過去からの聲 ソ連時代の日本兵士捕虜に関する新資料 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

【資料】

ロシア ソ連時代の日本兵士捕虜に関する新資料を日本に引渡し
http://japanese.ruvr.ru/2012_08_27/roshia-nihon-heishihoryo-ni-kansuru-shinshiryou-nihon-hikiwatashi/

イタルタス通信が日本の厚生労働省からの情報として伝えたところによれば、ソビエト連邦にいた日本人兵士捕虜に関する未研究の資料が日本に引き渡される決定がなされたという。
これは今週モスクワで行われる事前協議で検討される。未研究資料は護送部隊に関するもので、日本がこの分野について大量の資料にアクセスするのは初めてとなる。文書の複写作業は2013年4月から開始されることとなり、そのための予算はすでに日本政府予算に組み込まれているという。このような資料があることについては、以前の協議でロシアから伝えていた。日本人捕虜に関する資料は1991年4月から日本に対して提供されており、特に約70万件の登録証が引き渡されたほか、収容所で死亡した約4万1千名のリストも作成されている。

日本が第二次世界大戦で降伏した後、ソビエト連邦は連合諸国との合意にしたがって、中国東北部、朝鮮北部、サハリンおよびクリル諸島で約60万人の日本人兵士を捕虜にとった。彼らは主にソビエト連邦内、もしくはモンゴルにあった収容所に送られ、日本政府の調べによれば、約5万5千名が死亡したとされている。 (The Voice of Russia)


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ソビエト軍による日本兵捕虜輸送から、行方不明者の行方が判るでしょう。

私の叔父は満洲で”軍籍のない”警察官をしていましたが、”陸軍の補助憲兵”だとの難癖でソビエト軍に拘束され、シベリアに抑留されました。

軍隊に所属していない日本人は、抑留されている軍人たちのヒエラリキーに所属する事もなく、より過酷な強制労働でした。体格は大柄で、ロシア人より骨太でしたが、やっと日本に帰還した時は、栄養失調で見る影も無くなっていました。

日本に帰還した捕虜になった軍人間の情報交換はありましたが、叔父の様な軍人でない身分の人たちの行方は掴めないのです。

少年たちも見掛けたと言います。
明らかに軍人ではありませんでした。軍服に似た国民服を着ていただけで抑留されたのです。
帰還船に、彼らの姿はありませんでした。



日本政府の調べによれば、約5万5千名が死亡したとされていますが、そのような人数では有りません。

捕虜の記録は問題があります。
ソビエト兵は字が書ける者が少なく適当なものでした。
まして、輸送途中で倒れた日本兵は射殺され、そのまま遺棄しています。記録などありません。


昭和20年から数年して、ソビエトから、中国共産党軍と北朝鮮軍に”奴隷として引き渡された捕虜”は3万人づつと推定されています。唯一人、帰還した者はいません。

日本政府には、
この輸送記録を精査して、輸送した記録があれば、中国政府と北朝鮮政府に、安否と行方の確認を求めてもらいたい。
(虐殺されているのかもしれない)


過去からの聲です。


合掌


追記   日本人の遺骨調査で北朝鮮へ出発
8月28日 15時32分 (NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120828/k10014591191000.html

*本日、日本人の遺骨問題で日本と北朝鮮に動きがありました。
消えた抑留者は、ロシアの捕虜輸送リストが重要なポイントになるでしょう。
中国と北朝鮮にとって触れられたくない問題に、敢えてロシアが介入した!