兵庫県知事選の結果から思うこと。齋藤氏の是非もだが、民衆の変化・社会の変化。 | 太郎椎茸のブログ

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 とりとめもない?こと、思いつくままに。

 

 兵庫県議会の不信任決議を受けて失職した齋藤氏が知事選に再度立候補して大量得票を得て当選した。

 不信任を受けて失職した人物が最多得票を得て大差で返り咲いたことには正直驚いた。兵庫県議会の「議員全員の不信任」は何だったのか? その決議の「軽さ(?)」に驚かされた。県議会議員の認識、新聞やTVの報道の側の認識と兵庫県の有権者の認識・判断との乖離(カイリ)の甚だしさ。この乖離は何なのか。どこから来るのか。何がどう、どこがどうなっているのか?

 

 USAの大統領選挙の結果にも驚いた。

 確かに民主党のバイデン候補は高齢もあり更にもう一期大統領職を務めるには頼りなさを感じたし、後継のハリス副大統領も政治的な力量にやや欠ける感がした。しかし対抗する共和党のトランプ元大統領がより適任に思えるかというと、その言動に品位を欠くのみならず「無理が通れば道理が引っ込む」と言ったような民主主義に相反する政治姿勢には賛同できないし、民主主義の大国として世界に位置するUSAの大統領候補としてはどちらも十分とは言えず、「アメリカも他にふさわしい人物はおらんのかいな?」というのが率直な感じであった。わが国もだが、アメリカも政治家の質が落ちたのでは?。

 しかし、選挙の結果はトランプの大勝に終わるという結果となった。国民の政治的な資質も落ちたのかいな?

 

 民主主義国家ではない(?)ロシアのプーチン、中国の習近平、北朝鮮の金正恩は独裁者と言ってよいのだろうが、民主主義国家と言われるアメリカのトランプやイスラエルのネタニヤフ首相なども独裁者的な政治家といえよう。

 最近の世界の動きを見ているとなにやら危うさを感じる。どうもきな臭い、ヤバイ方向に動き始めているのではないか。 

 要は、世界の政治的雰囲気がなにやら第二次世界大戦前のような様相を呈してきたのではないか、ということが言いたい危惧する事である。

 例えばトランプの政治手法は、現状への不満、未来への不安を抱く迷える国民に力強く信頼に足ると信じ込ませる方向性を与え民衆をあおり議会の多数を掌握することによって、一見民主主義的であるように装いながらの独裁政治を強行していったナチスのヒットラーの政治手法を思わせるのである。それがアメリカのトランプに留まらず、世界各地にミニトランプが増殖しているようである。その民衆を扇動する道具としてSNSが大きな影響力を持っているようである。東京都知事選とか兵庫県知事選を見ていると、私のようなボンクラでも民主主義の危うさというか難しさを感じるのである。

 

 産業革命を経て、科学技術が人類の福祉に貢献するものであることが認識された。しかし第1次世界大戦等を経る中で、科学技術は人間による活用の仕方によっては人類を不幸に陥れることが証明された。さらに第2次世界大戦を経験する中で、科学技術は扱い方によっては人類の破滅どころか地球すら破滅に陥れる可能性を持つものであることがわかってきた。

 核保有国であるロシアやイスラエルなどが核兵器の脅威をちらつかせながら他国と戦闘中である。まさに「危ない橋」を渡っているところである。

 問題は科学技術にあるのではなく、科学技術を用いる「ヒト」の用い方にあるのである。結局は「人間の有り様」に行き着くのである。

 

 SNSにしろAIにしろ、大いなる便利さと快適さを人類にもたらしている。

 しかし先述の戦争に利用される武器と同様に、SNSもAIも人間による利用の仕方によっては有益にも有害にもなり得る「両刃の剣」であることをしっかり認識した上で活用することが肝要である。

 

 不満や不安を煽(アオ)られ、冷静さを失わされ、偏(カタヨ)った知識を吹き込まれ、パニック状態に陥らされ、「欲」につけ込まれ、「恐怖」で支配され、誘導されると、ヒトはまっとうな認識力を奪われ正しい判断ができなくなるものである。

 それは、ヒトラーのナチスの大衆誘導・大衆支配のやり方やわが国の第二次世界大戦中の軍部による大衆コントロールに象徴されるし、今もロシアのプーチンや北朝鮮の金正恩の、あるいは中国の習近平の独裁政治の手法や、民主主義国であってもUSAの大統領選挙におけるトランプの政治手法からも窺(ウカガ)える。

 

 知らず知らずのうちに扇動される、操作される危機を避け、主体的に自立・自律して生きてゆくことができるためには、そのための教育・トレーニングが不可欠の時代となった。

 

 とは言うものの、如何にして教育していくか。………… 危機は痛感するが、具体的な対策はサッパリわからないふがいなさをボヤく私です。

 

 とりとめの無い、まとまりのない文章となりました。言いたいことを簡潔に整理して表現することができない自分にガッカリしていますが、今後ともにボケ防止策も兼ねてブログ表現していこうと思います。来年1月で喜寿だ。ガンバンベー。

 

 といったところで、オシマイ………… ごきげんよう。