今日は 太鼓の日だった

稽古と出演


その際 素敵なものを いただいた


太鼓の会に

モノづくりの師匠と言えるべき方が いらして

趣味で篆刻(てんこく)を されている


年賀状のご挨拶に

「篆刻で どんぐり小屋が 欲しいです」 と

ひとこと厚かましくも 書いて送ったら


なんと 作ってくださったのです・・・




なんと 温かい

素敵な デザインだろ


篆刻は 地域のイベント等で

体験コーナーが 開かれていたりして

私自身が 作ることもできるのだけど


私は 師匠の作ったものが 良かったんだ


「宝物にします」

そう 伝えました


私は モノづくりを 好んでする人間だから

「心を込めた手作業」 の中に

その人の 何ものかが 注入され

充填され 生きることを 知っている


それを 感じられる人間が

大事に大事に 使ってくれることが

作った人間にとって 最高の喜びであることも

よく知っている


器用な師匠に どんなお返しをしていいか

ちょっと 思いつかないのだけど

まずは 大切に 

使わせてもらうことかな


これから どんぐりで出すお手紙や案内

卒どん証書などに

ずっと 捺させてもらおうと思います


来週は これをしまっておく 入れ物を

作ろうかな


            ペタしてね

今の畑


保育室の畑の小松菜 大根類の葉は

霜で すべて黄色く枯れた


どんぐりの小松菜類は 

残っているところは 残っている


その差は なにで決まるんだろ

地温? 日当たり?

成長具合・・・?




小さく見えているのは 菜の花の蕾


うん そうそう

まだ寒いのは これからなのに

春をしっかり感じるのは

ここの自然の中に ずっといるからだろうな


敏感に 移り変わりを

肌で感じる


もう冬は あっという間に

過ぎてしまうこと


昔は

風が吹く1月から2月が

一番の「冬」 という気がしていたし

単に 体感温度で 四季を判断していた


自然の中に 居なかった7年前とは

私も

随分 変わったよな・・と 思う





我が家用に 大根を一本抜いた

細いけど えらく長い大根だった


キクイモも 掘った

両方 豚汁に入れて 夕飯でいただいた


その四季折々の 食材を

その季節に 生きている身体が 頂くこと


これを 常々続けていくことこそ

本当の 健康法だと思う


実証できたらいいのに


きれいごとではなく

ホントに無敵の体を作る 基本なのだと

実証して 叫んでやりたい


その季節に その季節の風やお日様を浴び

その季節に そこに生えているものを 食しなさい

それが あなたの体を 健康にする





野郎たちが来て

今日も 餅を焼いた





焼くのは 餅と 決まっていたから

最初から いい炭を作るために 火を起こし

ひたすら 炭になるまで 火を燃やした





炭になったところで

野郎たちを呼び 餅を焼いた


居る人数を確認して 餅を切り分けた

野郎たちは 

後から来た人も ちゃんともらえるように

気を配っていた


オプションで持ってきていた チーズすら

細切れになるまで 

みんなで分けて食べていた


「限りあるものを 居る人数で 分け合うこと」


これは 彼らがここで

自然と身に着けたこと


当たり前のように 彼らがいつもするのだけど

これは とても大事なこと

誰かが こうしろ! と 言って

するのとは 別なんです


また遠慮して

自分は要らないと 言うのとも別なんです


なんでも たくさんあればいいってもんではない

そこに在るものを

ある者たちで 分け合う


この精神は 

底知れない 強さと優しさ

加えて 創意工夫の逞しさを 育む


             ペタしてね

最近 どんぐりのクヌギとコナラには

ヒヨドリさんたちが たくさん休みにくる


夜の寝床ではないのだけど

ある一定の時間に みんなで羽を休めている様子

糞が たくさん落ちている




声がうるさいとか 糞が汚いとかいう理由で

たとえば 居場所である この木を切る・・・という選択を

人は あらゆるところで してしまうよね・・・


これって ほんとに浅はかなことだと思う

「うるさい」 「汚い」 という理由で

他者の居場所を奪い

どこかへ追いやるなんて

己は それほど偉い存在か??


根本なにも 変わらず

ただ 身勝手に 排除する思考回路は

どこか間違っている


なーんてことを ちらっと思いながら

手に取ったのは 小さな角材

土ぼこりまみれの杉




この間 よしさんの誕生日なことがわかり

しばらく 作るものを考えながら

仕事をしていた


ふと  

「あれ・・ なんで今まで思いつかなかったのか?? 」

と思うほど

いいアイデアが浮かんだ





作ったのは 「どんぐり」

この形は コナラだね

今まで 思いつかなかったのは なんでだろ


本物の どんぐり自体が 転がっているからか??


杉のどんぐり・・  

オーパーツだ

ありえない存在だね

杉はどんぐりの実を つけないから


たまごちゃんよりは 少し難しくはあるけど

子どもらがくるまでの1時間半ほどで 削れた

 



今日のどんぐりは

じゃがいもを焼いて 餅も焼いて

短い時間に いろいろ食べられた 美味しいどんぐりだった



なんだかんだ 

やはり子どもらと居ると

元気になるもんだね


ありがとう どんぐり野郎たち





帰宅して よしさんに作ったどんぐりと

並べてみた


昨日作った 小さいのを よしさんに贈ります

お誕生日 おめでとう


                ペタしてね

昔からの日記って とってあります??


先ほどね

ずっと気になっていた 過去数十年の日記を

見つけられた限り すべて処分しました

かれこれ 中学生の頃からのが

何冊もとってあったのです


自分が生きてれば

誰かに観られないようにもできるけど

自分亡きあと・・ 

息子たちにでも見られようものなら

恥ずかしくて 成仏できなそうなので

気になっていたわけですよ


私は

小さい頃から 思考好きで

言葉で ものを整理して 考えて

展開させて 答えを言葉で探して

方向性も 言葉で表現して

進んできたの


今も 多分にその傾向がある


過去の日記など

相当に恥ずかしいものではあるのだけど

過去の自分を弁護すると・・


それをしなきゃ

進んでこれなかったんだ


自分の中で生じる言葉は 

その当時の 私の足をふらつかせないように

少しは 支えてくれていた


決して最初から 前向きではなく

ネガティブ極まりない 面倒くさい人間だったと思う


そんな子だったから

幼少期から 面倒をかけた人間は

たくさん居る 

忘れてくれているかもしれないけど・・


そこから抜け出すのも

やはり言葉が 必要だった


それゆえの 膨大な日記だったと思う


だから

その日記を 否定したり 恥じたりする必要は

ないのだけど

どうしても 読み返したりする気にはなれなかったな

率直に

ものすごく落ち込みそうで 


今 書いているコレも

相当の後に見たら 

同じような恥ずかしい文に なるのかもしれないが

転機はね

書いとかないと ステップ踏めない性なんだよね

困ったもんだね


けど ネット上に書いたら

シャラッと 削除するだけで

捨てられるから ゴミがでなくて便利だ



今はね


「言葉」 には 支配されまいと

ちょっと思っているんだ


感覚でいけるような

フラットな世界を 愛せる自分に

近づいていこうと思っている


「言葉」 には 感謝しているけど


最終的には

感謝に尽きるのだけど


しばらくの間

言葉を超えた 世界で

感性開けっぴろげで 突き進もうと思う


この「言葉」の羅列も 

恥ずかしくなったら

シャラッと 削除してしまおう


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クヌギは 葉が落ちたら

剪定しなくちゃと ずっと 思っていた


けれど なんとなく

そういう気持ちになれないと やる気がしなくて・・。


どちらかというと そういう気持ちになった時に 

やるべきだという気がしていた




道路にはみ出た部分

葉が茂ると かなり うっそうと車にかぶさってくる


クヌギにあいさつをし

今日 切ろう・・ という気持ちになった





直径8センチくらいの枝を 4本くらい切ったかな


ここの枝は 子どもらが木登りする際に

重要な枝なので

あまり短くは 切らない


近隣の方々と 

うまくやっていくために 必要な管理作業


私の場合・・

勘で やっている・・としか 言いようがないな

木々と畑と子どもたちに対する 運営管理


だから 誰か 代わりにどんぐり運営してくれ・・と

頼むことが できない

頼むあてもないし

頼んだところで できる人が

今のところ 思いつかない





これ よく見えないけれど

コナラの子ども 2本


ポクたちがいたころに

コナラの子孫として 残すために

「ピー助」 と名付けて植えた


1本植えたら 数年で 枯れたようになり

もう1本 隣に植えたら

ひこばえして 元の子も 復活した


2本近くに生えていると

どちらも大きくなれないから

落葉したら どちらかを切らねばならなかった


どちらかというと

虫食いがちだった方を かなり下のほうから剪定





この子は きっと 死んでしまうから

崇めるために

神様を作った





ピー助の神様


この子を 「コナラの神様」 と言って

通用するメンバーは 

今 もうあまりいない


ポクが居た頃 まだ幼稚園生だった子は

この子を見ただけで 「神様だ」 と口にする


木を切ることなんて

普通の人には 些細なことであるのだろうけどね


ポクにとっては 自分が植えた子

ピー助のうち 1本を切ることにあたっては

「俺の観ていないところで切って 

とこさんに任せるから」 と 言われていた


だから 帰宅してから

ポクには 「ピー助の神様だよ」 と 報告し

わが家の一角に 奉りました


そこにあるものと

「つながる」 というのは

そんなところからかもしれない


その場にいなくても

繋がれるような 奥行のある経験を

もっと たくさんの子どもらが できるといい


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