Jean-Baptiste Krumpholz - Harp Concerto in F major, Op. 9
The score / sheet music to Jean-Baptiste Krumpholz's Harp Concerto in F major, Op. 9 - as melodious as anything Mozart ever wrote - maybe even more so.
I: Allegro moderato - 00:00
II: Romanza - 11:05
III: Vivace - 17:01
人の運命は判りません。しかし、一旦その人の歴史を知ってしまうと作品を聞いた時にはその時に湧いた感情にとらわれ、その作品を要らぬ思いを持って聴いてしまうのです。あなたに同じ思いをさせたくないのでその話は一番最後に致しましょう。
さて、昨日は2023年都民芸術フェスティバル参加公演のダイレクトメールが届いて、中を見ると1/27は読売日本交響楽団でラフマニノフの3番を若林顕さんが弾くのでちょっと気を引かれましたが、N響を振る梅田俊明以外は何と指揮者が皆若い。若林さんは前に近所に住んでおられたことはどこかに書きましたのでずっと気になっている人の一人です。
ただ、都民へのサービスというような側面もあって、プロゴラムにあまり変化が見られずやや残念な感じがします。室内楽は、その点レーガー生誕150年と言うこともあり、レーガー、コダーイ、シンディングなどの名前が見えてそれなりの工夫が見えます。
さて今日聴くのは、クルンプホルツのハープ協奏曲です。ヤン・クシチテル・クルンプホルツ(Jan Křtitel Krumpholz, 1742年5月8日 - 1790年2月19日)はボヘミア出身のフランスの作曲家でハープ奏者でした。少年時代をパリに過ごし、ジャン=バティスト・クルムフォルツ(Jean-Baptiste Krumpholz)のフランス語名で知られています。
父親からハープを学び、1773年にウィーンのブルク劇場で自作の協奏曲を演奏して成功を収めます。1773年から1776年までエステルハージ伯爵の宮廷楽団に勤めました。この間にフランツ・ヨーゼフ・ハイドンに対位法を師事したと言われています。その後にヨーロッパ各地で演奏旅行を敢行。パリとメスにおいて楽器職人とともにハープの改造にとりくみます。ハープのためのソナタや協奏曲のほか、ハープを含むアンサンブルのための室内楽曲を遺しています。
この協奏曲はシンプルながら形式的にもわりときっちり作られていて、メロディラインも美しい作品になっています。私は、ハープは少しいじっただけですが、指のタッチの微妙な加減で音が変化するのがよく分かります。そういう意味では、本領を発揮するのは室内楽かも知れません。本気でやると指紋が無くなると言う話を聞いたことがありますが、どの程度の信ぴょう性があるのかは判りません。指紋認証はどうするんだろうなどといらぬ心配をしたりしてアホみたい。
クルンプホルツは、同じくヴィルトゥオーソのハーピストであった妻アンヌ=マリー(1755年 - 1824年)と結婚していましたが、ある日ピアニストのヤン・ラディスラフ・ドゥセックとロンドンに駆け落ちしてしまいます。
ヤン・ラディスラフ・ドゥセックと言えば、ソナチネアルバムにその名を見つけることができますが、まれに見る美男子だったようで始終浮名を流していたようです。まあ、そんな人物だから、今日の主人公の妻アンヌ=マリーとは長くは続かず、互いに他の相手と密会を繰り返していたといいます。やれやれ何ともはや。
こういうのを「墓荒らし」と言うのですが、やはり現世であまり極端なことをすると、死んでまでこんなことを白昼にさらされるのです。推して知るべし。一方、クルンプホルツは、ある日セーヌ川で溺死体となって発見されました。失意のままの入水自殺であったと見られています。
その程度の女のことで命を絶つなんて、クルンプホルツ君、君は誇りを持って生きるべきだった。そうすれば、多くの人々があなたの作品の多くを享受することができたかもしれないのです。生きることは、誰かの幸せにつながるのです。
追伸:今日は午後に演奏会が入っているので、早めに記事を揚げます。乱筆ご容赦!
※ 一年前の記事 フルートの出番です81 福島和夫「冥」
リリー・ラスキーヌ
『ハープの魔法』
【曲目】
(1)クルンプホルツ:ハープ協奏曲ヘ長調Op.9-6
(2)ボイエルデュー:ハープ協奏曲ハ長調
(3)ボクサ:ハープ協奏曲ニ短調Op.15-1
【演奏】
リリー・ラスキーヌ(Hp)
ジャン=フランソワ・パイヤール(指揮) パイヤール室内管弦楽団[(1)]
ジャン=バティスト・マリ(指揮) コンセール・ラムルー管弦楽団[(2)]