ホルンの出番です266 ガブリエル「カンツォーナ」1番~4番 | 翡翠の千夜千曲

翡翠の千夜千曲

音楽を学びたい若者で困難や悩みを抱えている人、情報を求めている人のための資料集

         

 Canzona Per Sonare No. 1 - "La Spiritata", Giovanni Gabrieli - Brass Over Bridges, San Francisco

Brass Over Bridges Matthew Ebisuzaki - Trumpet Ari Micich - Trumpet Margarite Waddell - French Horn Esther Armendariz - Trombone Lucas Jensen - Bass Trombone

 

        

                BrassUka - Canzona per Sonare No. 2 (Giovanni Gabrieli)

 

        

               Canzona per sonare n. 3 - Giovanni Gabrieli

 

         

                     Giovanni Gabrieli - Canzona per Sonare N. 4

       IMSLP Canzon quarta a quattro 楽譜にリンクしています

 

          

             GIOVANNI GABRIELI (1557-1612) - Canzon Seconda à quattro

Andrea Inghisciano - cornetto David Brutti - cornetto Francesco Gibellini - tenor cornetto Elina Veronese - trombone

 

 

 今日は、ガブリエリのカンツォーナを聴きます。これを読んでくださっている方の中には、「学生時代(中学。高校)に部活でやった」とか「アンコンで吹いたっけなあ」などと言う方もおられるかもしれません。さて、今同じ曲を演奏したらどんな風に演奏するのでしょうか。

 私たちは始めて尋ねるところや新しい場所に行くとき、美味しいものを求めて行くときには、旅行地図や今であればスマホの情報や情報アプリを使うかもしれません。乳幼児は、自力で歩けるようになって、家の中から外へ出ていき、記憶と勘を積み重ねて頭の中に地図を構成していきます。友達ができ、親の庇護から少しずつ離れて行動範囲を広げていきます。三輪車から自転車に乗れる頃にはさらに行動範囲は広がり、親と一緒であれば、飛行機で世界へ飛び立つこともあるでしょう。私たちの中には、眼に見えない地図が構築されていきます。

 音楽も同じです。小さな曲を演奏している時は目の前の情報処理で一杯ですが、そのうちに強弱やテンポの変化を必要とするでしょう。曲が大きくなれば、その構成を考えて演奏しなければなりません。今日聴くガブリエリの管楽合奏は、対位法的に処理されていますが成り立ちから言って完成された技法ではありません。同度のカノンや当時としては洗練された対位法的手法で作曲されています。

 対位法が完成を見るのはバロック期の中・後期でバッハがその代表的人物と言えます。そうしたことを配慮しながらこの曲分析し、共通の認識を持ってアンサンブルを仕上げていくのであれば、中学生や高校生の頃に演奏したかもしれないこの曲を貴方は別の感慨を持って演奏することになるでしょう。この延長線上にフーガがあります。

 ジョヴァンニガブリエリは、おそらく金管楽器のためのルネッサンス音楽の最も有名な作曲家です。作曲家兼オルガニストであるガブリエリはヴェネツィアに住み、見事なサンマルコ寺院で音楽を作曲しました。サンマルコ寺院のユニークな建築と共鳴は、ガブリエリに空間の音響特性を十分に活用した音楽を作曲するように促しました。ガブリエリの作品の多くは、サンマルコの聖域の両側にある高架の聖歌隊のロフトから演奏されることを目的とした、反響を生かした合唱団のために書かれています。 ジョヴァンニ・ガブリエーリのカンツォーナ第1番「ラ・スピリタータ」は、ガブリエーリ、ジローラモ・フレスコバルディなどの作品を含むカンツォーナのコレクションの一部として出版されました。カンツォーナの音楽形式は、当初、シャンソンとして知られるフランドルのポリフォニックソング形式に由来していました。カンツォーナは後にバロック時代のフーガの進化に影響を与えました。カンツォーナ第1番は、ガブリエリが生涯を通じて作曲した多くのカンツォーナの一部です。多くの場合、これらの作品はトロンボーンとトランペットのさまざまな組み合わせによって演奏されることを意図していました。

 ジョヴァンニ・ガブリエリ(Giovanni Gabrieli, 1554/1557年頃 - 1612年8月12日)は、イタリアの作曲家でオルガニストです。彼は当時最も影響力のある音楽家の一人であり、ルネッサンスからバロックのイディオムへの移行時のヴェネツィア派のスタイルの集大成をした人物です。
 ガブリエリはヴェネツィアで生まれました。ジョヴァンニの初期の人生についてはあまり知られていませんが、彼はおそらく1560年代から1585年に亡くなるまでサンマルコ寺院で雇用されていた叔父の作曲家アンドレアガブリエリに師事しました。ジョヴァンニは、1587年のアンドレアの協奏曲集を編纂したことに示されているように、確かに叔父によって生活面でも音楽面でも援助を受けていたことを意味しています。
 ジョバンニはまた、アルバート公爵の宮廷で有名なオルランデ・ラッソに師事するためにミュンヘンに行きました。おそらく彼は1579年頃までそこに滞在しました。ラッソは彼の音楽スタイルの発展に主要な影響を与えた人の1つでした。
 1584年までに彼はヴェネツィアに戻り、1585年にサンマルコ大聖堂の首席オルガニストになりました。翌年の叔父の死後、彼は首席作曲家にも就任しました。また、叔父の死後、彼は彼の音楽の多くを編集し始めました。アンドレアは明らかに自分の音楽を出版する傾向がほとんどありませんでしたが、ジョヴァンニの叔父の作品に対する気持ちが十分に高かったので、彼は出版のためにそれを編集して編集することに彼自身の時間の多くを費やしました。
 ガブリエリのキャリアは、スクオーラグランデディサンロッコのオルガニストの追加ポストに就いたときにさらに高まりました。サンロッコは、すべてのヴェネツィアの友愛の中で最も権威があり裕福であり、その音楽施設の素晴らしさにおいてサンマルコ自体に次ぐものでした。

 聖マルコ大寺院のアコースティックはこの400年の間にほとんど変化していないので、楽器は、適切に配置すれば、遠い地点でも完全に明晰に聞き分けることができる。したがって、たとえば弦楽器の独奏者と金管楽器の集団というような楽器編成は、文字にすると奇妙に見えても、聖マルコ大寺院で響かせてみるなら、完璧なバランスを保っているのである。

 上の資料に見られるように、No.4の演奏は石段のある場所で演奏する場合には反響することが一目で見て取れます。こうしたことは、意図的に行われているとしたらどうでしょう。実際にその場所に行かないまでも、似たような雰囲気を作り出したうえで演奏していると思われます。つまり、ガブリエルの目指した音響に少しでも近づけようとしているのです。こういうことを全く知らないけれども、技術的に優れている演奏家が、これまで読んできたようなことを全く意識せずに上手に演奏したとしても、それは正しい解釈の下に演奏されていなかったことになります。

 どうでしょうか。技術的にも向上し、様々な情報を集めた上で演奏することは、中学や高校時代の上手に演奏して良い賞を取ることを第一に考えていた演奏(それをすべて否定はしません)とは明らかにレヴェルが違うことをご理解いただけたでしょうか。

 IMSLPの楽譜を見ながら聴いてみるというためにリンクを貼ってあります。今日は、これから「すずめの戸締り」を観に行きます。良い一日をお過ごしください。

 

 

 

カンツォーナ