満州國の国都・新京 戦後中国のモデルになった | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。



The capital of Manchuria 1/2 満州国国都、新京《前編》
http://youtu.be/7LAAM2JSnr4





The capital of Manchuria 2/2 満州国国都、新京《後編》<
http://youtu.be/tir3-u3OL8Y








国都建設計画事業第一次施行区域図(1934年)



【参照】

日本外交文書デジタルアーカイブ

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/index.html





満洲國がそのまま発展したら日本が二つ在るのと同じ。
欧米、ソビエトは、日本が満州と伴に強国になることで脅威を感じていた。干渉したのです。


戦後、満洲を侵略した毛沢東は、日本のお陰で手に入れられたと、満洲國の国都・新京を見て絶賛したそうです。彼らの歴史観では、満州は異国でした。新京は、満洲族の故地であり、漢人・蒙古人の侵入を禁じる「満洲封禁政策」が執られていたが、漢族、蒙古族、朝鮮族の入植が相次いでいた。(現在の長春市)


日本が蓄積した都市計画、工業化プランを、「日中友好」で得た巨額な日本資金を使い、そのまま中国は取り入れた。

中国の都市計画は日本モデルです。

若い人が日本より道路が広いと言っているのを聞くと・・・それは日本の先人たちのお陰だと呟いています。



日本の戦後復興を実行した人たちは、満洲國官僚、殖産、満鉄、鉱山開発、銀行、貿易など満洲國建設に携わった人たちです。

戦後、満洲國建設をタブー視して内地の人に隠されました。

話題にすると、「他人の土地を奪った」と、教師がすぐに否定したのです。満蒙開拓団の悲劇は、”自業自得”とまでホザク左傾教師やマスコミ人がいました。

病院、教育、交通、通信、ガス、水道などのインフラ整備、信用できる商業、新たな雇用などの莫大な投資を歓迎していました。日本人を満人は尊敬していたのです。



動画を見れば、満州建設の映像から日本人の底力を感じるでしょう。アジアの歴史に現れた奇跡の光芒が、「満洲國」です。


その満洲國の主要な満洲人を絶滅させたのは、戦後侵略した漢族主体の中国人の共産党政権でした。

*追加 【中共】7分で判る中華人民共和国の歴史
http://youtu.be/jgWd3ud6T4c

現在になるも、満洲國、内モンゴル、ウイグル国、チベット国を次々と侵略して民族浄化を続けている。



日本人が満洲國建設に携われたことは誇りです。建設者であって侵略者ではなかったのです。