日本語の劣化を嘆く…… 現代社会における家庭・地域社会・職場等の社会における関係性の崩れから? | 太郎椎茸のブログ

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 日本語は複雑だと言われる。外国人のみならず日本で生まれ育った日本人にとっても日本語が乱れてきている。とりわけ、最近、日本人の男女を問わず日本語が劣化してきたと思う。

 

 日本語の特色は、①男言葉と女言葉の差があることと②敬語があることである。話し言葉においても書き言葉においてもである。言葉の性差と敬語は日本語を習得困難にしているが、その言葉遣いによって人間関係の関係性のあり方が理解できる長所がある。言葉を発する側受ける側の性別や年齢・地位・親疎などがシンプルであっても良く理解できるし、敬意や思いやり、物事の美化までも表現する深さや行き届きがあるのである。

 

 しかし、最近の日本語からは男言葉と女言葉の相違が崩れてユニセックス化しているし、敬語の乱れも指摘されている。特に私は言葉のユニセックス化が気になっている。男性が用いる「オネエことば」もだが、それよりも「女性ことばの消滅」が残念である。

 

 女性が女性言葉を使うことはイコール女性差別ではないと私は思う。敬語のうち「尊敬語」は相手に対する尊敬の念から出てくる言葉であるし、「謙譲語」は相手に対して自己を蔑視して発する言葉ではない。敬語は「難しい」と応えた人は7割弱あるが、社会生活を営む上で敬語を使いたいとした人は2006年の世論調査では93%あった。場面と相手の気持ちを尊重したいという思いが裏付けとしてあるのであろう。女性言葉もまた尊重したいと考える。

 

 女性語について、具体的に私の大好きな「オードリー・ヘップバーンの名言」の和訳から例を挙げて見てゆきたい。英語では基本的には男性語も女性語もないが、女性語として和訳してあるものである。

 

* いばる男の人って、要するにまだ一流じゃないってことなのよ

* 人は、物以上に、回復して、新しくなり、生き返り、再生し、報われることが必要なの

* 私を笑わせてくれる人を大事にします。正直なところ、私は笑うことが何よりも好きなのだと思う。悩ましいことがたくさんあっても笑うことで救われる。それって、人間にとって一番大事なことじゃないかしら

* 死を前にしたとき、みじめな気持ちで人生を振り替えなければならないとしたら、嫌なできごとや逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、それはとても不幸なことだと思う

* 母の声が今でも聞こえてくるよう。「時間を守りなさい」「どんなときも、自分よりも周囲を優先すること」「自分のことばかり話してはいけません。あなたは決して面白い話題ではありませんからね。大切なのは、周りの人たちです。」

* 成功は誕生日みたいなもの。待ちに待った誕生日が来ても、自分は何も変わらないでしょ

* ……ソニアは、本気で努力すれば必ず成功することを教えてくれた。それに全ては内面からわき出さなくてはならないと言うことも

* いわゆる天賦の才に恵まれていると思ったことはない。仕事を心から愛して最善を尽くしただけ

* どんな人でも、不安がきれいに消えることはないと思う。成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。考えてみれば恐ろしいこと

* 私はあまり多くを期待する人間ではないの。だからかしら、私は私が知る中で誰よりもうらみつらみと無縁の人間

* 幸福のこんな定義を聞いたことがあります。「幸福とは、健康と物忘れの早さである」ですって! 私が思いつきたかったぐらいだ。だって、それは真実だもの

* 実を言うとね、誰かが私のことを美しいと言ったり、書いたりするたびに思うのよ。いったいどこが美しいのかしらって…… 古典的な美人でないことは確かだもの。私がこの仕事で身を立てられたのは、美しいからではない。 

 

 上記の訳から察すれば、女性言葉の特色は「語尾」にある。

 上記から拾えば、「~なの」「~なのよ」、「~わ」「~の」「~よ」「~ね」「~のよ」、「~かしら」「~でしょ」「~ですって」「~もの」「~だもの」

等である。女性言葉を使えば、語る主体が女性であることが解る(音声で語る場合は声色で女性であることが解るが)。文章化された場合は主語はなくても、男言葉であるか女言葉であるかによって語る主体が女性であるか男性であるかは明瞭である。これもまた歴史的に形成されてきた日本語の特色である。

 男言葉・女言葉の別は男尊女卑の現れのように言われる意見もあるが、服装などにおいても男性的服装と女性的服装とがあるように「性差」は示しても「性差別」に繋がるものとは言えないと考える。例えば歌舞伎において、男優が演じていても着衣が女性の着物であれば「女性」として見るし、逆に宝塚歌劇などにおいて男装すれば、観客は男性として鑑賞するのに似ていると思う。男女平等は何もかもをユニセックスにしなければならないと言うことではないだろう。

 

 以上のような理由で、男性・女性に拘わらず「敬語」に反する<ため口>、女性の使う<男言葉>を日常的に使うことは好ましいことではないと考えるのですが……… いかがでしょうか。……… それでは今日はここまでで、……… ごきげんよう。