知られざる「ドヴォルザーク」ロマン派の音楽⑳ | 翡翠の千夜千曲

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        Antonin Dvorak - Six Moravian Duets

Performed at a concert presented by The Firm on 2/11/2015 at Elder Hall, University of Adelaide. With Emma Horwood and Alexandra Bollard (sopranos) and Marianna Grynchuk (piano). Produced by Hitchhiker Video Productions http://hitchhikervideo.com.au/ Sound by Ray Thomas, Video by Peter Day Six Moravian Duets. 1. Ich schwimm', dir da von 2. Fliege Vöglien 3. Wenn die Sense scharf geschliffen wäre 4. Freundlich las uns scheiden 5. Der kleine Acker 6. Die Taube auf dem Ahorn

 

    

    ドヴォルザーク:スケルツォ・カプリチオーソ 作品66 B 131 

 

    

    Dvořák: Scherzo capriccioso, op. 66 / Rattle · Berliner Philharmoniker

 

 

 

 

 ドヴォルザークは実にメロディストです。彼を拾い上げてくれたのは、ブラームスですがおそらく彼がある旋律を前に呻吟していいるうちに、ドヴォルザークはその旋律で数曲書いてしまうだろうと言ったのは誰だったろうか。今日は、話題にされながらもあまり聴けない、そんなドヴォルザークの比較的地味な作品を数点選んでみました。最初は、ドヴォルザークがブラームスに見染められた、言わばデビュー作「モラヴィア二重唱曲集」です。

 ロマン派の作曲家であり、同時に国民楽派とみなされていたドヴォルザークですが、彼にはそれが悩み種でもありました。チェコの音楽界に民族主義が持ち込まれたのは、18世紀後半のドイツのヨハン・ゴットフリート・ヘルダーによって提唱された「民族精神」の概念でした。ヘルダーはチェコ民謡を採集し、アンソロジーの形で発表し、19世紀になるとチェコ人自らが民謡の収集・出版を行うようになります。19世紀末から20世紀初頭には、スメタナ、フィビフ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクといった才能の開花していきます。 

 このようなチェコ国民音楽の形成過程のなかで、個々の作曲家たちにとっては、民謡あるいは民族舞曲との距離の取り方が重要な問題となっていきます。保守的な伝統主義者であった作曲家フランティシェク・ラディスラフ・リーゲル達は「民族色を打ち出すには民謡の単なる引用と模倣で十分である」と主張し、それなりの支持をえていました。これを真っ向から否定したのがスメタナです。スメタナは1865年に「民謡の旋律やリズムの模倣により国民様式が形成されるのではない」と表明、標題音楽を創作することで国民性を獲得しようとしました。しかし、ドヴォルザークには、こうした論陣をはることに興味や関心はあまりなかったようです。

 作曲家と演奏家の立場は微妙に違いますが、演奏家がその国の音楽文化を理解するには、言語と踊りを勉強することはとても重要だと言うことは、私も再三述べてきました。シラブル、イントネーション、踊り、これらの中には一定のリズムが内在していますから、その国の作曲家の身体の中に住み込んでいるのですから無視することはできません。分かり易い例で言えば、フランス語の語り口とドイツ語の語り口を比較すれば一目瞭然です。

 ブラームスの目にとまった作品が「モラヴィア二重唱曲集」であったことは注目に値する。この作品は「モラヴィア」というタイトルではあるが、モラヴィア民謡の特徴はあまり強くなく、むしろボヘミア的あるいは西欧音楽的な拍節構造のはっきりした音楽にモラヴィア音楽の旋法や和声を部分的に用いた折衷的な作品である。この作品がブラームスによって西欧に紹介されたことで、彼の音楽の方向性は決定づけられた。すなわち、彼の人気作曲家としての名声を決定づけた「スラヴ舞曲」に代表されるスラヴ民謡風の主題をブラームス流の古典的な様式に織り込んだ異国趣味的な音楽を出版社や聴衆は要求し、ドヴォルザークはドゥムカなどのウクライナ民謡をも取り込み汎スラヴ主義でこれに応えた。また、後にアメリカに渡った後は、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌に触れて自らの音楽に取り込んで見せた。こうした立場は、しかし「進歩派」には、「民謡の単なる引用と模倣」からなる「保守派」的な立場であるかに思われた。「ボヘミア楽派」と総称され、個人的にはお互いに尊敬の念を抱いてはいたものの、スメタナとドヴォルザークの音楽上の立場は異なっていた。

 この作品「 Scherzo capriccioso, op. 66」を書いたのは7番の交響曲を書いた頃です。もうすぐ世界的に名前が売れ始めることになります。

 アントニン・ドヴォルザーク: スケルツォ・カプリチオーソ 作品66 B 131 (スコア付き) 作曲年代:1883年4月4日~5月2日 指揮:イシュトヴァン・ケルテス 管弦楽:ロンドン交響楽団 《スケルツォ・カプリチオーソ 作品66 B 131》が作曲されたのはドヴォルザークが41歳の時で、《歌劇『いたずら農夫』作品37 B 67》がはじめてチェコ以外で上演されるなど、世界的名声をつかみ始めた時期である。一方、前年の12月に母親を亡くし、そのストレスを負っていた時期とされる。 作品は概ねA-B-Aの3部形式で、牧歌的なホルンの旋律から始まる。《スラヴ舞曲》を思わせる急速なテンポのヘミオラが特徴的で、全体的に演奏難度は高い。また、イングリッシュホルンやバス・クラリネット、ハープなどの特殊楽器が必要な上に、変イ長調というオーケストラでは珍しい調性であることから演奏機会は少ないといえる。コーダは次第にテンポを上げていき、リズムも複雑になる。11:16からのシンバルの連打は難所である。

 

    

       Dvořák: String Quartet No. 13 in G Major, Op. 106

Bowdoin International Music Festival on July 29, 2019. Featuring Festival faculty. July 29, 2019 ANTONIN DVORAK String Quartet No. 13 in G Major, Op. 106 JUPITER STRING QUARTET: Nelson Lee, Meg Freivogel, violin; Liz Freivogel, viola; Daniel McDonough, cello

 

 続いては、弦楽四重奏曲13番です。

 「弦楽四重奏曲 第13番 ト長調」Op. 106(B. 192)は、アントニン・ドヴォルザークが

 1895年の11月から12月9日にかけて完成させた弦楽四重奏曲です。
 ドヴォルザークにとってこの年は、ドヴォルザークとその家族がアメリカ合衆国からボヘミア へ帰ってきた年です。12番の通称「アメリカ」作品96の方が有名ですが、隠れた名品とも言うべき13番を挙げました。

 1895年にアメリカから帰国したドヴォルザークが約半年の休養を経て書かれた作品で、1895年11月から12月にかけて作曲された。初演は1896年10月9日、プラハでチェコ弦楽四重奏団により行われた。故郷に帰ったくつろいだ感覚に満ちた作品で音楽評論家のクラップハムはこの作品の前半2つの楽章について「彼の室内楽曲の中で最もすばらしい」と賞賛している。
次の4楽章から成り、全曲を通して演奏するのに35分から40分程度を要する。
1楽章アレグロ・モデラート (ト長調、2/4拍子)ソナタ形式
2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ (変ホ長調 ― 変ホ短調、3/8拍子)二重変奏曲(主題と3つの変奏とコーダ)
3楽章モルト・ヴィヴァーチェ (3/4拍子)ロンド形式(A-B-A-C-A)
 スケルツォというよりはむしろ典型的なロンドであり、ロ短調のロンド主部が、変イ長調のエピソードやニ長調のトリオと交替する)
4「終楽章」。アンダンテ・ソステヌート(4/4拍子) – アレグロ・コン・フォーコ(2/4拍子)自由なロンド形式(序奏-A-B-A-序奏-C(第1楽章第2主題)-A-C-A-コーダ)
 アンダンテの序奏は、アレグロの主部を導入するだけでなく、楽章の終わりにも割り込む。   ウィキペディア

※ 以前の記事

① ドヴォルジャーク「我が母の教えたまいし歌」

② ドヴォルザーク「スラヴ舞曲第2集 作品72 第2番」他

③ ドヴォルザーク「交響曲第7番ニ短調」作品70

④ ドヴォルザーク 歌劇「サルサカ」より「月に寄せる歌」

 

 

モラヴィア二重唱曲集 Op.32 (ソプラノとアルト)(独語) 第1巻

Klange aus Mahren Op.32(S,A)/G Vol.1 ドヴォルザーク, Antonin

 

 

スーク&ドヴォルザーク: 弦楽四重奏曲集

ベルリン・フィルハーモニー弦楽四重奏団