ジチー「愛の夢」「魔王」 | 翡翠の千夜千曲

翡翠の千夜千曲

音楽を学びたい若者で困難や悩みを抱えている人、情報を求めている人のための資料集

Géza Zichy: Liebestraum

 

Der Erlkönig-Schubert/Liszt Arr Zichy

Producer: Andrew Keener Technician: 

Phil Rowland Recorded: 

Wyastone Studio For more info visit:

 

 

 

 立野泉さんによって紹介された北欧のピアノ作品や作曲家は多いのですが、私は、作品の中から北欧の自然や人々の生き方まで教わったような気がします。その立野さんは、2002年の1月9日フィンランドのホールでの演奏会直後ピアノから3歩ほど歩いた直後に脳溢血のために倒れてしまい、その後右半身に麻痺が残ってしまいます。

 リハビリを経ても右手が不自由のままでしたが、2003年8月のオウルンサロ音楽祭で、スクリャービンやリパッティによる左手のためのピアノ作品の演奏を行い、奇跡の復活をします。その生きざまを称して、「鬼」と言う表現まで生まれたほどです。

 昔は、同じように病気や戦争によって手や足を失った人が数多くいます。パウル・ヴィトゲンシュタインもまたその一人でした。その彼も、右手を失ったのです。しかし彼は演奏を諦めませんでした。その彼の求めに応じて作曲されたのが、モーリス・ラヴェルの「左手のための協奏曲」です。

 今日の主人公は、ゲザ・ジチー(Géza Zichy , 1849年7月22日 - 1924年1月14日)は、ハンガリーの作曲家で片腕のピアニストです。ジチは貴族の家に生まれています。少年時代にフランツ・リストにピアノを学んでいますが、14歳の時に狩猟の際の猟銃の暴発事故で右手を失ってしまいます。それでも左手のためのピアノ曲を作曲して演奏することで、ピアニストとして生きることを決め、ピアノをリストに、作曲をローベルト・フォルクマンに師事して音楽の学習を収めました。リストは、彼のために自作を左手用に編曲して彼に献呈していますあ。並々ならぬ腕前だったようです。

 1890年あたりからピアニストとして国際的に活躍し、多くの人々から称賛を浴びました。1875年から1892年までハンガリー王立音楽院(現リスト・フェレンツ音楽大学)の院長を務めるながら、1891年から1894年までブダペスト歌劇場の監督を務めています。この時の歌劇場の楽長はグスタフ・マーラーでした。

 6つのオペラ「ラーコーツィ三部作」などのほかに、カンタータ「ドローレス」(Dolores)やバレエ音楽「ジェマ」(Gemma)、音楽史上初とされる「左手のためのピアノ協奏曲」や左手のための練習曲、歌曲を遺しています。

 智内威雄さん、アリス・紗良・オットさん、早坂眞子さんなど、怪我や事故、戦争、ジストニア、多発性硬化症など理由は様々ですが、日本でも片手だけで演奏しているピアニストはいます。それは、単に根性物語や拍手喝采の努力の賜物と言った美談では語り尽せない物語を含んでいます。それだけに、左手の作品も生まれています。一部ですが、紹介しておきましょう。

モーリス・ラヴェル
『左手のための協奏曲』
ベンジャミン・ブリテン
『主題と変奏(ディヴァージョンズ)』
スクリャービン
『2つの左手のための小品「ノクターン」』
ディヌ・リパッティ
『左手のためのソナチネ』
バッハ(ブラームス編曲)
『バッハの左手のためのシャコンヌ』

ショパン(ゴドフスキー編曲)
『ショパンの左手のための別れの曲』
『左手のための「ショパンのエチュード4番』
『左手のための「ショパンの革命のエチュード」』
『左手のための「ショパンエチュードOp.25-1」』・・等

 両手が使える人こそ、この曲に一度はチャレンジしてみるべきです。取りあえず、動画の2番目にあるシューベルトの「魔王」を左手だけで演奏してみませんか。 

 ジストニアと戦っている演奏家、運動選手なども多くいます。そうした多くの人々とともに音楽はあります。今日ここに生きていることに感謝したいと思います。

 

 

 

Hubay - Works for Violin & Piano Vol.7Transcriptions