声を聞いていると今も活躍しているような素敵な気分になって来ます。夏の思い出と共にいっもこの歌を思い出します。それほど彼女の歌は爽やかな清風のような感じになります。早く天国に召されましたね。寂しい限りです。あの素晴らしい声がこうして映像共に私達に感激を与えてくれます。これからもずっと大事にして行きたいですね。今も彼女の魅力に憧れています。これからもずっと夏の日の想い出を聞きたいですね。
田中茂
この歌は私が歳をとると共に好きになった。遠い昔が懐かしく感じられます。
歌手の日野てる子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/01 13:29 UTC 版)
愛媛県松山市出身。
1962年、全日本ハワイアンコンテスト優勝をきっかけに1963年に上京。バッキー白片らに師事する。
1964年、ハワイアン歌手として日本グラモフォンよりデビュー。
代表曲は1965年に発表した「夏の日の想い出」。ハワイアンとは全く違う、スローテンポで哀愁のこもった曲であったが、100万枚を超えるミリオンセラーとなった。ちなみにこの曲は当初「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」のシングルB面曲だったもので、ヒットにより後にA面としてジャケットを差し替え発売されている。サザンオールスターズの原由子がアルバム『東京タムレ』でカバーしている。
歌うときは長いストレートの黒髪にハイビスカスの花を1輪飾っており、その姿が彼女のトレードマークのようになった。
NHK紅白歌合戦には、1965年から3回連続出場している(詳細は下記参照)。
1969年、作曲家・編曲家の一ノ瀬義孝と結婚したのを機に1970年で一時引退。1男1女を儲け家庭に専念していたが、子育てが一段落したのを見計らって1978年に歌手として現役に復帰し、活動を続けていた。
2003年12月に肺癌と診断され、以後入退院を繰り返すようになる。その間も活動は続けられたが、2007年12月を最後に休止。
2008年(平成20年)9月9日、肺がんのため東京都杉並区の病院で死去[1]。63歳没。葬儀・告別式は近親者だけで行われたが、同年10月20日、都内のホテルで「お別れの会」が営まれ、鈴木道明、三沢あけみ、大月みやこら約300人が出席した。また同年の第50回日本レコード大賞で特別功労賞が贈られた。
長女の一ノ瀬トニカ、長男の一ノ瀬響は、ともに音楽家として活動している。
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◆呟き『ノスタルジー』
日野てる子さんの歌を聴いたのは、二代目の大きな白黒テレビでした。
見る時は、観音開きの扉を開くものです。
最初は、電気屋さんが調節しないと映りません。
好奇心で後ろから覗くと、内部は五球スーパー真空管が並んでいました。
意外と現在のテレビより音が良かったと記憶しています。
てる子さんの揺れるような歌声が懐かしい♪
嵐の前の静けさ・・平和の瞬間を愉しむ。