”インディアナポリス残骸を発見”◆呟き『十八発の対日原爆計画』 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

 

*アテナの泉 「Happy-go-Lucky」様より引用↴

 

Billionaire Paul Allen Finds Lost 

  World War II Cruiser USS Indianapolis 
  in the Philippine Sea
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Twitter USNI News @USNINews より
(英語記事)
 
  大富豪ポール・アレン氏の調査チームが
  第二次世界大戦の米重巡洋艦
『インディアナポリス』の
  残骸を水深5,500mで発見しました。
 
 
 ポール・アレン氏Twitter
 
  第二次世界大戦の米重巡洋艦
『インディアナポリス』は
  1945年7月26日に
  テニアン島へ原子爆弾を運んだ後、
  7月30日フィリピン海で
  日本の潜水艦伊58の雷撃により
  沈没しました。
 
  この火曜日から爆破処理された
  伊58特定のための
  海底調査が行われますが、
  その直前に発見されるとは
  奇しき縁でしょうか。

 

続き

*リブログ本文↴

 

【関連】再掲載

 

■ 原爆搭載艦インディアナポリスと十八発の対日原爆攻撃計画 (再掲・加筆)


広島・長崎へ投下した原子爆弾をテニヤン島に輸送した巡洋艦インディアナポリスを、ピストン輸送するため航行中に(「真夏のオリオン」のモデル・伊58潜水艦艦長橋本以行)撃沈しました。

アメリカの対日原爆攻撃の計画は、現在でも公には現れていません。
戦後のプロパガンダで、3発の原子爆弾と流布されており、それ以上の原爆投下の計画はなかったとされていました。

パンプキン爆弾という、
原子爆弾と形状と重量の同じ通常爆弾で、日本の各都市を実際に投下して観測していました。
(当時の軍部は、このパンプキン爆弾の被害数を把握しています)

私は、子供の頃、”偶然”にこのパンプキン爆弾の被害調査した人物から話を聞いています。
やっと、このパンプキン爆弾と十八発の対日原爆計画が、シンクロニしました。

(トルーマン大統領は、十八発の対日原爆攻撃を承認していた。ワシントンポスト)


その方は、耐弾防空壕設計の数少ない技術者でした。
なぜ、子供の私に話したのかは謎です。(*依代=霊童)
(私の夢見した帝都東京・羽田飛行場の”原爆搭載機”を真剣に聞いたのだと思われます)

 

・・朝鮮戦争で米軍は韓国・釜山まで追い詰められた時、米軍に接収されていた羽田飛行場に、極秘に原爆搭載のB29爆撃機が駐留していたようです。

偉い大人に聴かれたのです。


十八発の対日原爆計画
天を畏れない人物たちの計画でした。


 

伊58潜水艦艦長橋本以行


梅宮大社名誉宮司
大神宮社宮司
橋本以行(もちつら)

映画になつたストーリーと違う実録は、昔から橋本艦長の著書に依り、”偶然”知っていました。

”偶然”とは、
梅宮大社宮司として奉職している方が、橋本艦長だとは知らずに、「熊野権現」関連を調べていました。(神代の時代から続く、梅宮大社の名家の末裔です。古代天皇家にもつながります)

シンクロニシティ現象は、前世・過去世を辿ってきます。
まして、神仏の縁を辿ります。

 

・・夢見により、さるお方に橋本宮司をご紹介し、お祓いをお頼みした縁です。

宮司と、その方は遠い血縁と判明いたしました。
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戦後、激戦を生き抜いた軍人の体験話は、全部否定されてきました。

教育現場のなかでも、「特攻隊の戦果」「満州引き揚げ者の苦難」『東京大空襲」「原爆の真実」「激戦地での実相」の話はタブーとされています。

少しでも、当事者がその話に触れると、正しい教育という名目で攻撃の矛先が周囲から向けられました。当事者は、公には語らずとも、
生き残った者の役目として、文章に遺していきました。

橋本以行(もちつら)さんは、『伊号58帰投せり」 『日米潜水艦戦」のなかで戦死した回天特攻隊員について詳しく述べています。



[昭和20年7月16日から8月15日の戦闘記録]

7月27日、敵の大型タンカーと駆逐艦に向けて、「回天」特攻発進、伴中尉、小森一飛曹。
「ありがとうございました」の言葉を残して突進していきました。

爆発音が二つ、戦果を認める。

7月29日、テニアン島に原爆輸送搭載した重巡インデアナポリスを魚雷攻撃で撃沈。
(橋本艦長は新聞電報で数日後の広島と長崎の原爆投下を知り暗澹たる思いになっています)

8月10日、敵船団の大型輸送艦に「回天」水井少尉が突入して撃沈させる。
同時刻ごろ、駆逐艦に「回天」中井一飛曹が突入して撃沈させる。

8月12日、大型水上機母艦と認め、「回天」林義明一飛曹が突入して撃沈。

戦後、アメリカ軍は宣撫工作として、日本で特攻の被害を隠蔽して、過小に報じています。
実際に戦った人たちが、戦後ずつと疑問視していました。
しかし、「無意味な戦い」としたい人たちが、それに便乗して長い間、戦死者を貶めていました。

数年前のアメリカ公文書館の時限切れの公開された戦闘記録(ウォーダイヤリー)に拠ると、空からの神風特攻だけで六割近くの突入被害と判明。(今まで、ほとんど撃墜して効果なしと言っていました)

まして、『回天」については、昭和20年8月15日の敗戦の日に、「回天特攻中止」を特別に日本側に申し入れています。被害が甚大と恐れていました。

島での戦闘も、”上陸一日目は戦死者として数えず”行方不明者とする。

戦闘記録フイルムを良く見れば、戦闘後のアメリカ兵の十字架の墓をざつと数えれば数百ありますが、戦死者は、百名近くと発表。
戦後になるとすぐに、全戦死者をアメリカに移送してしまいました。

特攻攻撃された艦船も大破として、廃棄したと報告することが多い。
実際は沈没、または、使用不能艦となっていた。

”インチキ”なことに、沈んだ米軍艦船は民間徴用艦船としてカウントしないものとしています。(笑)
(日本側では、自国の民間徴用艦も沈没数にカウントしています)

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生前の橋本さんに、
某テレビ局は、戦後の伊58潜水艦を標的艦として沈める、米軍が残した映像を観せています。

橋本さんは、原爆搭載艦インディアナポリスを広島・長崎の原爆投下以前に撃沈できなかったことを嘆いていました。
(多くの軍人が、日本の戦果が米軍発表が過少なことを疑問視していました。無駄死にとされることをです)

某テレビ局の”いやらしさ”が、意図したことです。

しかし、

十八発の対日原爆計画を知ると、伊58潜水艦が、原爆攻撃を大きく遅延させたのだと分かります。

さらに、
安岡正篤(まさひろ)氏は、
自らの命を顧みずに(事前に漏れていたら殺されていました)、終戦の詔勅文を書き上げました。

原爆による冷酷 無残な十八発の対日原爆計画を阻止することが出来たのです。

無意味、無駄なことではなかったのです。

その大恩人に対して、戦後の唯物史観の持ち主とリベラリストたちは、「右翼人」と貶めることを御家族までも容赦なくしてきました。


どれだけの数の日本人の命を助けたのかと・・・

先人の御苦労に対して、

深甚に感謝致します。

ご訪問ありがとうございました。

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◆呟き『十八発の対日原爆計画』

 

・当時の米国戦争指導者の日本、「日本人絶滅計画」を暴露するものです。

現在でも羽田飛行場に、極秘に原爆搭載のB29爆撃機が駐留していたことは隠されている。
 

「隠すに現れる」

日本のどこかに"それはある"という事でしょう。

 

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