昨今のわが国の国会を眺めていると、さほどに育ってきていなかったわが国の民主主義が更に息も絶え絶えになってきていると強く感じる。政権与党だけではない。批判勢力であるべき野党に対しても深い失望を覚える。それだけではない、私も含め国民・有権者もまた政治的愚民であり、衆愚政治への道をともに歩んでいる、とさえ言えるのではないか。
以前より取り上げられている沖縄の米軍基地の問題、原子力発電所に関する政策などに留まらず、今臨時国会においては外国人労働者を積極的に受け入れる法律、上水道を行政による直接管理ではなく民間に委託することを認める法律、消費税増税と参議院選挙を見越しての緩和策他、昨今の自民党・公明党の与党の打ち出す法律の審議の拙速さ、審議不十分でごり押しする国会運営のやり方をみても、国民の安全・安心・幸福をとても第一義に考えているとは言えない政治に危機感を持つ。
確かに国会での議決は多数決に従い民主主義の体を取ってはいるが、その実は安倍総理を頭に置く政府・行政が国会を軽視し、議論を尽くさないままで強行採決している実態がある。民主主義とは<主権者である国民>の利益を第一義において偏向した政治を極力避けるために立法・行政・司法の三権に分けられ、お互いをチェックしつつ、偏向した政治を避けるために中でも国民の選挙によって選ばれる国会議員が議論を尽くす場である「国会」を重視してきたはずである。しかし、現在の国会はよりよい政策・偏りのない政策実現のために議論をする場ではなく、国会軽視・行政権の優位が際立ってきている。国会はまるで行政府のイエスマンに成り下がり、批判は無視され「長いものには巻かれろ」の政治家が溢れている。<国民のための政治>より選挙で当選するための政治に成り下がっている。
安倍総理を筆頭に、国民を愚民視し、馬鹿にし、まさに民意軽視の独裁政治に傾斜してきている。あのナチス・ドイツのヒトラーも民主主義の体裁をとりながら国民の心を誘導して独裁政治を具現化した。国民の一部の人々がヒトラーの独裁政治に危機感を持ち恐れを抱いたときには、もはや時既に遅しで批判も抵抗もできない状況となって連合国軍に敗戦するまで独裁政治・恐怖政治は続いた。今、我々国民が国政に対して意識低く、政治など政治のプロに任せておけばよいと判断を放棄し、疑問を放置し、批判を避けたままでいると、益々政府は我々国民を軽視し独裁化が進展することになろう。
それに対して、先日フランスでは燃料税の引き上げの大統領の政策に対して、フランス国民の特に若い層がデモを行い引き上げ案を撤回させた。さすがにフランス革命以来の民主主義の先進国であることを印象づけた。イギリスもまたEU脱退に対して激しく議論が戦わされている。アメリカもまた独裁者的傾向を持つトランプ大統領の下ではあるが、上院は共和党が多数を占めるものの下院は民主党が多数を占めてバランスを保っているようである。
わが国のマスメディアの低俗化の流れも杞憂する。先に述べた国会での議論の問題等もマスメディアが正面から取り上げて国民がよく政策の中身と問題点をわかるように説明し、国民の政治意識を高め、更により正しい情報の元で正しく判断が下せるようにリードする義務があると考える。しかしながら、新聞はまだしもTVや雑誌は国民が興味・関心を示しやすい事柄を大きく・長時間取り上げ、本当に国民の生活に密着してくる、あるいは安心・安全・幸福にかかわる重要事を深く扱わない傾向がある。
例えば、大相撲の日馬富士の暴力問題から貴乃花問題、スポーツ界のパワハラ問題、芸能界のゴシップ、猟奇的な事件等々のなかには軽視すべきではない問題も多くあるが、国政に関わる、国民の生活に関わる重要事からまるで目をそらせるかのように大々的に取り上げている。
私も国民の一人で、しかも政治的関心が薄い方なのかもしれないが、上水道の民営化など国民の多くがよく知らない間に国会を通ってしまっている。外国人労働者の受け入れ問題も、その必要は国民の多くが認めるであろうが、現実の問題として従来受け入れてきた外国人実習生の権利の問題など我々がよく知らない間にろくな議論も為されずに通ってしまっていたと思う。
国会で議論が為され、それがマスメディアを通して情報提供され、難しい問題については専門家の解説が加えられることが重要だが、わが国のマスメディアは怠慢であると私には思える。例えば、アメリカのニューヨークタイムスをはじめ主要な新聞はトランプ大統領に対しても容赦ない批判を記事にしている。それに対して、わが国では戦前の治安維持法下の時代に逆行する坂道を転がり始めているのではないかとさえ危惧されるのである。
例えいくら優秀であったとしてもたかだか政治家個人の力量はオールマイティではない。たかだか一人の人間の力などしれているのである。従って、政治家は、リーダーはもっと謙虚でなければならないと思う。例えば、豊臣秀吉には竹中半兵衛や黒田官兵衛などの知将が参謀として仕えており、時には諫言を呈してリーダーの誤りを正した。行くべきと考える道を示した。それをリーダーは尊重して参考にしながら決断を下した。しかし、今の安倍晋三総理には諫言を呈するものがおらず、まさに醜い「裸の王様」状態に陥っている。
一国の総理が「裸の王様」で取り巻きにおだてられ祭り上げられているとすれば、そのような政治家を総理に抱く国民にとってはこれほど悲惨なことはない。ゲームやスマホ中毒の広がりと低年齢化なども政治的無能化に拍車をかけさせられているのではないかとさえ疑われる。
民主主義国家の底辺国に陥るのを防ぐため、親が政治的な成人に成長することと、小学校以後の学校教育において民主主義教育を重視した教育を行うことが緊急の最も肝要なことと思う。
私も含めもっと政治的にも賢くなろうよ。……… などと痛切に感じる今日この頃です。……… ということで、ごきげんよう。