薬師如来像が盛んに作られてきたのは、チベットと日本です。
(薬師如来は古代では一番信仰された仏さま。菩薩の時代に立てられた「薬師十二大願」の内、第七願の除病安楽が大きく取り上げられて広く人々の病気を治し延命にするだけでなく、精神的な苦痛までも取り除くという至りつくせりのお医者さんです)http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/yakusinyorai.htm
老荘思想と儒家思想に膠着した儒学の中国と朝鮮国ではとても少ない。
シルクロードの道筋、ウイグルの敦煌に見られる。(中国とは云えない)
住むには自然が厳しいチベットと、自然に恵まれた日本なのに偶然ではないようです。
両国とも 古代からのアニミズムが伝わっている。
中国の中原では、民族の興亡が激しくてアニミズムが伝わっていない。
断絶の歴史です。
日本とチベットのアニミズムは、仏教伝来の「薬師如来」が受け入れやすかったのでしょう。
現在もチベット医は、治療前に薬師如来像に祈りを捧げます。
両国は、阿吽の呼吸で通じる土台があるようです。慈悲の心です。
昔の話です・・・が。
戦争の混乱の満洲國で 彷徨う病気の日本人の子どもたちを救ってくれたのは、薬草の知識と慈悲の心を持つラマ僧(チベット仏教の僧侶)と満人でした。
戦争は8月15日で終息したのではありません。僻地の引き揚げは、混乱が長く続きました。
敬虔なラマ教の信仰を持つ満人の少ない満洲國の北(*現在の中国延辺朝鮮族自治州の北方)では、ほとんどの子どもたちの命は絶たれた・・と、深く記憶しています。
アフリカ・ルワンダ虐殺の悲劇を想像してください。
満洲國では、前の第13世ダライ・ラマ法王(1876
~1933)は、親日家で知られていました。
戦争の混乱前から、敬虔なラマ教の信仰を持つ満人と日本人は穏やかな交流をしていました。
生前、チベットへの中国共産党の侵略を正確に視ていたのです。
■聖なる遺書 13世ダライ・ラマ法王(トゥプテン・ギャツォ)の予知夢
テーマ:チベットの運命
聖なる遺書・・・
「チベットは、宗教、政府の両方が”内外から攻撃を受ける”であろう。
もし、我々みずから自国を守らないならば、ダライ・ラマとパンチェン・ラマ、父と子、すべての尊敬すべき宗教的指導者たちは、この国から姿を消し、無名の者になってしまうであろう。
僧も僧院も絶滅されるだろう。
法の支配は弱まり、政府官僚の土地、財産は没収されるだろう。
彼らは己の敵に奉仕させられ、物乞いのように国を彷徨うことになろう。
すべての者が塗炭の苦しみに喘ぎ、恐怖に晒され、昼も夜も苦悩に重い足を曳きずってゆくだろう。」
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今の世で・・
チベットの人たちは忍苦の果て、抗議の焼身自殺するまでになりました。止まりません。
(現在、2012年11月27日時点では85人。若年化している!)
若い人の覚悟の死を止めるのは、この日本の声は大きく響きます。
慈悲の心が分からない中国共産党政権下の中国を、最貧国に戻す力を持っているのです。
声を挙げましょう!
[拡散] チベット中央政府 (CTA)から グローバル連帯の日、12
月 10 日の声明文
高句麗の以前から満州族の住まう土地であったが、清代に入るとこの地を満州族の聖地と見なし一般人の出入りが禁じられた。そのため人口密度が極端に低い状態が続き、そこへ貧困から当地に密入国する朝鮮族が増え不法に定住を始める。清政府は、その対策として取締りの強化とこの地への中国人の移動を許可するにいたったが、満州国時代になると日本への不法移住朝鮮人の受け皿としてこの地がその役割を果たすこととなった。日本統治下において、日本本土への渡航を禁止された朝鮮人の大半は本土への不法移住から満州国へと流れた。この時期には合法・不法問わず多くの朝鮮人が移住を行っている。(wikipedia)