■宗祖 日蓮聖人と「シンクロニシティの現証」 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

新しい読者向けに ざっと書いてみました。

以前からの読者には、記憶にある事も載せてあります。

日々 少しづつの気付きがあるので記事にしたくなるのです。


鎌倉時代いらいの日蓮宗門徒の檀家です。

どのような宗派でも、信徒の方ならば、御自身の宗祖について関心をお持ちであると思います


ただ、私は熱心な教団活動の信徒ではありません。

団体活動が、子供時代は苦手でした。
人が群れると・・・不思議な「ひとあたり」があり、邪気を受けてしまい嘔吐するからです。
現在も多少の影響が残っているようです。(エンパス?)


さて・・・
畏れ多いことながら

[宗祖 日蓮聖人は、明らかに シャーマン(霊媒)体質であられた。]

日蓮聖人は、「法華経の行者」としての強固な信念が固まるほど、受難すると予言していました。
苦難に遭うと知りながら、その人間離れした行動力と精神性に驚かされます。
しかし、「御書」に残された言葉には、人間味ある現実的な配慮で感謝と勇気を与えてくれます。

むざむざ殺されろとは説いていません。
避けられる手だてを尽くし、勇気をもって強固に生きよ! 

日蓮聖人は、昨今の ”いじめ殺し”なぞ 赦さないでしょう。

大津・中2自殺、またも生徒に口止めか
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120707-00000043-jnn-soci

孤立した少年を守る”釈迦の人道思想の大人たち”はいなかったようです。
異相の者たちです。



[時は鎌倉時代]

立正安国論の建議が原因で執権北条氏より伊豆流罪とされました。

流人輸送の船より、伊東の俎板岩(まないたいわ)に打ち棄てられるも、奇跡的に漁師の船守弥三郎に救われた。(命拾い1)
(不思議なことに、日蓮聖人を守護した子孫は、後々困難に当たって命拾いをすると謂われています)

そして、伊豆・韮山埋経(立正安国論)の不思議。

流罪を命じた北条氏一族の同族とも云える江川氏が、日蓮聖人に帰依して守護したのです。歴史の謎なのです。牢死するのが当然の時代でした。(命拾い2)


小松原の剣難 数百人の襲撃を受ける。弟子の一人は防せぎ奉り 討ち死にする。
日蓮聖人は太刀筋の一閃を受けるも 奇跡的に逃れられた。 (命拾い3)


相模・龍の口の頸の座(処刑場での斬首) 不思議な ひかり物 が渡り来たり首切りは取りやめられた。 (命拾い4)
(依智の本間館での明星天子の奇瑞。  梅の枝に星が降り 守護している証を示された)

流罪の島、佐渡では、「塚原問答」にて論難の場が設えられた。法論に負ければ殺されます。
見事な本懐で打ち破りました。(命拾い5)

2度の流罪(伊豆 佐渡)からの御赦免なぞ あり得ない出来ごとです。
しかし、
元(モンゴル)の使者の到来で、処置に窮した鎌倉幕府は、急遽日蓮聖人を佐渡から呼び戻しました。
曰(いわ)くある立正安国論を聴きたかったからです。なぜ予言したのかの根拠を問い質す為。

元寇の御神託(立正安国論)・・・神憑きの御神託に因るものとしか思えません。

高麗の手引きで来襲した 蒙古、高麗、旧南宋軍を殲滅しました。サムライたちは、外患の存在を叩き込んだ日蓮聖人の言説を聞き及んでいたからです。
サムライはリアリストです。九州諸氏に用心と出動計画は立てさせていたのです。現代のように精神的な無防備状態ではなかった。


一つ一つの命拾いは奇跡です。
その一つの危難に遭うと、常人は呆気ないほど簡単に死んでしまいます。

2度の流罪(伊豆 佐渡)からの御赦免なぞ あり得ない出来ごとでした。

奇跡的な命拾いを”連結”すれば、「シンクロニシティの現証」と気付くでしょう。

すべてが奇跡です。
日蓮聖人は、法華経守護の諸天善神が守っていると、 危難に遭うほど確信を強めていったのです。
それが「法華経弘通の場」にシンクロニシティ現象が顕現したのでしょう。

確信が、シンクロニシティ現象を「フロー」にするのです。
信仰の場に現れるのです。

「文証」、「理証」は、一つの「現証」にしかず ・・・理屈立ての「推論」では、実際の事実の一つで木端微塵。


「祖師様の衣の袖は短い」

法華経の行者としての日蓮聖人の事蹟に関心をもって調べるようになったのは、過去生の夢の一片からです。

あいにく、最も古いと謂われる「祖師像」とは異なる夢でした。
寺歴とは違うのです。
祖師の短い袖に掴まる手は小さかったのです。

観光のつもりが、「デイジャヴ」に会い、激しい感情の高まりが、「巡拝の旅」に変わりました。幼い頃の霊媒体質に引き戻されたのです。

まだ旅の途中で・・
750年を遡っています。



Ryuichi Sakamoto - Little Buddha (Acceptance-End Credits)

filoage さんが 2008/11/24 にアップロード


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尚・・・
不思議の謎解きから、市井に生きる者です。
議論はいたしません。


どなたにとっても 人生は短くなったのですから。