Gioacchino Rossini - Duetto für Violoncello und Kontrabass (1824)
今年がうるう年だと言うのは一か月ほど前にカレンダーを見て思い出したのですが、このわずかなずれを更にうるう秒と言うやつで修正するということを発見したのはいつの頃だろうかと再考しました。大筋は以下のようです。
直近の閏秒の挿入は、2017年1月1日午前9時直前(日本標準時)に行われた。
現代においては、閏秒の調整がシステム上の様々な問題を引き起こしているため、その廃止について議論が続けられてきた。その結果、2022年の国際度量衡総会(CGPM)において、2035年までにUT1とUTCの差分の許容値(現在は0.9秒)を増加させることが決議された。この決議は、正確には「閏秒を廃止する」というものではない。
2023年、うるう秒の廃止が決まった(あれまあ…)
<内容>
地球の自転に基づく世界時は、太陽が朝に出て夕方に沈むといった、日常生活に関係する時間観念からは便利である。しかし、地球の自転の角速度、すなわち「1日の長さ (LOD : Length of Day)」は一定ではない。なお「LOD」は、1日の長さそのもの(例えば、86400.002 秒)をいう場合もあるが、1日の長さから86400 秒を差し引いたもの(例えば、0.002 秒または2 ミリ秒)をいうことが多いので注意が必要である。
何ともはや、その時々の知識と言うものは当てになりません。常に書き換えられるからです。うるう秒は廃止されていました。
本日の記事とはまったくの関係のない話題になってしまいました。いきなり話題転換!今日は、ロッシーニのオペラではない作品、チェロとコントラバスと言う少し変わった二重奏曲を紹介します。
日本ロッシーニ教会と言うものがあって、その年表によれば以下の様な記述がみられます。
1798年(6歳)
父ジュゼッペは興行師の仕事を始め、妻アンナを歌手に地方劇場で巡業生活に入る。その間ジョアキーノはペーザロの祖母と伯母のもとに残され、悪戯好きで元気のよい少年時代を送る一方、市楽団のリスターロ(不明。トライアングル奏者と推測)として賃金を支給される。
[ナポレオンのエジプト遠征。フランス軍のローマ占領]
1799年(7歳)
ペーザロに教皇政府が復活。父ジュゼッペは9月にボローニャで逮捕され、ペーザロへ移送後、政治犯として投獄される。ジョアキーノは悪戯が原因で鍛冶屋に奉公へ出されるが、素行は改まらず家に帰される。
[ブリュメール18日。バルザック生]
1800年(8歳)7月、ペーザロを再制圧したフランス軍が政治犯を解放。10カ月の獄中生活から自由の身となったジュゼッペは家族を連れてボローニャに移住し、音楽生活に復帰した。ジョアキーノは、算数とラテン語、ジュゼッペ・プリネッティからスピネット、父にホルンを学ぶ。
[ナポレオンのイタリア再征とマレンゴの勝利]
1801年(9歳)
この年の初め、ジョアキーノがファーノのフォルトゥーナ劇場管弦楽団でヴィオラを弾く。
今の年齢で言えば、小学一年生で俸給を得ていたと言うことになります。しかも、腕白坊主だったらしい。ラフマニフと一緒だ。悪ガキ!ふっくらしていたが、天使のように可愛らしい子だったと言われていますし、女性には相当モテたらしい。我々が音楽室などで目にするところのロッシーニは、美食家として知られる太ったロッシーニ像です。
年表を引き合いに出したのは、今日聴くチェロとコントラバスの二重奏曲が書かれた所以を知るために歴史年表を観れば明らかになるだろうと考えたからです。案の定、9歳の頃には既にオーケストラでヴィオラを弾いていたのです。この二重奏の演奏についての説明にによれば、「弦楽器のための音楽 - フィルハーモニー室内アンサンブルがロッシーニからペンデレツキまでの作品を上演するこのプログラムでは、コロナ禍による長期休止を経て、2021年春からコンサートホールでの演奏を再開した。」とあります。そこには、
ロッシーニは、オペラ作曲家としての名声だけでなく、ヴィオラやチェロにも秀でていました。だから、「彼の」楽器とコントラバスのために作曲するのは、それほど突飛なことではありません...彼の「二重奏曲」は、まるで小さなオペラのようだ。
とも書かれています。
この曲が書かれたのは、1824年ですから前年にはフェリーチェ劇場で「セミラーミデ」が初演されていて、この年には「バイロン卿の死によせるミューズの女神たちの嘆き」が初演された年です。ちなみに、この年にはベートーヴェンの第9交響曲が初演された年でもあります。
18歳で「結婚手形」でオペラ作曲家としてデビューし、24歳で「セベリアの理髪師」25歳で「泥棒かささぎ」で大成功を収めるなど、オペラ作曲家としてすでに不動に位置を占めていました。またこの頃は、宮廷や社交界で音楽教師としての仕事も抱えていましたから、こうした作品が生まれることになった年ても何の不思議もないと言うことになるのでしょう。
別の資料によれば、ロッシーニは当時、財界の有力者と多くの交友関係を持っており、この曲はロンドンの有力な銀行家であるデイヴィッド・サロモンズを縁者に持つフィリップ・ジョセフのために作曲されたものだとあります。ジョセフはアマチュアのコントラバス演奏家としてドメニコ・ドラゴネッティに師事しており、サロモンズ邸での私的初演ではジョセフがコントラバスを演奏し、チェロはドラゴネッティが受け持ったことが記録に残っています。
楽譜は初演後一度も演奏・出版されることもなく、1968年になってようやくサロモンズの遺品から発見されて競売にかけられ、翌1969年に出版されています。
いずれにしても、オペラ書きでメロディストでしたから、動画の説明にある通り「彼の「二重奏曲」は、まるで小さなオペラのようだ。」とあるのは言い得て妙とも言えます。
※ 以前の記事
○ ロッシーニ「ラ・ダンザ」 一部の動画が使用不可になっていますので、後ほど他のドガと入れ替えておきます。
ベーレンライター社
ロッシーニ:チェロとコントラバスのための二重奏曲 ニ長調 【輸入:室内楽(パート譜)】
Duetto per violoncello e contrabasso in Re maggiore/Urtext/Ed. Gossett
ロッシーニ, Gioachino ROSSINI, Gioachino
※ 楽譜は、IMSLPのものでYAMAHAのページに画像はありません。
ロッシーニ:チェロとコントラバスのための二重奏曲 ベンダ:チェロとコントラバスのためのソナタ
デュオ・ディ・バッソ
【曲目】
1. プレイエル: チェロとコントラバスのための主題と変奏
2. ベンダ: チェロとコントラバスのためのソナタ ヘ長調
3. ジェムロ: チェロとコントラバスのためのインヴェンション 第2番
4. バリエール: チェロとコントラバスのためのソナタ
5. ロッシーニ: チェロとコントラバスのための二重奏曲 ニ長調
6. ルカーシュ: バスのための二重奏曲(チェロとコントラバスのための)
【演奏】
Duo di Basso(デュオ・ディ・バッソ)
【録音】
1994年10月13-16日 聖ヤン・フス教会,イーロヴェ