■ 【阿比留瑠比の極言御免】 原爆問題-自虐のぬるま湯から出て日本が主張すべきこと | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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【阿比留瑠比の極言御免】原爆問題-自虐のぬるま湯から出て日本が主張すべきこと
2013.8.8 11:50 産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130808/plc13080811510011-n1.htm

 「私たち日本人は、唯一の戦争被爆国民であります。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがあります」

 安倍晋三首相が6日に広島市で行われた平和記念式典でこうあいさつし、原爆投下について 「非道」 という言葉で非難したことに注意をひかれた。式典には米国のルース駐日大使も参列しており、首相は歴史問題でやんわりと米国を牽(けん)制(せい)したといえるからである。

 折しも読売新聞には映画「プラトーン」や「JFK」で知られる米映画監督、オリバー・ストーン氏のインタビュー記事が掲載されていた。ストーン氏はこう語っていた。

 「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ」「日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたかを学んでほしい」

 このような見方は米国では必ずしも主流派ではないだろう。とはいえ多様な意見、見解が存在し、かつ堂々と表明されるのは米国らしい懐の深さだといえる。主要紙が平気で「原爆投下は神の懲罰だ」(中央日報)と書く一方で、自国に都合の悪い評論家、呉善花氏の入国は理由も示さず拒否する韓国とは全く違う。


 ただ、日本も韓国を笑ってばかりはいられない。戦後ずっと、原爆投下の理非追及も不当性や被害を訴えるのも控えめで、「戦争に負けたから仕方ない」と自虐のぬるま湯に閉じこもり、問題をあいまいにしてきたことは否めない。

 例えば、広島市の原爆死没者慰霊碑に刻まれた有名な碑文がある。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

 主語がはっきりせず、まるで日本人が「原爆を落とされるような悪いことはもうしません」と言っているかのように読める。

 実際、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事が広島を訪れた際にこの碑文を知り、「過ちは誰の行為を指しているのか。原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である」と憤ったエピソードはよく知られている。

 広島市のホームページによると、碑文の趣旨は「原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというもの」だそうだが、そう読み取れるだろうか。

 また、長崎市長を4期務めた本島等氏は平成10年8月掲載の産経新聞のインタビューにこう語っていた。


 一般市民が無差別に大量虐殺された日本側がこんな状態では、米国が原爆投下の正当化姿勢を改めることは期待し難い。オバマ大統領が21年11月に来日して首相官邸で記者会見を行った際、幹事社だった筆者はこんな代表質問を用意した。

 「過去に日本に2発の原爆が投下されたことについての歴史的な意味をどうとらえ、現在もその選択は正しかったと考えているか」

 「核なき世界」を目標とする大統領も、この質問には一切答えずはぐらかした。防戦一方で勝てるゲームはない。歴史問題をめぐって日本も、たまには相手の痛いところを突くぐらいした方がよいはずである。(政治部編集委員)


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「日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかった、と言わざるを得ない。東京大空襲や沖縄戦も同じだ」 (本島等長崎元市長)



本島等長崎元市長の認識では、「アメリカ軍”の太平洋戦線で数々の悪魔の所業」を知らずに、米国の広島、長崎の原爆投下、東京大空襲を仕方なかった、やむを得なかったと、戦後自虐観そのままです。
前提の数々の悪魔の所業・・・が間違っている。
日本軍の所業としても、広島、長崎、東京の大虐殺は、許されざる所業なのが理解できないようです。


これが、戦後の一般常識としたら、米国の占領政策は成功したということです。

こんな意識だから、アメリカ人は日本を『植民地』として扱い、アメリカ核戦略から日本の原子力政策が組み込まれたままで自由に動けないのです。
福島第一原子力発電所の廃炉、全国の原発再稼動についても、アメリカに配慮する羽目になったのです。

取り返せない事態まで時間を浪費しました。

日本民族の命運を保つには、『戦後の拘束衣、歴史認識』から自由になることです。

見た目は超国家主義に見えたとしても。

今日も放射能が流れ出している・・・。