■古代ローマ帝国の銅貨か 沖縄「勝連城跡」で発見
9月26日 20時55分 NHK
14世紀から15世紀にかけて当時の中国やタイなどとの交易で栄えたとされる有力者の拠点で世界遺産になっている沖縄県の「勝連城跡」で、3世紀から4世紀ごろの古代ローマ帝国のものとみられる銅貨が見つかりました。専門家は当時の琉球と外国との交流を知るうえで貴重な資料だとしています。
これは26日、沖縄県うるま市の教育委員会が会見して発表しました。それによりますと、平成25年度に市内にある「勝連城跡」で遺構の調査が行われた際、3世紀から4世紀ごろの古代ローマ帝国のものとみられる銅貨4枚と17世紀後半のオスマン帝国のものとみられる銅貨1枚が見つかったということです。
このうち、古代ローマ帝国のものとみられる銅貨は大きさが直径1.6センチから2センチで、表面に人物の姿やローマの文字がほどこされています。調査した教育委員会や専門家によりますと、古代ローマ帝国やオスマン帝国のものとみられる銅貨が見つかったのは国内の遺跡では初めてではないかということです。
「勝連城跡」は14世紀から15世紀にかけて当時の中国やタイなどとの交易で栄えたとされる有力者の拠点があった場所で、世界遺産に登録されています。
銅貨の年代測定などに携わった沖縄国際大学講師の宮城弘樹さんは「江戸時代の琉球が中国と交流していたことは知られているが、さらに西の国々とも交流があった可能性を示している。当時の琉球と外国との交流を知るうえで貴重な発見だ」と話しています。
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◆発迹顕本(仮の姿をはらって真実の姿を顕す)
発迹顕本(ほっしゃくけんぽん=仮の姿をはらって真実の仏の姿を顕す)
海の八咫烏
引用 黒潮ドームプロジェクト
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◇沖縄に来た祖先は誰だったのか。
本州と全く異なる遺跡証拠は南ルートを示唆する。
だがそれには台湾から黒潮を横断し100キロをはるかに超える航海が必要。
その本当の困難さを知るには、航海の再現実験しかない。(海部陽介)
◆導きの霊鳥 『シュメールの八咫烏』
「海の八咫烏」 は、幾世代もの「海流」に乗って渡ってきた人々でしょう。
未知の危険な航海を厭わぬ精神性を持っている。
穏やかに縄文血統と融和した。
古代、未知の大航海に、カラスやハトの鳥かごを載せていた。
見えない遠い陸地の発見の為に有用でした。
最初にカラスを放して、帰ってこなければその方向に陸地がある。カラスは土着する習性。
カラスが船に帰らないと判断すると、次に「帰趨本能」のハトを放ち、帰ってきたハトの足先を確かめた。
泥が付いていれば、飛んで帰ってきた方向に陸地がある。
シュメールの八咫烏
・・・古代ローマ帝国やオスマン帝国のものとみられる銅貨が、離島・沖縄の『勝連城跡』で見つかったことは、メソポタミア文明と日本文明の交流が、海を通じて行われていたと再認識致しました。銅貨という「現証」が顕れたのでしょうか。