ドゥシークのピアノ曲 | 翡翠の千夜千曲

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音楽を学びたい若者で困難や悩みを抱えている人、情報を求めている人のための資料集

Johann Ladislaus Dussek Piano Concerto F-dur op.14b, Part I Allegro

Alexei Kolesnikov, piano. 

The Chamber Orchestra "The Seasons", 

conductor Vladislav Bulakhov. 

Red Hall of the Alexander Shilov's National Gallery, 31.03.2012

 

Johann Ladislaus Dussek Piano Concerto F-dur op.14b,Part II Adagio

 

Johann Ladislaus Dussek Piano Concerto F dur op 14b, Part III Allegretto moderato

 

Jan Ladislav Dusík - Piano quintet in F minor, Op.41

00:00 Allegro moderato ma con fuoco 

11:58 Adagio espressivo 

17:26 Allegretto ma espressivo e moderato 

Hanuš Bartoň (klavír), 

Václav Hoskovec (kontrabas), 

Kvarteto Apollon - Hanuš Bartoň (piano), 

Václav Hoskovec (doublebass), 

Apollon quartet

 

Ladislav Dussek: Sonata no. 24 F sharp minor op. 61, "Elegie harmonique" - LIVE - Bohumír Stehlík

 

 

 

 私は、ドロシー。冬仕様の毛玉まみれの靴下です。洗濯はこまめにされているので見た目ほど不衛生ではありませんわ。娘はライザ、私からしたらなかなか歌の上手な子で、演技も上手だ。自慢の娘ではありますが少しばかり苦労をさせました。あれあれ、隣のエムおばさんが自転車で駆けて行くけど、どこへ行くんだろう。・・・・・妙な夢を見た。

 どうやらドロシーではなく、ジュディ・ガーランドだったと見えますがそこは夢のこと、脈絡などあっている訳もなく、夢判断はフロイド先生にお任せしましょう。

 今日は、久々にドゥシークを聴きたいと思います。ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク(またはヨハン・ラディスラウス・ドゥセック、Johann Ladislaus Dussek, チェコ語:Jan Ladislav Dusík, 1760年2月12日ボヘミア東部・チャースラフ Čáslav/Tschaslau - 1812年3月20日サン=ジェルマン=アン=レー)は、イギリス・ピアノ楽派の基礎を築いたボヘミア人作曲家でピアニストです。

 彼の半生は、以前の記事に書いた通りなので省略しますが、バートーヴェンより10歳若い人物としてはかなりロマン派を予感させる響きを持った作品が見られます。ドゥシークは、メンデルスゾーンやシューマン、ショパンなど、ロマン派のピアノ曲の作曲家の重要な先駆者といえます。同世代のその他の後期古典派の作曲家に比べると、ドゥシークはいちじるしく「モダン」に響く曲が多いのですが、その作品は作曲された時点でヨーロッパに知られていたのかは不明で、後代の作曲家たちがドゥシークに影響されたかどうかははっきり判りません。

 ドゥシークは、独自の路線進んで模倣者は見当たらず、様式的に、古典派よりもロマン派と多くの共通点を持ち、ほとんどの作品は作曲年代から20年ほど後のロマン派音楽の始まりころになって受容されたようです。

 ドゥシーク作品の中でも有名になったいくつかはピアノ独奏用の小品で、その多くが標題的な副題を持っていて、「フランス女王の嘆き」(1793年)は、さまざまな長さの一連のエピソードからなり、子供たちとの別れも含めて、女王の不運に関するテクストが挿入されています。34曲のピアノ・ソナタ、「悲歌の調べElégie harmonique」作品61も含まれています。多くのピアノ協奏曲やヴァイオリン・ソナタ、劇音楽、数々の室内楽曲もあります。中でも、「ホルン三重奏」は後にブラームスが作曲するのと同じ楽器編成です。「ピアノとヴァイオリン、チェロ、打楽器のためのソナタ」(1797年)は、「ダンカン提督による海戦とオランダ軍の完敗」と題されていて、打楽器も含んだ室内楽という発想は、20世紀になるまで見ることはできません。

 デュセックは、ヨーロッパ中を広く旅した最初のピアノの名手の一人でした。ロンドン、サンクトペテルブルク、ミラノなどの宮廷やコンサート会場で演奏し、その技術力は高く評価された。ロンドンに10年近く滞在した際、ピアノフォルテの大型化に尽力し、ベートーヴェンにジョン・ブロードウッド初の6オクターブピアノの1台であるCC-c4を寄贈しました。 ハロルド・シェーンベルクは、聴衆に自分のプロフィールをピアノの前に座らせた最初のピアニストであると書いています。彼に「ル・ボー・ヴィサージュ」という呼称を与えました。その後のピアニストは皆、この方法でステージに立っている。彼は、ベートーヴェンが頭角を現す前は、ヨーロッパで最も評価の高いピアニストの一人でした。
 彼はプロイセンのルイ・フェルディナント王子のもとに就職し、彼は彼を従業員としてよりも友人や同僚として扱ってくれたようです。ルイ・フェルディナント王子がザールフェルトの戦いで戦死すると、デュセックは感動的なソナタ嬰ヘ短調、エレジーハーモニークOp.61を書いて追悼しました。彼の音楽は、突然のダイナミックなコントラストによって中断された叙情性によって特徴付けられます。  

 ピアノのための多くの作品だけでなく、ハープのための作品も作曲しており、ハープのための音楽は、大部分が全音階のハーモニーの中に多種多様な比喩を含み、危険な半音階的なパッセージを避け、非常に演奏しやすいものです。彼の協奏曲の作品はなかなかエキサイティングです。
 彼のピアノ音楽は、クラシック時代の同時代の著名な作曲家に比べるとあまり知られていませんが、多くの教師から高く評価されており、プログラムされることも少なくありません。彼の音楽は19世紀のイギリスとアメリカである程度人気があり、一部は今でも印刷されており、オンラインでは時代版で入手できるものもあります。

 小澤征爾さんが逝去されましたこと心から悲しく思い、ご冥福をお祈りいたします。青春時代「ボクの音楽武者修行」を読んで音楽をやろうと決心した日を思い起こします。ラビットに乗ってヨローッパまで行くなんて夢のような話です。サイトウキネンオーケストラや音楽塾で後輩や教え子がお世話になりました。感謝。

 

※ 以前の記事

○ ホルンの出番です289 ドゥシーク「ピアノ、ヴァイオリンとホルンのためのノットゥルノ」Op68

 

※ 演奏会のご案内⑫

 

 

【輸入楽譜】ドゥシーク, Jan Ladislav: ピアノ・ソナタ 嬰ヘ短調 Op.61
ドゥシーク, Jan Ladislav

 

Dusik : Piano Concerto, Sonatas / J.Novotny

NOVOTNY/SVAROVSKY/PRAGUE PHILH 、 レオシュ・スヴァーロフスキー

【収録曲】ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク(1760 - 1812):
(1)ピアノ協奏曲変ホ長調Op.70
(2)ピアノ・ソナタ嬰ヘ短調Op.61
「プロイセンのルイ=フェルディナント王子の死に寄せる悲歌」
(3)ピアノ・ソナタ変イ長調Op.64「パリへの帰還」
【演奏】ヤン・ノヴォトニー(P)、(1)レオシュ・スヴァーロフスキー指揮、プラハ・フィルハーモニア