8/10(土)四天王寺に秘仏「試(こころみ)の観音」を見に行く。 | カモワンタロット・セラピーで人生に奇跡を起こす! ~烏庵ブログ~

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シリウスから来た宇宙創造主

カモワンタロットリーダー

SORAヒプノシス・マスターヒプノセラピストの

烏庵・タロローグ健です☆

 

2024/8/10(土)は

四天王寺に行って来ました!

 

8/9(金)と8/10(土)の2日間は、

四天王寺では「千日詣り」の日。

 

この日は観音信仰の広まりとともに出来た日で、

「千日詣り」の日にお詣りすると、

文字通り、千日続けてお詣りしたのと

同じ功徳がある日とされています。

 

四天王寺では「千日詣り」の時だけ

秘仏である『試(こころみ)の観音』が御開帳されます。

 

試の観音』は本尊である救世観世音菩薩を造る時、

試しに造られたものであると伝えられ、秘仏とされています。

その半跏思惟の姿は、広隆寺の弥勒菩薩に似ているので、

おそらく救世観音は弥勒菩薩に同じなのだと思われます。

 

◆そんな日があるなんて全然知らなくて、

2日間だけ秘仏が公開されるよと聞いて、
じゃあ、行ってみよう(^O^)/となったんです。

 

あと、金堂の下には、

青龍』が棲む池があるという話も聞いて、

それも行くきっかけになりました。

 

四天王寺は何回も行ってるんですが、
春分・秋分の日の「日想観」とか、
境内に四天王寺中学・高校があるとかぐらい以外は、

実はあんまり知らない。

ちゃんと境内をお詣りしたことない。

 

◆四天王寺は、かの聖徳太子が

蘇我氏と物部氏が争っているときに

「蘇我を勝たしてくれたら、四天王を祀るお寺を作ります」

と四天王の像を作って誓願したのは有名なお話。

 

その甲斐あって、蘇我が勝ち、四天王寺を建立しました。

 

元々の場所は現在の場所じゃなくて、

上町台地の北部で、前期難波宮の近くの
「玉造」の岸上に作られたとされています(現・森ノ宮あたり)

 

また前期難波宮の跡地を調査した時に、
難波宮が出来る前の古い地層から

「素弁八葉蓮華文軒丸瓦」が出てきています。

(※次の記事で少し触れる予定です)

 

当時、瓦が使われていたのは仏教寺院だけで、

出てきた瓦は、四天王寺の創建時と同じ文様の瓦であり、

この辺りに四天王寺があったことが分かります。

 

やがて、現在地に移されるわけですが、

その時に「青龍」が棲むと伝えられている

荒陵(あらはか)の池の上に金堂を建てて、封じたのです。

 

◆というわけで四天王寺をお詣りです。

・石鳥居(西門)

 

・引導石と釣鐘

※石鳥居を出て、信号渡ったところにある

釣鐘屋本舗さんでは「釣鐘まんじゅう」を売ってます。

明治三十三年創業の老舗です。美味しいですよ☆

 

・西大門(極楽門)

石鳥居から真っすぐ行くと極楽門。

春分・秋分の日の「日想観」は、この門で執り行われます。

 

・転法輪

極楽門の4つの柱にそれぞれ付いていて、右に回します!

 

・太子殿入口。

この奥の前殿(拝殿)で秘仏とご対面しました。

中に上がると畳の間の奥に厨子があり、祀られていました。

とても小さくて、はっきりとお姿を見る事は叶いませんが、

お祈りしてきました。

 

この2日間だけは、秘仏のカードお守りが買えます(500円)

なので、カードで、そのお姿をしっかりと拝見しました。

これが秘仏なのか~。

 

・南大門

いつも石鳥居の方からお詣りするんだけども、

本来の入り口は南大門なんです。

 

・中門(仁王門)

南大門から入ると、中門があり、そこから五重塔・

金堂・講堂と南から北に向かって一直線に並ぶ配置を

「四天王寺式伽藍配置」と言います。

 

・五重塔

中に入って上まで登れます。最上階には舎利塔があります。

上りは右回りの螺旋階段。下りは左回りの螺旋階段。

土足禁止。階段は結構、急できついです。

 

・金堂(五重塔の向かいにあります)

この下に「青龍」が棲む荒陵(あらはか)の池があります。

 

金堂内は撮影禁止。

中央に聖徳太子御本地救世観世音菩薩。

その四方を持国天・増長天・広目天・多聞天が守護しています。

 

本地というのは本来の仏の姿という意味です。

なので、聖徳太子御本地救世観世音菩薩というのは、

聖徳太子の本当のお姿は、救世観世音菩薩ということなのです。

 

本地仏に合掌しつつ「青龍」に、

水の恵みに感謝の祈りを捧げてました。

 

・龍の井戸(向こうに見えるのは金堂)

 

・丸池「上の池」

ここからは境内の池を見てきました。

 

・石舞台と亀の池「中の池」

(お盆祭りのセットが組まれてますね)

 

・亀遊嶋辯天堂(月無池)「下の池」

たくさん池がありますね。

「上の池」「中の池」「下の池」の3つ合わせて

四天王寺三池と言うそうです。

この一帯が「」の聖地だというのがよく分かります!

 

・役行者像(何故、役小角が…?)

 

・伊勢神宮遥拝石

説明によると四天王寺四石というのがあるんですね。
そこまで意識して回ってなかったです(笑)

それは次回に持ち越しで~。
遥拝石の奥に見えるのが東大門。

 

・東大門

四天王寺、思ってたより広いです。

この後はもう一度『青龍』と『試の観音』をお参りしました。

そして、南大門から外に出て、庚申堂へ向かいます。

 

◆庚申堂

南大門から南に200mほど行ったところにある

四天王寺の飛び地境内社。日本最初の庚申尊が出現したところ。

 

・山門

 

・本堂(本尊は青面金剛童子)

 

・庚申塔群

 

・七福神

 

・九頭龍大権現

ここでも『』を祀ってるんですね!

たとえ飛び地の境内社であっても祀る。

四天王寺は『』の聖地です。

 

◆まとめ

元々、四天王を祀るために建立した四天王寺。

それがどういう経緯で本尊が変わっていったのか。

それは分かりませんが、聖徳太子は仏教を篤く信仰し、

特に『法華経』を重視したといわれています。

 

『法華経』では弥勒菩薩が重要な役割で出てきます。

一般的に弥勒菩薩はお釈迦様の次に仏陀(覚った者)となって、

人々を救済するとされている仏様です。正に救世です。

 

しかし『法華経』では、

弥勒菩薩が次の仏陀である。というような感じでは

書かれていないと、僕は今のところ解釈してます。

万人成仏を説いているのが『法華経』

 

ですが、太子信仰と一般的な弥勒信仰とが結びついて、

太子御本地救世観音信仰になっていったのではと思われます。

 

僕は創建の経緯から、重要なのは『青龍

つまり「」が湧き出る聖地への信仰を重視したい。

四天王は守護するチカラの仏です。

 

最初は勝利の誓願から祀った四天王。

それを水の湧き出るところへ移したのは、

聖地を守り固め、生命の源や人の世の流れがつきることなく

連綿と続いていくことを祈ったのかもしれません。

 

『法華経』は万人成仏であり、皆が仏となれることを、

救世の志を持った菩薩が湧き出てくることを説いている。

それはあたかも湧き出続ける「」のように

仏の流れも続いていくことを願ったのではないだろうか。

僕はそう思うのです。

 

最後に改めて秘仏に合掌です。

 

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全ては奇跡。

素晴らしすぎる奇跡に感謝です。

 

有難うございました。

合掌。

 

 

烏庵・タロローグ健