■ 悪魔のアイディア 毒ガス兵器 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

"Haber" Trailer - SJIFF09 Official Selection 
http://youtu.be/9vBNzI88qpg


  
 (夫)フリッツ・ハーバー博士 (妻)クララ・イマーヴァール


第一次世界大戦中、南米チリのドイツ所有の硝石鉱山(弾薬の原料)をイギリスに押さえられ、弾薬が不足するようになると、ドイツ軍は「陸軍省化学局」を新設、局長にフリッツ・ハーバー博士を任命した。
結果的に、弾薬不足を毒ガス戦で補おうとしたのです。

農薬の殺虫剤製造プラントは、容易に毒ガス・プラントとして転用できる。(毒ガス剤の大量生産)
フリッツは、天才的な化学者として毒ガス(40種類以上)を開発するだけでなく、大規模毒ガス戦を前線監督官として積極的に指導したのです。


毒ガスは、『戦争をこれによって早く終結させることができれば、無数の人命を救うことになる』

フリッツ・ハーバーの信念は確信犯です。

原爆投下は、『戦争をこれによって早く終結させることができれば、無数の人命を救うことになる』

同じセリフは偶然ではない、ユダヤ系の共通の思考のようです。

彼は、第一大戦後、ノーベル化学賞を受けています。


ヒットラーの時代、ナチスによって迫害され、1934年に無一文でスイスで死亡しました。


だが、フリッツ・ハーバーの信念は、現在のシリア紛争で亡霊となって甦った。

シリアが化学兵器使用…米欧情報機関の暫定結果

************************************************************************************


【参考】

フリッツ・ハーバー(Fritz Haber)は、ドイツ(現在のポーランド・ヴロツワフ)出身の物理化学者、電気化学者。ユダヤ人から改宗したプロテスタントである。空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法で知られる。第一次世界大戦時に塩素を始めとする各種毒ガス使用の指導的立場にあったことから「化学兵器の父」と呼ばれることもある。(wikipedia)

-------------------------------------------------------------------------------------

クララ・イマーヴァール(ドイツ語: Clara Immerwahr、1870.6.21日 – 1915.5.2)は、ユダヤ系のドイツ人化学者であり、同じ化学者であるフリッツ・ハーバーの最初の妻。(wikipedia)

クララは毒ガスの使用に反対で、そのことで夫と口論することもあった。クララは毒ガス実験中に研究室内で爆発がおきたときにも立ち会っていたし、実験動物が苦しみながら死んでゆくのも見ていたため、そのことも彼女の気持ちを毒ガス使用反対へと傾かせたのではないかと言われている。しかしハーバーは毒ガスの開発を止めることはなかった。

ハーバーの努力は、自身の監督のもとで1915年4月22日に実行された、ベルギーのフランドルにおける最初のガス戦という結果を生んだ。この戦闘の後、ハーバーはベルリンの自宅に戻った。ハーバーが自宅に戻った少し後、クララはハーバーの軍用ピストルを手に取り、庭に出て、空に向けて1発目を撃ち、そして2発目は自分の胸を撃ち自殺した。ハーバーは睡眠薬を飲んでいたため銃声に気付かず、遺体は息子のヘルマンによって発見された。死の翌朝、ハーバーはすぐに家を出て、ロシア人への最初の毒ガス攻撃を行うため東部戦線へと向かった。このハーバーの行動に対しては、冷酷だという意見がある一方で、ハーバーは目の前の仕事に取り組むことでしか、クララの死によって受けた悲しみからのがれることはできなかったと擁護する意見もある。またハーバーは1917年にシャルロッテ・ナータンと再婚した。

クララの遺灰はダーレムに埋葬された。その後、ハーバーが遺書に、クララと一緒に埋めてほしいと記したため、1937年、ヘルマンによって遺灰はスイスのバーゼルに移され、ハーバーと一緒の墓に埋葬されている。

************************************************************************************