戦争に限らず 辛い想いをしているのは いつも下っ端の国民ですね ( ̄。 ̄;)
どんなことでも、成功するには情熱がいるんです。
あなたが情熱の波動を出せば、必ず、もっと情熱を傾けたくなるような現実が 引き寄せられる。
それが成功なの。
じゃあどんなことなら情熱が持てるかというと、自由に、楽しくできることだよね。
だからこそ、好きなことしかしちゃいけない。
成功したかったら、人の脅しに乗ってる場合じゃないんです。
おしゃれが大好きな人は、誰かに「無駄遣いばかりしないで、もっと有効なお金の使い方をしたら?」なんて脅されても無視するんだよ。
もしあなたが脅しに負けて、突然「世界平和のために洋服代を節約して、そのぶん寄付をします」みたいな真面目なことを言い出したら、あっという間に不幸になっちゃうからね(笑)。
いや、いいんだよ。
あなたが本当に寄付をしたいのであれば。
あなたは、自由に好きなことをしていいんです。
楽しめば楽しむほど豊かで幸せに満ちた人生になるし、それが周りの人のためでもあるんだ。
2018/04/10 07:20 讀賣新聞オンライン
外国人観光客の増加、SNSで拡散される「秘境」、アニメや映画の舞台となったスポットへの「聖地巡礼」。観光は地方活性化に期待される産業の一つだ。宿泊、交通、飲食など幅広い業種への振興につながるだけでなく、地域のブランド化による企業誘致、定住・移住促進などにも弾みがつく可能性がある。しかし、「せっかく楽しみにしていたのにがっかり」「期待はずれ」と評判を落とす懸念もある。地方の観光地化のリスクとは。企業アドバイザーの津田倫男氏に解説してもらった。
資源が少なく、夜道も安全な故、観光立国を目指す日本の観光地が此の為体で一体どうするのだ!?
6/22(土) 11:10 Yahoo!ニュース
讀賣新聞オンライン
ホンダが、排気量50cc以下の「原付きバイク」の生産を終了することがわかった。国際基準に合わせて2025年から適用される排ガス規制への対応が困難と判断した。バイクでシェア(占有率)トップのホンダの判断は他メーカーにも影響を与えそうだ。
ホンダの原付きバイクは1958年に販売を始めた「スーパーカブ」シリーズが有名で、累計1億台以上を生産。世界で最も売れたバイクとして知られる。国内では郵便や新聞配達など主に商用で使われてきた。
ただ近年は電動アシスト自転車や電動キックスケーターの普及もあり、原付きの販売は低迷。日本自動車工業会によると、ホンダ以外の他社も含む50cc以下の原付きの生産は80年に約250万台だったが、2022年は約15万台と大幅に縮小している。
25年から始まる排ガス規制では、50cc以下のエンジンだと排ガスを浄化する機能が不十分で、基準を満たすのが難しいという。
警察庁は、排気量125cc以下のバイクを普通乗用車の免許で運転できるよう法改正を行う方針を示している。ホンダは今後125cc以下の生産に注力し、新基準に適合した一部の人気車種は生産を継続する方向で調整しているという。
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それらしい理由が勿体振って羅列されて居る。だが、要するに、日本も日本人も貧乏になって軈て発展途上国の映像で散見されるバイクが我が物顔で乗用車の間をすり抜けて行く光景が常態化すると言う事であろう。
日本の食料自給率が危機的状況に、許容添加物の種類も世界最多、家畜の自給を放棄して輸入頼み。日本は国民を餓死させる積もりか?
誕生月の6月、暴力の標的に
ゴールデンウイーク谷間の昨年5月1日。6歳の命を奪った一家の虐待は、ここから激しさを増した。
この日、一家の自宅近くに住む女性が、修ちゃんが窓から顔を出して「助けて」「部屋から出られない」と泣き叫ぶのを見つけた。
修ちゃんが通う保育園の保育士の連絡で、西区役所の職員が駆け付け、別の部屋にいた祖母(58)に事情を聴いていると、外出していた家族4人が帰ってきた。
修ちゃんの母、沙喜被告(35)と叔母で双子の朝美被告(31)、朝華被告(31)。そして、4カ月ほど前に同居を始め、一家の主導権を握っていた叔父の大地被告(33)だった。
職員に対し、大地被告は「修が家族に暴力を振るうことがある」「手に負えない」と主張し、沙喜被告らも同調。話し合いの末、こども家庭センターが一時保護することでまとまった。
だが翌日、事態が急変する。修ちゃんを連れてセンターへ向かった祖母に、大地被告から「一時保護はやめる」と連絡が入った。沙喜被告が「修と一緒にいたい」と懇願したという。
修ちゃんの体には、4月にあざが見つかっていた。虐待が疑われる中で泣き叫ぶ姿が目撃された。家族には知的障害があり、一時保護もすぐに撤回した-。
市はこうした事情を把握しながら、6月1日を最後に家族と接触せず、警察に連絡することもなかった。
手をこまねく行政を横目に、一家では大地被告が暴力で家族を服従させる構図を強めていく。5月17日の自身の誕生日を祝ってもらえず「6月は地獄の月にする」と口にした。
標的となったのが、6月2日に誕生日を迎える修ちゃんだった。その明確な理由は、「4人の供述の中でも大地被告が特に一貫性を欠く」(捜査関係者)ため、明らかになっていない。
ただ、取り調べで沙喜被告への恋愛感情を打ち明けたことがあったという。大地被告が主導したとされる暴行について、捜査関係者の見立ては一致する。
「沙喜被告が修ちゃんをかわいがるのを気に食わず、嫉妬していたのだろう」(井上太郎、井沢泰斗、小川 晶)
たかまつなな「“蓋を開けたら東京の人ばかり“みたいに、逆に多様性がなくなる可能性は」
6/22(土) 14:40 Yahoo!ニュース
ABEMA TIMES
6月は、東京都が定める「就職差別解消促進月間」。そこで都が発表した、就職面接に関する動画が賛否両論を呼んでいる。面接官が「ご兄弟はいるの?尊敬する人とか」と問うと、助手が「その質問、就職差別としてとらえられる可能性があります」と静止。面接官は「私も昔、大先輩から同じ質問を受けた」と反論するが、「応募者の資質、能力、適性と関係のない事柄や本人の責任ではない事項の質問は就職差別に該当します」と指摘される――。
東京都は、面接などの採用時に就職差別になる可能性がある質問として、本籍や出生地、家族の職業や地位、学歴など「本人に責任のない事項」、宗教や支持政党、尊敬する人物など「思想信条など、本来自由であるべき事項」などを挙げている。この動画にSNSでは肯定的意見がある一方、「なんでも差別にするとコミュニケーションがとれない」など疑問の声が圧倒的に多かった。
「出身地は?」「同居している人は?」「将来どんな人になりたい?」「愛読書は?」、このうちどれがNG質問にあたるのか。企業の雇用問題などに詳しいベリーベスト法律事務所の齊田貴士弁護士は、「全部NGだ」と説明する。「東京都の動画と同じく、本人に責任がない事項であり、採用可否の理由になってはいけない」。
時事YouTuberのたかまつななは、NHKのディレクター時代の経験から、「あえて地方から採用して、多様性を担保していた。出身地を採用基準にしないことで、“蓋を開けたら東京の人ばかりだった”みたいな、多様性がなくなる可能性があるのではないか」と疑問を呈する。
これに齊田氏は、「面接で聞くことが、能力や適性を判断する上でふさわしくないということ。出身地等の情報は面接以前の履歴書でカバーでき、特に不都合は生じないだろう」と答えた。
職業安定法の第5条5では、「労働者の募集を行う者は、その業務の目的の達成に必要な範囲内で目的を明らかにして求職者等の個人情報を収集し、使用しなければならない」(抜粋)とされている。同居の人の有無も「求人への適性を判断する上では関係がなく、不適切な質問とされている」と齊田氏。
「将来どんな人になりたい?」については、判断が難しい質問だ。「社内業務についてであればOKだが、個人の思想信条の自由に関わる可能性がある。あくまで採用面接の場は、適性や能力があるのかを問う質問に限るべきというのが、東京都や厚生労働省の考えだ」。
たかまつが「反対に『どのようなキャリアを積みたいか』を知ることで、企業との適性や成長の可能性を判断することも大切なのではないか」と問うと、齊田氏は同意しつつ、「そこはケースバイケースで、質問の内容によって工夫しながら情報収集すべき」と語った。
齊田氏によると、不適切質問で会社が負うリスクは「違法」「イメージダウン」の2つ。前者は、職業安定法違反や、厚労省からの指導・改善命令があり、懲役6カ月以下もしくは30万円以下の罰金の可能性も考えられるという。後者は、求職者によるSNSへの書き込みによって、従業員のモチベーションが低下する、取引先の信用を喪失する、などだ。
では反対に、しても問題ない質問はどういうものなのか。「応募動機は?」「就職後にやりたい・目指したいことは?」「目指すべき仕事人としてのイメージは?」「これまでの経歴(職歴)実績は?」「自社のイメージは?」など、生い立ちや嗜好に無関係で、採用試験の目的に合致するものや、知る必要があることであれば問題ないという。
また、齊田氏が「必ず確認すべき質問」としているのが、採用後に詐称がわかりトラブルになる「資格や経歴」。また「犯罪歴」は、「質問されない限り」答える必要がないため、提出書類に「賞罰」欄を設けるか、面接時に質問する必要があるとしている。「採用後に就業規則違反などのトラブルになりやすいため、面接の段階でしっかり企業として確認すべきだ」とした。(『ABEMA Prime』より)
元俳優を襲った病とは
二度の移植手術を経て6年経過した現在、SNSにて前向きになれる言葉を発信し、現在はカフェを経営しています。
どんなときでも、前向きさを忘れないえびなさん。一体どんなきっかけがあったのでしょうか。えびなさんに話を聞きました。
診断前の体の変化
白血病と診断される前、派手な転び方をしたわけでもないのに、膝のアザが2週間ほど治らない、みみず腫れのようなものができる。そんな誰もが見落としてしまいそうな体の変化があったえびなさん。
「治りが遅いのは年齢のせいか。もう若くないしな〜」と、特に気にせず過ごしていました。
えびなさんは、お母さんへふざけ半分にアザの写真を送ります。この写真を見てお母さんは心配し、すぐに病院へ行くよう連絡したそうです。
「病院に行って安心させてあげるのも親孝行だ」と、翌日えびなさんが病院へ行くと白血病と告げられました。
「今日だけは泣いていい?」
白血病と医師から告げられたときの心境を語ってくれました。
「ドラマのなかでの病という認識で、現実のものとしてしっかりと落とし込めませんでした。営業職だった私は、当日の打ち合わせや今後の業務はどうしたらいいのかと、職場に迷惑をかけてしまうことが申し訳なくて、病に落ち込むということはなかったです」
今後のことについて、真っ先に考えがめぐったようです。
しかし、その数ヶ月後に余命を宣告されたえびなさん。29歳のときでした。
「その日ばかりは『死』というものがすぐそばにあると思うと、悔しくて、つらくて、悲しくて、泣いても泣いても涙が止まりませんでした。家族には『今日だけは泣いてもいい?』と言って、一日中泣いたことを覚えています。しかし私はこれまで『過去の出来事をネガティブに考える時間があれば、今の自分にできることを、未来の自分ができることを考える』というスタンスを大切にして生きてきました。だから翌日には思考を切り替え、これからの自分の命や時間について深く、前向きに考えていました」
いつまでも悲観することなく、翌日には考え方を変えたえびなさん。病気になる前から大切にしていた考えが、えびなさんを奮い立たせてくれました。
未来の光を信じて
闘病生活は無菌室で過ごし、病気と向き合ったえびなさん。自身が想像する痛みがすべて同時に起きるような、苦しさやつらさがあった闘病生活だったと言います。
悲観し、絶望してしまいそうですが、えびなさんは違いました。
「下向きに過ごしていても現実がよくなるわけでもない。家族やSNSなど、さまざまなところから元気玉をもらった私は前を向き『未来は明るい』と信じ『これもまた過ぎるだろう』と、永遠なんていうものは世の中にないことを逆手にとりました。つらい現実はいつか過ぎ去る。一過性なものだと考えると、未来の光を信じて病と向き合いました」
より一層、命とは何か、生きるとは何か、幸せとは何かと考えるようになったえびなさん。命が短いと医師に告げられることは、20代のえびなさんには過酷な現実でした。
4年間に渡る長い闘病生活を経験したえびなさん。完全に治ったわけではありません。その他にも、治療後の影響により6つの病を持っています。
苦しくつらい経験だったと思いますが、得られたものもあったようです。
「個人の体験としては経験しなくていいものだと思っています。つらい経験は誰だってしたくないですし、しないほうがいいです。でもその反面、闘病生活があったからこそ、人の温かさをダイレクトに感じることもできました。また、人は1人では決して生きていけないと改めて心の底から思えることができました。いいことも悪いことも経験している深さが深ければ深いほど、その人の厚みのような、深みのような何かにじみ出るものを増す大切な体験だとも思っています」
えびなさんのコメントからは、強さを感じました。嫌な記憶としてだけではなく、その体験から何を得ることができたのか考えるのは、誰でもできることではないでしょう。
他の人のために
えびなさんは、病名が判明してからSNSで発信するまで、約10ヶ月の期間が空きました。そこには、周りに心配をかけたくなかったという理由が1番にあったそう。
しかし、余命宣告をされたことをきっかけに、病と向き合い前を向くことの決意表明は、きっと誰かのためになれると信じ、えびなさんは発信を決意しました。
SNSへ投稿をはじめてみると、予想以上に「頑張れ」「勇気をもらってる!」とコメントをもらったえびなさん。SNSでの発信は、えびなさんをさらに前向きにしてくれたようです。
「人のためにと思って始めたことが、逆に自分にとっても病と闘う勇気や活力、エネルギーとなってより一層生きるという思いが強くなりました」
「他の人のために」えびなさんがこう考えるようになったきっかけがあります。社会に出てから、俳優を経験したえびなさん。CMやドラマに出演したときも、家族や友人が「えびちゃんの活躍に、元気をもらってるよ!」と言ってくれたことに幸せを感じました。企画営業の職に就いたときもオーディションを企画し、夢を持っている人のために仕事をしていると幸せを感じたそうです。
「病になったときも『自分のために生きる!』だと活力がみなぎらなかったんですよね。自分のためなら、こんなにつらい治療とは向き合えないなという思いもしました。
でも『人のために生きる』と考えると、いかなる環境でも強く生きることが可能なんだと気付いたのです」
えびなさんが生きることに希望を持ち続けたのは、周りに人がいたからでした。誰かのためになっていることが、自身が生きる意味。今もこう思ってえびなさんは生きることに向き合っています。
現在、カフェを経営しているえびなさん。病気になってから食生活を見直し、大豆製品を積極的に取り入れたことが、余命3ヶ月と告げられた事実をいい意味で裏切った成功体験だとえびなさんは考えています。
カフェのコンセプトは『そっと今日が、きっと未来へ』自身の考える正解を押しつけるのではなく、寄り添うお店を作りたいと思い『SOYLOVEU』を立ち上げました。
「私自身、足が不自由であるため重たいものが持てません。作り上げていく過程で、さまざまな人々のサポートがあったからこその当店です。今もたくさんの人に支えられながら踏ん張って営んでいます」と、話すえびなさん。
お客さんからは「健康的で美味しい」と言ってもらえ、とても嬉しく感じているとのこと。嬉しいコメントが日々の活力となり、心を込めて丁寧に商品を作っています。
また、SNSなどでえびなさんの病を知ったのがきっかけで来店してくださった人から「勇気をもらっている!会える場所を作ってくれてありがとう!」など、感謝の思いをダイレクトに伝えられることも。
ともに嬉し泣きをしてしまうときもあるそうで、店内では温かい時間が流れます。
えびなさんは今後、カフェの継続はもちろんのこと、病を抱えながらもできる生き方を体現し、現在さまざまな壁と闘っている人が前向きになる存在になりたいとのこと。
「この記事が、つらい現実は『これもまた過ぎるだろう』またきっと『未来は明るい』と前を向けるきっかけのひとつとなれることを願っています」
えびなさんは今日も自分の人生と向き合います。
ほ・とせなNEWS編集部
私の知り合いのブロガーさんが「摂食障害専門カウンセラー」を始められたそうです。鬱病は受け付けて居ないとの事で残念ですが、陰ながら応援させて戴きたいと思います。
2024-06-21 12:00 ORICON NEWS
2020年に史上最年少18歳で『グラミー賞』主要4部門を独占受賞した米シンガー・ソングライター、ビリー・アイリッシュ(22)が20日、東京・原宿の『ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』ポップストア(21~23日開催)でトークイベントを開いた。
最新アルバム『ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』(5月17日発売)のプロモーションのため来日中のビリーは、抽選で当選した合計50人を対象としたトークイベントを開催。今やスタジアムクラスの会場でなければ会えないほどの存在になっているビリーと至近距離で交流できる最初で最後かもしれない貴重な機会とあり、会場の周辺にも多くのファンが詰めかけた。
会場には、ビリーのコスチュームからインスパイアを受けたと思われる同世代を中心に、さまざまな世代のファンやリスナーが集結。座席にはビリー直筆のポスターをはじめとする豪華なプレゼントが用意されており、特別な空間感が漂うなかビリーが登場し、大歓声が沸き起こった。
カジュアルなファッションで現れたビリーは「本日は集まってくれてありがとう。大好きなみなさんと会えてとてもうれしい」とあいさつ。最新アルバムについて「前回の来日公演をした頃から取りかかったもの。とても大変なこともあったけれど、気づいたら完成していたという感じ」と話した。
さらに「これまでで最も正直で自分をさらけ出している作品になった。本当に純粋に素のままの私が表現されている作品になったと思う」「過去の作品もありのままの自分ではあるのだけれど、弱さをさらけだすことに抵抗があった。また、以前はみんながこれを聴いたら喜んでくれるのかな?みたいな期待に応えられるものを作ろうという気持ちが心のどこかにあったけれど、今回は自分が本当に描きたい音楽というものをとことん追求することができた気がする」と胸中を明かした。
今回の来日ではプライベートで楽しめる時間はないと苦笑い。「でも、車窓から東京の景色を見ているだけでも美しい気分になれるから、それでいい」と言いつつも、お忍びで1軒だけ足を運んだショップがあると明かした。どの店かと聞かれると「アハハ。それは内緒だよ」と明るくはぐらかした。
来場したファンからの質問に答えるQ&Aコーナーも。「日本で最も印象的だった出来事は?」の質問に対し、「14歳の頃に初来日をして以降、大好きな国。2018年にサマーソニックで初パフォーマンスをしたときに感じた、みなさんの私の音楽に対する真剣な思いに、とても愛を感じたというか感動した。また、今回の来日でもわざわざ空港にお出迎えしてくださったファンの方々の熱狂ぶりも忘れられない。これからの人生において大切な瞬間になることでしょう」と答えた。
それゆえに、日本の人気アニメの世界からインスパイアを受けて制作したという「CHIHIRO」は、アルバムのなかでも特に大好きな楽曲だという。「自分がアニメの主人公になった視点で制作した楽曲。これまでも映画の主題歌やサウンドトラックを手がけたことがあるのだけれど、自分じゃない誰かを想像して音楽を作るのって大好き」と声を弾ませた。
「もし誰かになれるならば?」という質問には答えに困り、会場にいた母親に助けを求めたものの「結局自分は誰にもなりたくない」と回答。「だって、人それぞれにさまざまな問題がある。誰かになるってことは、それを抱え込まなくてはいけなくなるから。自分だけで精いっぱいなのに、これ以上はムリ」と笑っていた。
予定時間を大幅に超えても、ひとつひとつの質問に対して誠実に応じビリーは、最後に日本のファンに向けて「ずっと応援してくれてありがとう。みなさんの思いはちゃんと私に届いている。また、お会いできることを楽しみにしています」とメッセージを送った。
その後は来場者全員と記念写真を撮影し、ファン数人をハグするなど超貴重なファンサービスも。日本語で「ありがとうございます」と伝えて大盛況のイベントを終えたあとも、来場者はビリーのフレンドリーで愛にあふれた神対応に感激していた。
きょう21日から3日限定で原宿のBA-TSU ART GALLERYで開催されるポップ・アップ・ストアでは、環境問題に積極的に取り組むビリーらしく、サステナブルな素材で作られた東京限定のTシャツや、これまでのビリーのアルバム(日本未発売のカセットテープ含む)などがラインナップされている。
「ビリーアイリッシュ」さんとは?
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「2020年に18歳で史上最年少でグラミー賞主要4部門を独占した人物」を知らない点で可也重症の「親爺」と自認せねばなるまい。

