愚者の問われ方
生を離れ、死を離れて、生きているいのち。
おれたちは苔の生えている石でできた手洗
い場所で、手を洗い、その水を飲んだ。草
原に寝そべって遊んだ。おれたちはそれぞ
れどんな未来が拓けているのか、話したは
ずだ。
それが今になって、いったい自分の人生で
何が起こったのか整理するのはすこぶる難
しい。分からない暴力ばかりのこの世で、
われわれは夢を見つづけているようだ。
お金について語る人の多いなか、おれは真
実を求めてさまよった。われわれはただ生
きて死ぬだけの存在なのだが、その生き方
が問われているのだ。
どのように生きるべきか、おれは興法寺に
行くまでの最後の石段を息せき切って登っ
たものだ。自分にされて嫌なことを他人に
しないことが法で決まっている。それは怒
りと貪りと愚かな行為だからだ。
行為がすべてを物語る。苦しみといっても、
楽しみといっても、結局のところ、生きて
いるあいだのことなのだ。死んだつもりで
考えてみろ。
苦楽をともに捨て、また善悪、生死をとも
に捨てて生きてゆくことが最上の生き方な
のだと知る。興法寺の水に到るまではほん
の少しだが苦しく厳しい坂道を、足もとに
気を付けて、また仰ぎ見て歩くのが楽しみ
だったのだ。