■■【再掲】中国人民解放軍の五星紅旗と元寇 歴史の連鎖(spiral)★アメンバーを公開に変更 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


中国人民解放軍の五星紅旗と元寇 歴史の連鎖(spiral) ★アメンバー

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偶然、「中国大使館教育処」が日本工作の拠点と知りました。

東京都江東区平野にある中国大使館教育処(東京都江東区平野2-2-9)
は、江戸時代からある寺の墓場跡です。
(関東大震災、戦災などで区画整理された地域)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl

強いシンクロニシティ現象は、信仰と縁に因って顕れる。

この墓場は、先祖が弔われた場所であった。



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(長野聖火リレー)


長野聖火リレーに大量の留学生を指揮、動員したのが、ここであったのです。

私を悪夢に誘った震源地だと気づきました。

その当日の長野市で、巨大な五星紅旗を振る中国人留学生たちの有様を見届けています。
チベット旗を、暴力的、組織的に巨大な五星紅旗で覆い隠したのです。


*邪悪な”心”、邪悪な”物”、邪悪な”処”を「夢見」で凝視していた。


*[過去ブログ]

■長野聖火リレー事件のシンクロニシティ遭遇は動画に記録された



長野聖火リレーの後、旧盆に先祖の墓に御参り致しました。

こんな近くに指令部隊が居たとは・・・


中国人の侵略意識が、
鎌倉、幕末に奔走した若い先祖の血が甦ったのでしょうか。


どんどん不思議な事が起きています。

中国大使館教育処での謀議は、幕末戦士の霊に視られている。


さらに歴史の連鎖(spiral)を感じるのは、

元寇を予言した日蓮大聖人・立正安国論の韮山での埋経を見届けた子孫に起きる不思議なのでしょうか。


これまでも、偶然が多すぎる。必然を感じます。


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[参考]

台湾は日本の生命線!
「中国大使館教育処」は都内(江東区)に聳える「工作員指揮所」
 
(付:チャンネル桜の「大使館問題」報道動画)
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1512.html


江東区の住宅地に立つ中国大使館教育処

たとえば中国大使館の機関はあちこちに置かれているのだが、その一つである教育処(東京都江東区平野二-二-九。責任者=孫建明公使参事官)を見てみよう。

これは看板のとおり、中国人留学生を「教育」する機関であると同時に、留学生などを工作員に仕立て上げ、指揮する基地でもあるのだ。


〇八年、各大学の中国留学生学友会が長野市での北京五輪聖火リレー現場に大量の留学生を動員したが、その学友会を指揮するのもここである。

その大きな建物は住宅地の真ん中に聳えている。地元の人によれば、時々大勢の中国人が最寄の駅からここを目指してぞろぞろと歩いているという。警察官に「あそこがスパイ養成機関だと知っているか」と聞くと、「知っている」との答えが返ってきたそうだ。

今回落札されたのは、都心の一等地約五千六百七十七平方米。こうした敷地の拡張は、やがて日本が藩属するあかつきに、中国大使館が宗主国の出先機関として、日本国民に威容を示す下準備でもあるのではないか。

そしてそうした日の到来を求めて教育処は、これからも工作員を日本社会に浸透させて続けて行くのだろうか。

いずれにせよ、はっきりと言えるのは、中国大使館は全国国民が警戒しなければならない敵性の存在であるということだ。

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*【速報】中国大使館教育処前が機動隊による24時間警備(監視?)
http://youtu.be/-hwQrCgR2w0
 

(公開日: 2012/10/06 )



*[うたた寝の夢]


平成の元寇(中国)が始まっている。


高麗(朝鮮)が手引きした。


歴史の再来ですぞ。


「驀直前進」・・・


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「驀直前進」
(南宋からの渡来僧無学祖元の進言)

1281年(弘安4年)、弘安の役の一月前に元軍の再来を予知した南宋からの渡来僧無学祖元は、北条時宗に「莫煩悩」(煩い悩む莫(な)かれ)と書を与え、さらに「驀直去」(まくじきにされ)と伝え、「驀直」(ばくちょく)に前へ向かい、回顧するなかれと伝えた。これはのち 驀直前進」(ばくちょくぜんしん)という故事成語になった。無学祖元によれば、時宗は禅の大悟によって精神を支えたといわれる。なお無学祖元はまだ南宋温州能仁寺にいた頃の1275年に元軍が同地に侵入し包囲されるが、「臨刃偈」(りんじんげ)を詠み、元軍も黙って去ったと伝わる。(Wikipedia)