”罰が当たる ?” ◆呟き『人を呪わば穴二つ 』 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

*哲人クニちゃんのブログ様より抜粋↴

■ 罰が当たる ?

自分が何か良くないことをした後に、
不運なことが起きると
「 ~ なことをするから、罰 ( バチ ) が当たったのだ ! 」
などと親に言われた人は多いと思います。

この 「 罰 」 とは、天罰のことを言い、
良くないことをすると、
神様は必ず見ていて、
罰を与えるという考え方です。
でも、本当にそうでしょうか ?

スピリチュアルでは、
自分のしたことが人の道にはずれた行いだとすると、
それはそういう種類のマイナス波動を
自分が出したことになります。

その波動は同じ種類の波動とシンクロし、
増幅して、後でまとめて
「 不運 」 として返ってきます。
これが波動の法則です。


つまり、その不運は天罰ではなく、
自業自得、
つまり 「 因果応報 」 ということです。

神様や仏様は見ているだけで、
人の悪い行いに対して
神様から人を罰するようなことはしません。
自分が自分で不運を招いているだけなのです。

もちろん、人生の中では、
神様や自分を見守ってくださっている存在から
アプローチしてくれることもあります。

それは、自分が今世の人生の流れや方向について、
迷っているとき、苦しんでいるときに、
ヒントを与えてくれたり、
助けてくれたりする形で表れることもあれば、
トラブルという形での 「 お試し 」 のときもあります。

しかし、いずれの場合でも、
自分を罰するといったことではなく、
経験することによって
自分の魂の成長をうながすために、
温かい愛の手を差し伸べてくださっているのです。

そして、自分に起きた出来事を
どう受け止め、気づき、そこで判断し、
決めるのは、自分自身なのです。

 

*リブログ本文↴


 

◆呟き『人を呪わば穴二つ 』

語源・由来 平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、人を呪殺しようとするとき、呪い返しに遭うことを覚悟し、墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来。
人を呪わば穴二つ - ウィクショナリー日本語版

 

*哲人クニちゃんのブログ様より引用↴

スピリチュアルでは、
自分のしたことが人の道にはずれた行いだとすると、
それはそういう種類のマイナス波動を
自分が出したことになります。

その波動は同じ種類の波動とシンクロし、
増幅して、後でまとめて
「 不運 」 として返ってきます。
これが波動の法則です。

つまり、その不運は天罰ではなく、
自業自得、
つまり 「 因果応報 」 ということです。

神様や仏様は見ているだけで、
人の悪い行いに対して
神様から人を罰するようなことはしません。
自分が自分で不運を招いているだけなのです。

 

 

>「自業自得」 「 因果応報 」

 

人間の悪想念は、行為によって成就すれば、想念は解消しますが、行為の業は残ります。

やがて業は、当然想念を発した者に返ることになる。

 

だが、躊躇して行動にならず想念と葛藤すれば、長い間には相手への呪いとなります。

やがて呪いは、当然想念を発した者に返ることになる。

 

人間の悪想念の渦に気づく霊的な感性のある方が居ます。

消耗すると思う。

孤独に過ごす時間と環境がいるのでしょう。

 

罪深い業は、輪廻するのかもしれません。

罰がこの世で「大当たり」しますw