どんな素晴らしい言葉も、
実践している人の言葉は、それがたとえ、
お釈迦さまは「人を見るなら、その行動を見よ」と言った。
外見や肩書、
どんなに口ではカッコいいことを言っても、
3大聖人の残した「聖書」「論語」「仏典」は、
実践が伴った教えには、何千年の時を超える真の価値がある。
「教えには実践が伴う」という言葉を胸に刻みたい。
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私には些か耳の痛い言葉。馬齢を重ね、実戦に力が落ちて行く等と言って泰然自若として居る場合でない。
ある時新聞の4齣漫画で見ました。とある男性が日頃から「俺、甘いモノは苦手なんだ。承知して置いて呉れ。」その後如何にも甘そうな饅頭が配られた。「甘いモノは苦手と言って居るだろうが!」とその人物は怒鳴る。彼を睨む上司。男性は泣きながら「美味しいですっ」と饅頭を頬張る。
こんな事が頭に浮かんで来ました。今なら立派なハラスメン トですね。
でも、摂食障害では次元が違う辛さですね。摂食障害の経験のない私にはこれ以上何も言えません。言う権利も有りません。
日刊ゲンダイも財政難で広告 が多い。でも、読むべき記事がある。
「今、此の時を生きる事が大切」と仰りたいのだろう。
以下古市憲寿氏のTwitterより(@poe1985)
色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。
日曜日に日本テレビの選挙特番で、東京都知事候補だった石丸伸二さんと初めて話しました。中継のせいなのか、出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。
全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。
たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて国政進出を否定しませんでした。都道府県知事というのは「行政の長」です。一方で国会議員になるということは、「立法府の一員」となる、ということです。法律を作る仕事ですね。
だから知事を目指すことや、市長であることと、国会議員を目指すということは、「転職」といってもいいくらい違う仕事の話なんです。だからその点を質問されたら、答えって何パターンもないんですよ。
具体的に作りたい法律の話をするか、行政の限界の話をするか、になるはずなんです。仮に現在は意思がなく、仮定の話だったとしても、です。てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。
たとえば僕は国会議員になりたい気持ちは全くないですが、たまに取材などで「もし国会議員になったら何をしたいですか」と聞かれることがあります。その時は具体的に、作りたい、修正したい法律の話をします。曖昧に「少子化対策」とか「東京一極集中の打破」とか言っても意味がないんです。だってそれは、国会議員以外でもできうることだから。世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。なぜ他の仕事ではなく、国会議員なのか。それって結局は、法律の話なんです。
だから、やりたいことが具体的な人の場合、行政と立法が混じるってことは、あんまりないんですよね。あるとしたら、何でもいいから政治家になりたい場合。どこでもいいから選挙で勝てばいいと考えている場合。(それは他の候補者にも言えます)
あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの? 僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。
だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。でもならなかった。こっちとしては不思議でした。
今回のやりとりのように「答えない」という戦略があってもいいと思います。だとしたら、選挙特番などの番組自体に出ない方がよかったと思うんですよね。
もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、テレビ局からの出演オファーは全て断りました。
石丸さんって、YouTubeやTikTokなど、自分が主役になれて、演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。いい部分だけを見せてきた。これは別にネット特有の現象ではなく、昔からある一流俳優さんのブランディングと近いです。極力、トークやバラエティ番組には出ない。出演するとしたら、自分に配慮してくれる司会者のいる、自分が主役になれる番組だけ。実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。
そういう戦略でやってきたんだったら、「私を応援してくれた方にまず感謝をしたいんです」と言って、開票が始まってからは、支持者とだけ交流して、それをYouTubeなどで流せばいい。その切り抜き動画の拡散と、「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。一流俳優戦略を貫けばよかったのに、惜しいことをした、と他人事ながら勝手に残念がっています。
あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。
もし石丸さん支持をもっと増やしたいなら、石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。
政治ってもちろん最後は戦いです。敵と味方にわかれて戦うわけです。でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。これで失敗してきた先人がたくさんいるので、一応共有しておきますね。論破とか攻撃ではない、新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。(お前が言うなって言われそう。山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)何にせよ民主主義は風前の灯火かも
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私も民主主義は「風前の燈」と言う考えを持って居る。1. 貧富の格差が拡大しても「上級国民」が「勝手気儘は自己責任原則」を押し付けて来る。2. 「シンギュラリティ」の到来に気付かず、大量失業の到来を自分事ではなく、他人事と捉える人が少ない。3. 「シンギュラリティ」でAIが人間を環境汚染の眼鏡と捉え、根絶やしにしようと動く虞れを抱く人々が絶無である事。
「痩せて居ても元気」と言うのは、自分の「理想の体型が実現した達成感、喜悦感」が原動力にあったのではないでしょうか?思春期男子も体型を気にする場合がありますが、飽くまでも「イケメン」「特に勉学に優れて居る」人達の内の少数者がその「思春期痩せ症」に取り憑かれるのではないでしょうか?
多くの男子は筋肉を鍛えて筋肉美を自慢してマウントを取ったり(私も高校時代、「腹筋が割れて居ない事で『肥満』と一部の男子に揶揄嘲笑、嘲罵敵視の対象になって居ました。大学時代から鬱病になる迄自分の決めた筋トレを行い、筋肉質度合いを高めて行った事があります。筋肉が熱を生み出す「鎧」となった事を実感しました。鬱病になって筋トレを辞めた最初の春は「何時迄も春が来ない様な寒さ」に困惑しました。
又、極端な肥満も相手を威圧する武器になりました。当時は健康診断の基準も緩かったのか、メタボも飽く迄も「成人病」と考えられ、若者には適用されて居ない様子でした。そんな脂肪も熱の発散を妨げる「鎧」となって、そんな彼は何時も暑そうで、冬でも学生服の前をはだけ、中はTシャツだけでした。
痩せて居た20年前の大切な御友人の事、大変気になさるのも十二分に理解出来ます。知人に「探偵」、「弁護士」は居られませんか?格安で「探偵」の方に探して貰い、「弁護士」の方に説得して会ってみる事は出来ませんか?御一人で抱え込むのではなく、叱責されても良いから、と言う覚悟で御家族と相談されては如何でしょうか?
『冒険的になったときには、人間が大変肯定的になっている証拠だ。
コンサバティブ(保守的)になっているときは、人間は否定的だ』
肯定とは「イエス」ということ。
「ノー」と言った途端、すべての話はそこで途切れる。
肯定的になったときだけ、人は冒険的になれる。
夢や希望を持つ事ができ、元気が出てくる。
反対に、否定的になったとき、人は失敗を恐れ、チャレンジをしなくなる。
できない理由を探し、夢や希望を打ち砕く。
そもそも人は、「できる方法を探す」より、「できない理由を探す」という習性がある。
否定だけしていれば、行動しなくてもいいからだ。
肯定的な人は「笑い」が多い。
そして、いつも機嫌がいい。
否定的な人は笑わない。
そして、いつも不機嫌だ。
誰かが突拍子もない意見を言ったとき、それを「面白がったり」「大笑いする」ような人はそれを肯定している。
「笑う」ことは、それを「受け入れている」ことだからだ。
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笑う事と「肯定する」事は必ずしも単純に繋がる物ではないと思う。私の曾祖父は早くも15歳で父を亡くして冷酷無情な世間に放り出されたと言う。地主ではあったが、若い彼を舐めて怠ける小作人達を監視する為寝る間も惜しんで田畑に出て作業した。無理が祟って結核となったが、齢90迄生きた。
彼が一切笑わなかった事は眉間に刻まれた深い皺が雄弁に立証して居る。


