Richard Rössler Flute Sonata Op.15 E Major
Jasmine Choi, flute Mariko Furukawa, piano
リヒャルト・レスラー、ロスラーまたはレスラー(1880 年 11 月 14 日 – 1962 年 6 月 23 日) は、バルトドイツのピアニスト、オルガニスで作曲家、音楽教育者でした。
リガで生まれたロスラーは、 1897 年にアビトゥア校に入学するまで地元の都市の中等学校に通いました。1892 年からリガの "Schule der Tonkunst" で音楽教育を受け、1897 年に卒業しました 1900年、彼はメンデルスゾーン・ソサエティから作曲のためのメンデルスゾーン奨学金を受け取りました。その会長はヨーゼフ・ヨアヒム(1831–1907)でした 。1904年にはレペティチュールとして、1907年には理論の教師として。1910 年から 1953 年まで、レスラーはピアノの主な教科の教師でした 。1918 年からは教授として、その後は長年にわたりピアノのクラスの責任者を務めていました。1929/30年、彼はカイロのベルグリュン音楽院で試験官を務めた。1932年には第2回ショパン国際ピアノコンクールの審査員としてドイツ代表を務め、1937年にはワルシャワで開催された 第3回ショパン国際ピアノコンクールでヴィルヘルム・バックハウス、アルフレッド・ヘーンと共に審査員を務めた。
ピアニストとして、レスラーは特にバッハの演奏者として知られていました。バッハ リサイタルに関するベルリンのプレス レビューでは、彼は「際立った、孤立した個性であり、余分な外見をすべて取り除いた」と特徴付けられ、「模範的な明快さと表現の尺度の腐敗しない感覚」でも評価されました。 .また、ピアノ演奏の指導者として数多くの優秀な演奏家を育てました。
作曲家として、ロスラーは主にピアノ、ピアノ室内楽(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、クラリネット、ホルン、ピアノのためのデュオ、トリオ、クインテット、セクステット、歌曲、オルガン作品を書いています。また、弦楽五重奏曲 、ピアノ協奏曲、管弦楽作品、聖歌などがあります。レスラーは 1962 年にベルリンで 81 歳で亡くなりました。彼の墓はフリードホフ ツェーレンドルフ にあります。
時代的に見ればあまり注目されなかった理由は判ります。当時の作品としては、形式的にも音楽表現として古めかしく陳腐であったと言わざるを得ませんが、数少ないこの時代のフルート作品としては重宝されるものと思われます。
<お知らせ>
Rossler, Richard SONATE OP.15
<解説>
リヒャルト・レスラーは、少し前までほとんど忘れられた作曲家でしたが、最近、フルート・ソナタ以外にもチェロ・ソナタやピアノ・トリオなど相次いで録音され、少し知られるようになってきました。ロシア帝国支配下のリガで楽長の息子として生まれたレスラーは、1897年から1901年にかけてベルリン王立音楽院でピアノと作曲を学びました。作曲法の師は、ブルッフです。在学中に院長のヨアヒムに指名されてピアノを教え始め、その後、教授となり、音楽理論も教えました。作曲の手法は、伝統を受け継ぐ保守的な様式です。フルート・ソナタは、1907年に出版。同じ音楽院で教えていたフルートの名手エミール・プリルに捧げられています。第1楽章 爽やかなフルートの第1主題がこの楽章の性格を表しています。巧みな転調をしつつ、元のホ長調に回帰します。第2楽章 ハ短調で、悲しみを表した楽章。表現力を必要とする楽章です。第3楽章 間奏曲。変イ長調に転じ、ハープのような音形の上で、心地よい歌を奏でます。第4楽章 この楽章のサプライズは、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲 第3楽章の主題が使われていることです。民俗舞踊のリズム感が、この楽章に活力を与えています。のびやかな歌や賑やかな展開を経て、più allegroのコーダで曲を閉じます。 (解説/三上明子)
ヴォルフガング・ブラインシュミット 、 アレクサンダー・レスラー