スピリチュアル系の中では、ネガティブな言葉は、少なからず忌避される扱いです。
ネガティブな事を自ら招き寄せていると。
そうでしょうか?
「意味ある偶然のシンクロニシティ体験」では、あり得ないと実感しています。
区別されていません。
哀しいシンクロニシティにも度々、遭います。
子供の時の哀しい体験を、自ら望むはずもありません。
峻厳な事実です。
他人や動物のネガティブな悲しみに気づく超感覚とは、内なる意識に感応することです。
シンクロニシティ体験者は、内なる意識に注ぎ込まれる「何らかの存在の意思」に気づくでしょう。
それは、言語での意識の伝達ではありません。
幻聴に陥る幻視でもありません。
「夢と一致するシンクロニシティ」が、意識を伝えてくる手段だと、今は思います。
夢による意識の一方的な伝達です。
此方から返すことは、未だに出来ておりません。
意識の交流、
「対話」には至っていません。
人生観を変化させるようなシンクロニシティ体験は、人の思いのままに応えてはくれません。
まるで、謎かけのように降ってきます。
一つ一つ、謎の意味を解いていくと、
更に、謎かけが降ってきます。
清浄な、濁りのない「意識の交流」を感じたいと願う。
内と外の乱(ノイズ)を除きたいとの思いがあります。
煉獄の石積み・・
かもしれない行為ですが。
短稿でした。