「襲撃された飲食店オーナー」
アラムさんは1986年に日本語を学ぶために来日した。当時の日本は米国に次ぐ世界2位の経済大国。バブル景気で成長も著しく「英語を話せる人はいるが、日本語は珍しいだろう」と思ったことがきっかけだった。その後、日本の企業に就職。複数の企業を渡り歩いた。今では日本語も堪能だ。
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— aides (@aides_public) 2016年7月24日22:30 - 2016年7月23日
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■【ダッカ人質事件】「なんでうちの店が…」 襲撃された飲食店オーナーは事件発生時に訪日していた! 「テロには絶対に負けない」
2016.7.24 12:00産経ニュース
「なんでうちの店が…」。バングラデシュの首都ダッカの飲食店襲撃テロで、日本人8人が死傷した事件。事件現場となったレストラン「ホーリー・アーティザン・ベーカリー」のオーナーの1人、アラム・クルシド・マイケルさん(49)は事件発生時、日本に滞在していた。店は現在も、現地当局によって封鎖されたままだ。それでも世界から再開を願うメッセージが5千件以上寄せられており、アラムさんは「テロには絶対に負けない。絶対に店を再開させる」と語っている。
「はじめは強盗かと」
日本時間2日未明(現地時間1日)、アラムさんの電話が鳴った。「店にトラブルがあったようだ」。話を聞くと、武装した人物が店に入ったという。当初は「強盗に入られたのだと思った」と振り返る。
ところが時間を追うにつれて入ってくる情報は悪化の一途をたどる。
「爆弾を持っているという情報がある」「男が複数人立てこもっているらしい」「銃撃戦で犠牲者が出ているようだ」-。次々に伝わる最悪の知らせ。
「どうして自分の店でこんなことに…。理由が全く分からない」。やがて日本のメディアでも事件が報道されるようになった。
現地では治安当局がレストランに突入。テロリストを制圧したが、日本人を含む多くの死傷者が出てしまった。
後にイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)がかかわっていたことが明らかになる。レストランは外国人の旅行者が多い地域に立地し、比較的安全なエリアだったといい「絶対に危険なことは起こらない」という先入観があった。しかし、非道なテロリストからみれば外国人が多く集まる店は格好のターゲットでしかなかったのだ。
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