何を今更 中島みゆき。
もうさんざん語り尽くされてきたし、語ってきたし。何を今更なんだけれども………… やっぱり彼女の語る歌詞は深く心に突き刺さる(?)、心を揺るがせる(?)、感動させる? ………… とにかく心を打つ。
例えば、最近の私の心情から言えば…………
『生命(イノチ)の別名』のなかでの「…… 何かの足しにもなれずに生きて 何にもなれずに消えていく 僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい…………」であり、『倶(トモ)に』のなかでの「……風前の灯火(トモシビ)だとしても 消えるまで きっちり灯(トモ)っていたい……」である。
人生の終焉が近いことを身近に感じる年齢となったせいもあってか、自分の人生、自己の存在意義と言ったことを身にしみて考えるようになったからであろう。
地位とか名誉とか経歴とか生きてきた中で身につけてきた(身についてきた)ものを脱ぎ去った(取り去った)裸の自己に何が残るのか? 実に心許(ココロモト)ない。他者の評価…… 自己評価…… 私の人生の値打ち・存在意義…… 。生き方は死に方?
亡き親なのか、妻なのか、子なのか、孫なのか………… 私が存在していることを喜んでくれているか?。必要不可欠な存在であるか? いないよりはいた方が良い程度なのか? 正直を言えば、いない方が良いのか?
認め、喜んでいてほしい…… というのが素直な実感である。他者評価もだが、死に至るまでの間、自己評価において自己肯定感をもって生きていくことが肝要であると言うことであろう。
ところで、「私が生きた証(アカシ)」って一体何だろうか? そんなものあるのかいな?
………… なんてことをしみじみ考えるようになりました。秋の夜長ではなくて、春爛漫の時期なのに。…… ごきげんよう。