The Ebène Quartet plays Fauré quartet e-minor
Gabriel Fauré : String quartet e-minor Op. 121
Allegro moderato Andante - 06:50
Finale - 17:25
Quatuor Ebène : Pierre Colombet, violin Gabriel La Magadure, violin Marie Chilemme, viola Raphaël Merlin, cello Wissembourg Festival August 27th 2018 Quatuor Ebène appears Courtesy of Erato/Warner Classics
「耳で聴く音楽史」のシリーズは、生誕の年を基準にして順番に辿っています。本来であれば、今日はドヴォルザークなのですが、何を勘違いしたか⑭で既に説明をしてしまいました。今日はそう言う理由によって次の人物である、ガブリエル・フォーレについて書いていきます。
皆さんの良く知るフォーレは、メロディアスで洒脱で、時に旋法風であったり、時に機知にとんだ転調だったリするのではないでしょうか。そのイメージは、比較的若い頃の作品です。
フォーレの才能は幼い頃から明らかなようでした。9歳でパリので学び、教会オルガニスト、合唱指揮者になるような教育を受けています。指導者の中にいたカミーユ・サン=サーンスとは生涯にわたる親交を結ぶことができたことが大きいと言えます。若い頃は収入も少なく苦労したようですが、壮年期になって成功を見せ始めると、マドレーヌ寺院のオルガニストやパリ音楽院の学長という重職に就き、なかなか作曲に時間を充てることができませんでした。そのため、夏季休暇には田舎へと逃れて作曲に集中していました。晩年にはフランスで当代を代表する作曲家として認められます。
フォーレは、教師としても優秀で、何よりも門弟たちに基本的技能のしっかりした基礎訓練が必要だと考えて援助を惜しまず、一人一人の個性を大切にしていましたが、自分の指導の枠に囲い込むようなことはしませんでした。ですから、モーリス・ラヴェル、フローラン・シュミット、シャルル・ケクラン、ルイ・オベール、ジャン・ロジェ=デュカス、ジョルジェ・エネスク、ポール・ラドミロー、アルフレード・カゼッラ、ナディア・ブーランジェなど様々な個性は時にはフォーレとは正反対の方向に向かうものもいましたが、それを見守っていたようです。
第一次世界大戦がはじまった時、フォーレは毎年作曲のために籠りに行っていたドイツで身動きができなくなっていました。どうにかドイツを抜けてスイスへ入り、そこからパリへと帰り着きます。サン=サーンスを筆頭にフランスの音楽家がドイツ音楽のボイコットへ乗り出しても、フォーレはその思想からは距離を置いていました。
この態度もサン=サーンスとの友情にひびを入れることはありませんでした。フォーレは音楽に国民性を見出しておらず、自らの芸術は「あらゆる国家からあまりに彼方の上の方に位置するある国に属するものなので、どこか特定の国家にまつわる感情や個別の特性を表現せねばならない場合は引きずりおろしてくる」のだと考えていました。
そうは言いながらも、彼は自分の音楽がドイツでは愛されるというより敬われているということを認識していたようです。1905年1月に自作の演奏会のためにフランクフルトとケルンを巡ったフォーレは、こうかいています。「私の音楽に対する批評は少し冷たい、そして上手く出来過ぎているというものだ!疑問は出てきていないが、フランス人とドイツ人は2つの異なる生き物だな。」
晩年の20年余り、彼は難聴に苦しんでいます。それが理由なのかは判りませんが、うつ状態に陥ることがあり、さらに苦しみに拍車をかけたようです。フォーレの音楽は、軽やかさ、華やかさを少しずつそぎ落としていきます。
フォーレは、リスト、ベルリオーズ、ブラームスらが成熟期の作品を生み出していたころに青年期を過ごし、古典的調性が崩壊し、多調、無調の作品が数多く書かれ、微分音、十二音技法などが試みられていた頃に晩年を迎えている。なかでも、調性崩壊の引き金を引いたワーグナーの影響力は絶大で、同時代の作曲家は多かれ少なかれ、ワーグナーにどう対処するかを迫られた。
こうした流れのなかで、フォーレの音楽は折衷的な様相を見せる。ドビュッシーはワーグナーの影響を拒否したが、フォーレは歌劇『ペネロープ』でライトモティーフを採用するなど一定の影響を受けつつも、その亜流とはならなかった。形式面では、サン=サーンスの古典主義には留まらなかった。一方で、その作品形態は当時の流行を追うこともせず、採用したのは古典主義的な楽曲形式であった。調性においては、頻繁な転調の中にときとして無調的な響きも挿入されるが、旋律や調性から離れることはなかった。音階においては、旋法性やドビュッシーが打ち立てた全音音階を取り入れているが、これらに支配されたり、基づくことはなかった。
フォーレの音楽は劇的表現を目指すものではなかったので、必然的に大規模管弦楽を擁する大作は少ない。ただし、和声の領域においてはシャブリエとともに、ドビュッシー、ラヴェルへの橋渡しといえる存在であり、19世紀と20世紀をつなぐ役割を果たしている。
弦楽四重奏曲ホ短調作品121は、フォーレの最後の作品となりました。全3楽章からなり、演奏時間は約23分です。78歳のフォーレは、高齢による無気力状態に苦しみながらも筆を進めていました。
「私は毎日少しずつ曲を書いています。そう、ほんの少しです。これまで何度もあったように、この最初の模索がどんな運命をたどるのかまだ分かりません。実はピアノを使わない弦楽四重奏曲に着手したのです。これはベートーヴェンによって知られるようになった分野で、彼以外の人はみな恐れて、あまり手を付けていません。ためらってきました。サン=サーンスもそうで、それに取り組んだのはようやく晩年になってのことでした。そして彼の場合も、他の作曲分野のようにはうまくいきませんでした。そんなわけで、今度は私が恐れる番だとおっしゃるかもしれませんね……。だからそのことについては誰にも話してはいないのです。これからも目標に手が届くようになるまで、話すつもりはありません。『お仕事をなさっていますか』と聞かれても、私は図々しく『いいえ』と答えています。だから誰にもいわないでください。」
— 1923年9月9日付、妻マリーに宛てたフォーレの手紙
モーリス・ラヴェルが弦楽四重奏を書いた時に師であるフォーレにも書くことを勧めていましたが、彼はこの分野をとても高尚なものだと考え随分躊躇していたようです。
日本の音楽学者大宮真琴はこの曲について、「作曲手法はあらゆるものを通り越して、完全なものとなり、全曲はまったく対位法的に組み上げられており、楽想は完全な表出力をもって流麗優雅、少しのどぎつさもわざとらしさもない。楽想と手法とがまったく融合し、いかにも高雅にして迫力ある作品に凝結している。フォーレが晩年にゆきついた境地であったというべきである。」と述べている。
ネクトゥーは、フォーレが音楽において地方色を出さず、音楽以外の要素を厳しく排除してきたとし、これらが絶えず透明感を増していった結果、弦楽四重奏曲でついに全くの抽象性に到達したとする。一方で、ジャンケレヴィッチは、弦楽四重奏曲を「至高」と表現しつつ、この曲に見られる知的な天真爛漫さ、崇高な単純さは、フォーレの作品4の歌曲「リディア」にすでに示されていると指摘している。
以上ウィキペディア
私は、フォーレの信奉者ではありませんが、かくも豊かで軽やかな、そしてしなやかな音楽を他に知りません。それが、晩年になってこのような音楽を書くとは思っても見ませんでした。老いとは、時にこのような結実を見せてくれるのだと知らされます。
<楽曲の構成>
第1楽章
アレグロ・モデラート、ホ短調、2/2拍子。自由なソナタ形式。
ヴィオラによる切実な問いかけに、第1ヴァイオリンがなだらかな曲線で応えるという対話形式の第1主題が示される。
第1主題A
第1主題B
第2ヴァイオリンから始まる経過句を経てト長調となり、第1ヴァイオリンが豊かな旋律性を備えた第2主題を歌う。第1主題後半の断片に基づいて提示部は締めくくられる[1]。
第2主題
展開部は短く、第1主題がフガートや反行形などを取って対位法的に展開される。第2主題の要素も加わって高揚し、第1主題前半の「問いかけ」の動機が第1ヴァイオリンを除く下3声で強調され、これに第1ヴァイオリンが応えるところから再現部となる。第2主題はホ長調となり、コーダでもこの調が維持される。主として第1主題の動機に基づき、穏やかにこの楽章は閉じられる。
第2楽章
アンダンテ、イ短調、4/4拍子。
この楽章の構造については、ソナタ形式にしたがった解釈(ネクトゥー、平島)と三部形式にしたがった解釈(大宮)に分かれているが、ここでは前者のネクトゥーに基づいて述べる。おおむね3つの主題によって構成されている。第1ヴァイオリンによるゆったりとした第1主題で始まり、他の楽器が対位法的に加わって発展する。
第1主題
第2主題はヴィオラの抒情的な旋律(第2主題A)で、伴奏部で連打される和音とのずれから表現力に富んだ響きを生み出す[3]。これを第1ヴァイオリンが繰り返し、第1主題を思わせる副次旋律(第2主題B)を奏してチェロと絡み合う。
第2主題A
第2主題B
第3主題は、ヴィオラの8分音符のシンコペーションでたゆたい動くような音型である。
第3主題
第1主題が戻ると楽章の後半となり、第1主題、第3主題、第2主題の順で再現しつつ展開される。第2主題の再現はヘ短調を取り、ここから曲の冒頭部分が低音部から高音部へと受け継がれてゆく。第1主題がもう一度戻ってくるとコーダとなり、第2主題Bとの対話から余韻を残して消えていく。
第3楽章
アレグロ、ホ短調、4/4拍子。ロンドソナタ形式。
チェロによる優美な第1主題(ロンド主題)で始まり、ヴィオラ、第1ヴァイオリンに受け継がれる。ロンド主題はピッチカートによる律動的な伴奏音型を伴っており、この音型は楽章を通じて特徴あるリズムを響かせる。
第1主題
第1主題が拡大形に変容された経過句を経て、ヴィオラが8分音符で細かく刻む対声部の上に、第2主題がチェロの高音域で示される。
経過句
第2主題
再びチェロに第1主題が出ると展開部となる。二つの主題が数度にわたって繰り返され、その都度展開されてゆく。ヴィオラに第1主題が戻るところから再現部となり、途中からホ長調に転じる[1]。第2主題の再現は4小節に短縮されている。コーダでは、ヴィオラの第1主題からこの楽章の各要素がストレッタ風にたたみかけられる。第1主題に含まれている3連符のリズムに基づいて急速にフォルティッシモにまで高まり、力強く曲を閉じる。 ウイキペディア
さて、今日は孫の七五三で川越氷川神社に参ります。本当は、昼ご飯を教え子の蕎麦屋「十限無」で食べたかったのですが定休日。早めに言っておけばよかった。
※ 過去の記事
カプソン(ルノー) (アーティスト, 演奏), フォーレ (作曲), & 3 more Format: Audio CD