ネイティブアメリカン講座で
涙した内容
それは 私の中で おそらく
ずっと 悶々と 渦巻いていたことを
すっかり解消してくれるようなことだった
同じ講座を 前に観ていたのに
その時は 自分のこととして 受け取らなかったんだね
ネイティブアメリカンの精神において
「健康」とは
宇宙との 調和
その調和が 崩れた時に ヒーラーは
万物と・・・一体化するよう
見えないように働きかけ 完全体に戻す
全体のリズムから 離れてしまったとき
もとに戻す 「架け橋」 となるのが ヒーリング
その架け橋が 目立つことはタブーであり
姿が見えない 目に見えないもの
無償の愛にこそ 価値がある
グレートマザー 「地球」 は
無償の愛で 生命を 包んでくれている
故に 地球と一体化である わが身は
やはり
無償の愛で 外界と かかわるべきなんだ
私ね
「どんぐり」 は
有意義だから 続けてきた
だけど 客観的に 一般論的に考えてみると
私の 行いは
すぐに 理解されるようなものではない
置かれている状況からして
生活費も ままならない家の母が
常識外れな 選択で
無償で 時間と 労力を 奉仕していることを
理屈で 「然るべき」 と 結論付けるのには
なかなか たいそうな「正論」 が 必要で
もしくは 誰かの
説得力のある 感謝の言葉や
激励の言葉が 必要で
それが無いと
ふと 一般論的な 視点から
自分を眺めるにつけ
有意義と わかっているにもかかわらず
「みじめな」 気持ちに なることが しばしばあったんだ
どんぐりを 終えるたび
やってよかったと 心底思う
にも関わらず 繰り返し 押し寄せる
「孤独感」 と 「みじめさ」
空気のような
単に 風景のような 存在感のない自分・・・
価値があるであろう「どんぐり」という場の中で
空気のように 存在する自分
理解されない みじめさなのか
自分で 自分の首を絞めているような みじめさなのか・・
その「みじめさ」を 払拭できれば
私は かなりの強靭な心で
どんぐりを 続けられると思った
ネイティブアメリカンの精神において
どんぐりが 「ヒーリング」 なら
それは 目に見えてはならないんだ
あ・・・
これは 「みじめ」 なものなんかじゃなく
空気のようで 然るべきなんじゃないか
そうあるべきで あったから
私は 自ら どんぐりの中の
風景になったんじゃないか?
そう思った
そしたら 涙が出た
ならば 私は
目に見えない存在として
ここに通う子の
ヒーラーとなろう
それは みじめなこと なんかじゃない
「空気」 で然るべき なんだ
「本当に大事なものは 目に見えない」
何度も 耳にした言葉だったのに
初めて 自分の生き方の中で
腑に落ちた 気がする
もう 「みじめ」なんて
自分を 思わない
思いそうになったら
思い出すようにする
宇宙との 調和としての
自分の存在を














