エルガー「交響曲第1番」 | 翡翠の千夜千曲

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Elgar - Symphony No. 1 (Proms 2012)

 

 

 エルガーの1番と2番の交響曲については、様々な意見があるようですが、私が思うにはどれも混乱していて正当な考えと言うようには納得がいっていません。また、どちらが優れているとかいう意見もあまり意味がないように思えます。しかし、1番の交響曲を聴いたり、楽譜を見た時点で多くの同時代の作曲家たちがエルガーの作品を高く評価したことに間違いはありません。

 エルガーの偉業に対する見方は、彼の音楽が名声を獲得した20世紀の初頭以来の数十年で変遷を遂げてきた。前述の通り、リヒャルト・シュトラウスはエルガーを革新的作曲家であると認めていた。1908年の第1交響曲の主題に感銘を受けなかった敵対的な『オブザーバー』紙の評論家ですら、管弦楽法に関しては「見事に現代的」であるとしている。ハンス・リヒターはエルガーを世界中で「最も偉大な現代作曲家」とみなし、またアルトゥル・ニキシュも第1交響曲を「ベートーヴェンやブラームスの偉大な交響曲の模範と並び位置づけ」られるべき「第1級の傑作」と考えていた。対照的に批評家のウォルター・ジェームズ・ターナーは20世紀中盤にエルガーの「救世軍交響曲たち」と書いており、ヘルベルト・フォン・カラヤンは『エニグマ変奏曲』を「中古のブラームス」と呼んでいた。

 人々は(評論家と言う人物)、革新を求めるのでしょうか。それとも先鋭的な方法を危険だと見做すのでしょうか。私は、殆どの場合その人物に当事者への理解の深さや、できるだけ中立的であろうとか、自分を取り巻く人々への見栄や優位的であろうとする姿勢を持たない人の言葉を知りたいと考えています。

 1924年、音楽学者のエドワード・ジョゼフ・デントはドイツの音楽雑誌に掲載した論文において、イングランドのある一部意見を持つ人々(学究的で上流気取りの人々のことを指している)の感情を害するエルガーのスタイルとして、4つを同定している。「感情的すぎること」、「低俗さがないとはいえないこと」、「気取っていること」そして「表現を意図的に崇高にしすぎていること」の4つである。

 私は、これらの考えが、第一次世界大戦という事件が人々の心に起こした変化をもたらした変化に由来していると思います。かつて、日本が辿った過去を振り返れば分かる気がします。禁欲的な思考と、自国への盲目的な愛情といった嗜好です。これらはある意味「国家」という幻想かも知れません。

 1955年に録音目録として出版されていた『レコード・ガイド』は、エルガーのキャリアが頂点を迎えた時期のエドワード朝の背景について次のようなことを書いています。

 

 自慢げな自信、情動的な俗悪さ、素材の贅沢さ、無味乾燥な建築と高価ながらも醜悪なあらゆる装飾品に現れる無情な俗物根性。こうした大英帝国末期の特徴はエルガーの大規模作品に忠実に反映されており、今日では理解不能になってしまいそうである。しかし、もし彼の音楽の大げさで、お涙頂戴的で、細々としたとした要素を見過ごせなかったとしても、そうしようとする努力は行われるべきである。エルガーの最高傑作には力強く雄弁で、高遠な悲哀が何ページも素晴らしく綴られているのだから。(中略)エルガーの天分を疑うのであればまず聴くべき作品群を挙げる。彼の傑作、最大の規模を誇りおそらく最も深い共感を伴う作品である『ゲロンティアスの夢』、交響的習作『フォルスタッフ』、弦楽合奏のための『序奏とアレグロ』、『エニグマ変奏曲』、そしてヴァイオリン協奏曲である。

  さて、大分引用が多くなってしまいましたが、いずれにせよこの作品への感情や初見や評価は貴方の信ずるところに従ってなされるべきです。

 交響曲第1番変イ長調 作品55は、・エルガーが1907年から1908年にかけて作曲した交響曲で、初演を指揮したハンス・リヒターに献呈されています。リヒターはこの作品を「当代最高の交響曲」と述べていますが、他には構成にたいして否定的だったり、主題の繰り返しがしつこいと指摘する意見もありました。それでも、初演以降大きな反響で、初演から1年で百回あまりも再演された言いますから熱狂ぶりが伺えます。欧米諸国では現在も良く演奏されています。日本人指揮者尾高忠明の名演も良く知られています。

  4楽章よりなる。曲頭に現れる旋律が循環主題として用いられており、全曲にわたって登場する。これ以外にも第1楽章の第1主題からいくつもの動機が派生していて、全体的に緊密な構成がとられている。またこの曲は変イ長調となっているが、実際に変イ長調であるのは第1楽章の序奏と終結部、第4楽章の終結部のみであり、その他の部分は第1楽章主部がニ短調、第2楽章が嬰ヘ短調、第3楽章がニ長調、第4楽章の序奏と主部がニ短調と、全体的にニ短調交響曲としての性格が強い。演奏時間約55分。

第1楽章 Andante. Nobilmente e semplice - Allegro

  序奏つきソナタ形式。序奏は変イ長調・4/4拍子で、この曲のモットーとなる主題がヴィオラと木管楽器に提示される。モットーが全合奏に発展した後、一段落してからアレグロ・2/2拍子の主部へと入る。第1主題はニ短調で闘争的、第2主題はイ短調・6/4拍子の悲しげな旋律である。小結尾では金管が咆哮してクライマックスを築く。再現部の後のコーダはかなり長く、冒頭のモットー主題が静かに回帰する。約19分。

第2楽章 Allegro molto

  舞曲楽章に相当する。嬰ヘ短調・1/2拍子。三部形式。主部には忙しく動き回る弦楽器と金管による行進曲調の勇ましい旋律が登場する。中間部は変ロ長調で、木管や独奏ヴァイオリンが楽しげに歌う。次の主部は初めは激しいが次第に雰囲気を落ち着かせていき、次の楽章へと切れ目なく移行する。約7分。

第3楽章 Adagio - Molto espressivo e sostenuto

  叙情的な、美しい緩徐楽章。ニ長調、4/8拍子。二部形式。前半部では、典雅な息の長い主題が発展する。最初に現れる旋律は第2楽章冒頭の忙しないフレーズと音の並びが全く同じであるが、ここでは落ち着いた物憂げな旋律になっている。後半部はモットー主題を基にした旋律が現れる。約12分。

第4楽章 Lento - Allegro - Grandioso

  序奏つきソナタ形式、ニ短調。序奏ではバスクラリネットによる不穏な導入の後、モットー主題が扱われるが、ファゴット、ついでトロンボーンに新しい印象的な楽想も現れる。駆け上がるようにして始まる主部は強迫的な付点リズムによる第1主題、行進曲風の勇壮な第2主題、序奏の楽想による小結尾主題で構成される。コーダは序奏の導入動機から始まり、変イ長調に達するとモットー主題が全合奏で輝かしく奏される。最後は6/4拍子に転じて加速するように終わる。約12分。  以上引用資料はウィキペディア

  調性の変化とリズムの入り乱れる感じを味わいつつ、エルガーの音楽を楽しんでみてください。

1:30<後記>WBC日本かちました。おめでとうございます。5回6回頃は流れが来ないので諦めかけていました。すごいね!明日も頑張れ!

 

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エルガー:交響曲第1番&第2番

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