神戸新聞の論説「正平調」を読んでの感想です。
大学1年生の愛息を阪神淡路大震災によって西宮の下宿先で亡くしたお母様の詩集から引用された文章が掲載されていた。
「そんな君がいじらしくって、抱きしめたくって/ 形見となったそのセーター/ そっと、そっと抱きしめる/そっと、そっと撫(ナ)でてみる」
…… 若く元気で輝いていた息子が、まさか次に出会ったときは震災当日の夜の体育館の隅っこに寝かされていようとは思いもされなかったであろう。がれきに見つけたセーターを今も大切にしまい、息子のぬくもりをセーターを抱きしめ撫でて思う母の姿。………
これを読んで、鈍い私の心でさえ動いて涙が出た。そうして思う。
自然災害は人智をはるかに越え、的確な予測などできるはずもない。人の力などたかがしれているのである。「一寸先は闇」というように。しかし、想定して予防に努めることはできる。万全とはいかないが対策を講じることはできる。
ましてや<人災>は人の手によって防ぐことができる。「君子危うきに近寄らず」である。近寄らねば避けることができるのである。ところがである、経団連の会長であったか誰かが、経済界の重鎮が「早く原発を再稼働せよ」と語り、それどころか「原発をもっともっと増設せよ」と述べているのを新聞で知った。「火中の栗を拾え」と言っているのである。
一旦事故を起こした原発がいかにやっかいなものか、福島原発災害の悪影響が今なお、いやそれどころか将来何十年も先まで悪影響を与え続けることが解っているではないか。それは確実な真実であり、人智で理解できることである。目先の経済的利益、経済的繁栄のために将来の危険に目をつぶるのは政治家であろうと経済人であろうと現在及び将来に対する無責任さの露呈であり、醜態であると言わざるを得ない。「あなた」が火中の栗を拾わんとするのは勝手である。しかし、現在・将来に生きる国民まで巻き添えにする権利はない。「あなた」は「君子」とはとてもいえない。「恥を知れ!」。 未来に対する<無責任>であり<裏切り>の発言である。そのような方々がわが国の政治や経済の先頭に立ってリードするのは、それこそ「ミスリード」である。それを許すのは我々国民の恥である。
阪神淡路大震災にしろ東日本大震災にしろ、その他の震災にしろ、我々は悲惨さの中で、悲しみ・苦しみを通して多くのことを学んだはずである。岡潔氏の言葉であったか(寺田寅彦であったか?)「天災は忘れた頃にやってくる」のである。
あのような悲しみ、苦しみを味わうことを思えば、我々国民が今ほどの繁栄を、贅沢を捨てても良いのではないか。不自由さや貧しさにみんなで耐えても良いのではないか。とめどなく膨らむ物質的欲望をコントロールしましょうや。それが有限な存在である人間の知恵ではないか。そうして国民全部が「君子」になりましょう。ゴーンしの年収、前沢氏の100万円を100人にプレゼント、六本木族やらの社会の維持のために未来の命・危険まで犠牲にしないでおきましょうや。そんなアホくさい社会など羨む値打ちもない。豊かさや便利さのみが人の幸せの根源ではないのだということをもう一度取り戻しましょうや。「脚下照顧」ですか。
そんなことを考えた、1月17日の朝でした。では、ごきげんよう。