被災者の声を救援活動に反映、オスプレイが救援物資を南阿蘇村に輸送 私見『オスプレイが繋いだ絆』 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


クリップ引用 在日米軍海兵隊(沖縄)
在日米軍海兵隊・オスプレイ・沖縄女性の願い叶う 

南阿蘇村に必要とされている水などの救援物資を届けるオスプレイの女性海兵隊員
http://www.okinawa.usmc.mil/news/160420-hope.html





■被災者の声を救援活動に反映、オスプレイが救援物資を南阿蘇村に輸送

【沖縄県】「今、南阿蘇で一番必要なものは、水と、テントか寝袋なんです。揺れが怖くて屋内で寝られないんです」
 
4月14日、熊本県を中心に最大震度7の強い地震が発生した時、大宜味村在住の30代女性のMさんは、おばの介護のため滞在していた南阿蘇村で被災しました。


睡眠中も絶え間なく襲う余震。


村内を流れる温泉がいつになく高温になっている異変に気付き、彼女は早めに村を離れる決意をしました。


九州中の交通機関が麻痺し、5歳の娘を連れてレンタカーでなんとか点つなぎに移動する中、16日深夜にマグニチュード7.3の「本震」が発生。


大規模な土砂崩れが起き、いつもウォーキングしていた同村の阿蘇大橋も跡形もなく崩壊しました。


2日がかりで何とか命からがら沖縄へ戻った直後、テレビからは、数日前まで滞在していた南阿蘇村の変わり果てた状況を伝えるニュースが繰り返し流れていました。


いてもたってもいられなくなったMさんは18日、自宅に近い国頭村のオクマビーチに駆け込み、フロントスタッフに頼み込みました。


「南阿蘇では、お年寄りの方々でさえ寒さをこらえながら、建物の外で寝ているんです。ですから、もし米軍が救援物資を送られるなら、水と、テントか寝袋を送ってほしいんです」


まったく担当外の要望を聞いたフロントデスクの新垣季之さんでしたが、すぐに基地内のオペレーターと連絡を取り、米海兵隊報道部へ電話をつなぎました。


熊本県内の高校を卒業した新垣さんには、彼女の話が人ごとには感じられませんでした。


望を受けた海兵隊報道部も、すぐさま在日米軍へ要望を伝達しました。


その日の夕方前に、熊本県内の陸上自衛隊高遊原分屯地を経て南阿蘇村に到着した普天間基地所属のオスプレイ2機は、テント80張と1200本の飲料水のほか、食料や簡易トイレなどの救援物資を被災者に届けました。
 
「本当に、本当にありがとうございます。南阿蘇を離れられない皆さんも屋内の揺れが怖いので、テントがあると本当に助かっていると思います」


Mさんの要望のみで、救援物資が選ばれたわけではありませんが、被災者が本当に必要とするものが本震の翌々日には南阿蘇村へ届けられました。


Mさんの要望も、今後の支援の参考にするため、米海兵隊をはじめとするすべての関係機関で共有されました。


「おばのもとに水が届いたそうです。とても喜んでいましたよ」


オスプレイが着陸した同村の白水運動公園は、Mさんのおばの家の目と鼻の先にあります。  


 「あんな小さな運動公園に2機も着陸できるんですね。オスプレイに賛否両論あるのは聞いていますが、被災した身からすれば、救援物資をいち早く届けてくれるヘリを否定なんてできません」


20日、再びオクマビーチを訪れたMさん。


フロントスタッフをはじめ、米軍関係者の迅速な対応に感謝の気持ちを伝えました。

 

九州地方では観測史上初となる震度7を記録した熊本地震。


崩壊した家屋や道路など、地震の爪あとはあまりにも大きく、いつ復旧できるのかいまだ未知数です。


米海兵隊では、今後も引き続き、熊本地震の被災者と復旧活動の支援を行っていきます。

http://www.okinawa.usmc.mil/news/160420-hope.html



私見『オスプレイが繋いだ絆』

南阿蘇村の上オスプレイの女性海兵隊員 


南阿蘇村の上空にさしかかり、OKのサインを出すオスプレイの女性海兵隊員・・
女性の力は偉大です。