八王子市「湯の花トンネル列車銃撃空襲」◆女工さんの霊◇古法の修法「神おろし」 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

第40回 多摩探検隊 「湯の花トンネル列車銃撃空襲」
https://youtu.be/XdNV3f4iILc

2010/12/02 にアップロード

第40回 多摩探検隊 「湯の花トンネル列車銃撃空襲」 (2007年8月放送)

15日に終戦記念日を迎えるにあたって、8月の『多摩探検隊』は戦争をテーマに、当時を生き抜いた人々の声・証言という「形なき戦跡」にスポットを当て、それらをたどりながら映像に記録していこうと企画しました。


今回取り上げたのは、昭和20年8月5日に八王子市裏高尾町の湯の花トンネル付近で起きた列車銃撃空襲です。新宿発長野行きの中央線下り419列車がトンネルに差しかかったとき、米軍戦闘機P51の銃撃に遭いました。様々な目的で偶然乗り合わせた空襲の犠牲者は、死傷者約188名(うち60名以上が死亡)で、国内最大の列車銃撃と言われています。


戦後、空襲の現場付近には犠牲者の名を一人ひとり刻んだ慰霊碑が建てられました。生存者や遺族、地元の人々が集い、犠牲者を供養するため、毎年この慰霊碑を囲み慰霊祭を開いています。 
戦争の記憶を後世に残そうと慰霊を続ける人々の姿を通して、命の尊さについて考えたドキュメンタリーです。

 

<協力>
池上本門寺 東京都立南多摩高校 八王子市郷土資料館

 

<映像提供> 奥住 喜重
<資料提供> 狩野 光男 森 桂 瀬沼 秀雄

<制作補>
藤井 智子 森田 智子 板倉 拓也 中島 聡 三枝 健介 冨田 佑

<監修> 松野 良一
<番組プロデューサー> 鈴木 千佳
<ディレクター> 舘小路 美保

<制作・著作> 中央大学FLP松野良一ゼミ

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昭和20年8月5日に八王子市裏高尾町の湯の花トンネル付近で起きた列車銃撃空襲です。

昭和20年4月15日の大空襲で・・本門寺に逃げ込んだ住民目がけ、大量に機銃掃射したので子供たちの犠牲も多数。民間人を狙った軍事作戦でした。

 

・・米P51戦闘機には、戦果確認の為に「ガンカメラ」が設置されていました。

戦後60年間隠蔽されてきた非戦闘員(子どもがいる)への銃撃シーンです。

当時、米国の軍事法律家は戦争犯罪と認識していたからです。

 

池上・本門寺・・

■不思議なお会式桜(おえしきさくら)の導き 宗祖涅槃図

 

大坊 本行寺

 

昭和20年4月15日の大空襲で大森・蒲田・川崎の京浜地域は大火になり、当山は、一部を残して灰燼に帰しました。

残った、寺宝の涅槃図は、当山のみ」・・とのことでした。


*(4月15日~16日は、大田区 が被った最大規模の犠牲者が出た日です。
無差別爆撃、焼夷弾、そして重油まで蒔いた。
本門寺に逃げ込んだ住民目がけ、大量の機銃掃射したので子供たちの犠牲も多数。民間人を狙った軍事作戦でした


ふっと会話していて思い出したことがありましたが、口にはできませんでした。

その空襲の大火から、祖師ゆかりの寺宝を命がけで避難させて護ったのは、寺の寺務員の方と、極めて少ない老僧侶でした。多くの坊さんたちは、皆逃げたのて゛す。

戦後、その老寺務員を僧侶たちは、それは々大切にしたとのことでした。

 

しかし、若い僧は、知らないでしょうね。

とかく寺務員を疎かに処遇する関係しか知らない。

 

図会を求めたのです・・・

 

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◆女工さんの霊

 

小学校にあがる前です。

多くの霊を不思議とは思わず、自然に見える頃です。

軍需工場の女工寮跡が近所にありました。

戦時中、空襲に遭い、多くの年頃の娘さんが亡くなった場所です。

 

ある日の夕方、長いコンクリートの台に彼女たちが並んで座っていました。

何やら話しているようですが、囁く声の意味は取れません。

生前、楽しい話題に興じた憩いの場であったのでしょう。

 

祖父の西八王子にあった浴場は、空襲で灰燼(かいじん)と化しました。

建築会社を経営していたので、多摩地域には何件もの浴場を建て、貸していました。

高い煙突と大きな建物なので格好の標的とされたのです。

 

 

纏い 江戸火消しが景気を付けた

 

偉丈夫な祖父は、■■組の組長として、関東大震災、東京大空襲では、亡骸(なきがら)の収容に参加している。

本門寺への御会式は組として、幼い頃の私を連れて法要に行ったのです。

 

何故か、ひどい体験に沈黙する大人が、子ども(霊童)の私に惨い話を聴かせました。

空襲の体験談(深川、八王子、本門寺)は、その頃耳にしたようです。

 

・・まだ煙のくすぶる焼け跡から、焼死体の顎に長い鳶口(とびくち)を引っ掛けて引き摺りだしたそうです。

普通の方は気付かないでしょうが、梅雨時の深川・小名木の堤を通るとふっと死臭が漂う。

今は歳を重ねた身、その頃の大人の瞋りと哀しみが多少分かるようです。

 

鳶口(江戸時代)

鳶口(とびぐち)とはトビの嘴(くちばし)のような形状の鉄製の穂先を長い柄の先に取り付けた道具。
丸太や原木など木材の移動・運搬・積み上げや、木造の建築物の解体や移動(曳き屋)に使用される。古くは鳶職を中心に組織された町火消の消防作業に使われた。このため鳶職という名が冠されたともいわれる。wikipedia

 

 

◇古法の修法「神おろし」

 

■古法の修法 

 

これは昔に聞いた話です・・・

ある酒の席で、老人の孫が霊媒として役に立つと話したことを修法師が聞きつけたのです。

野心的な若い修法師は熱心に頼みこみ少年を霊媒として仕込みました。


ある日、

修法師は誘惑に駆られてタブーを犯しました。

修法師自身の私事(わたくしごと)で、神おろしの招魂儀式を行ったのです。

憑いてきた霊を見た修法師は、僧侶としての戒律を破ったと悟つたのでしょう。
心から狼狽して、霊を還す修法を忘れて逃げ出したのです。


お堂に取り残されたのは少年だけ・・・
日暮らしの鳴く頃でした。

 

 

【癒し系】自然音 ひぐらし 真夏の雨上がりにて "Japanese cicada after

https://youtu.be/kLam5aXqORA

*自然にリラックス

・・夏は慰霊の日々となります。