靴 | 法橋太郎のブログ

法橋太郎のブログ

ポエム 第九回歴程新鋭賞受賞

2021年アラブ語圏にてゴールデンプラネット賞受賞

                N・Hに

 

霧が発生したときは動かないでという訓えに

したがって長い年月が経った。ただ福原跡の

この街はよく見慣れた見えないところが多く、

その変わり方は八百屋の店先の野菜の種類や、

まだ買ったことのない花屋の花に顕著に表れ

る。

 

季節の変化に最も敏感なものが植物であると

改めて感じさせられる。桜が咲くまでもたな

いというおまえのいのち。おれにはそれが、

おまえが履くのに苦労した悲しい靴の並べ方

のように見えるのだ。玄関に並べられたこの

前の再会の時の靴。おまえの前に呆然として

立っているらしいおれの姿は何だったのか。

 

最後になるおまえとの別れにどんな贈物が好

いだろうかと思いながら、この稿を打ってい

る。おまえはおまえが生きた歳月のすべてを

持ってゆくのだろう。おまえにとっての世界

はおまえの死によってすべて奪われた。残さ

れるものは何もない。

 

ただおまえに別れを告げるおれたちだけがお

まえの悲しい靴を凝視みつめなければならないの

だ。ジョイスの靴。ベケットの靴。パウンド

の靴。それは玄関に並べられるおれたちそれ

ぞれの悲しい靴でもあるだろう。おれたちが

歩き、走り、躓く靴は玄関に脱ぎ捨てられて、

やがては意識の霧のなかから消えてゆく命運さだめ

なのだ。

                    2017/03/05

                    2020/07/04