人の一生は・この世は、夢か現か幻なのか。
喜寿を前に自分の人生を振り返りながら&今の生活を考えながら&これからの死に至るまでの人生・生活を想像しながら、色々と考えてみたわけですが…………。自分のバカな頭では「下手な考え休むに似たり」で到底及ばないので、私の気に入った関連した名言(?)を拾い集めてみました。
以下の通りですが、名をなした武将・政治家も、哲学者・思想家・芸術家も結局のところ、つまるところ私と大差があるようで結局は似たり寄ったりなのかと。栄華を極めてみたところで、名声を得たところで、絶大な権力を得てみたところで、大金持ちになったところで、ほんの短い現世での出来事に過ぎずほんの一瞬の泡沫のようなもので、死んだら終わりで土に帰るか骨となるか。名声を残しても名作を残しても財を残しても、自らは現世には存在せず。死後はだれもが似たり寄ったりかと、今となってようやく得心してわかってきた気がします。
そんなことを考えていると、嘆かず、悔やまず、威張ることもなく、節約はしてもケチることもなく、自分にできるところで人様のお役に少しでも立つことができればそれが私が生きている意味なのだと、私が存在している意義なのだと、そんなことを考えるようになりました。
今までもブログで私の心情を語る時に引用させてもらっていたのだけれど、中島みゆきさんの『命の別名』のなかに「……何かの足しにもなれずに生きて 何にもなれずに消えていく 僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい……」というフレーズがあるのだけれど、それに深く共感しながらも、同時に別の自己存在の捉え方もあるような気がしてきたと言うことです。
病気しつつも、入院や入院・手術をしつつも、まだ命があって自立して身体が動いていることに感謝しつつ、そのうちには人手を借りなくてはならなくなって、人のお世話にならねばならなくなっていくのだから、今のうちに人様のお役に立てること、お手伝いができることがあれば進んで喜んでやらしていただこうと。そんなことを思ったりもする今日この頃です。
少なくともこの世に生まれてきて生かされて活かされてきたこと、家族や知人と生きていること、自分なりに目的を持って時には働きがいを感じて働けたこと、思うに任せぬ事は多々あったけれども自分を「不幸」だと自死まで考えた「絶望」に陥らずに生きてこれたことetc………よくよく考えると感謝して余りある人生を送らせていただいていたのだなあと……。
矛盾したり支離滅裂であったりの思考ですが、そんなことも考えたりもしています。
* 「露と落ち 露と消えにしわが身かな 浪速のことは夢のまた夢」(豊臣秀吉の辞世の句)
* 「人間(ジンカン)五十年 化天のうちを比ぶれば夢幻(ユメマボロシ)の如くなり 一度(ヒトタビ)生を享(ウ)け滅せぬもののあるべきか」(織田信長の好んだ能or幸若舞の」『敦盛』より)
* 「祇園精舎(ギオンショウジャ)の鐘の声 諸行無常(ショギョウムジョウ)の響きあり 沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色 盛者必衰(ジョウシャヒッスイ)の理(コトワリ)をあらわす 奢(オゴ)れる人も久しからず ただ春の夢のごとし」(『平家物語』)
* 「人生は一度しかない(唯一回性)」= 死の先駆的覚悟」(ハイデガー)= 死を自覚したとき、初めて人は自分の人生を生きることができる。
* 「行く川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず よどみに浮か泡沫(ウタカタ)はかつ消えかつ結びて 久しく留まりたる試しなし。」(『方丈記』鴨長明)
* 「起きて半畳寝て一畳 天下取っても二合半」(出典不明)
*「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」(高杉晋作+野村望東尼)
なにかどれも「禅」的な感じがしますね。仏教はすごいですね。……………… ごきげんよう。