困難
──M・エックハルトに捧ぐ
おれはその山を一段一段登ってゆく。その谷
を一段一段降りてゆく。険しい山も谷も身心
みずからのものとするとき、身心の奥底。奥
底なき奥底。それがおれの身心の奥底になる。
神仏の奥底をわが奥底とするための身心の撥
無。
本来この身心もおれの所有ではない。みずか
らのものは何もない。神仏にことごとく見放
されたと思うとき、むしろその神仏の力を払
ったところ、空にこそ、神仏の力は満ち溢れ
るのだ。
困難のない人間はどこにもいない。山や谷は
何処にでもある。都市の真中にもある。どん
な時でも、われわれは思考の窮極、神仏の力
のなかにある。神仏の力は、どこにでもある。
神仏の力より逃れるのは不可能なのだ。
われわれは、困難を超えるごとにその力を増
してゆく。原石が磨かれて、真の宝石の光を
うるためには、何度となく困難に打ちひしが
れなければならない。
それまでは、実際、生きるということを知ら
ないのと同じことなのだ。無知な脳髄でこの
世が測れるだろうか。困難に輝いてはじめて
その人間の真価が明白となる。困難の底深く
生きるとき、われわれは神仏の空に内より満
たされているのだ。