今日は日曜日で、夕食は午後7時目安なので、
目覚ましもかけずに、ぴょんばぁは爆睡。
起きたら12時過ぎてました。
亭主はすでにお出かけ済み。
しかし、毎日毎日、どこで遊んでるんだろうなぁ。
昨夜の残りは亭主が完食していたので、
トースト食べて、しばしゴロゴロ。
午後3時頃になってから身支度してお出かけしました。
久々に海でまったりをしたい。
その前に、玄関前の散り椿を片付けて
庭の雑草をちょっとやっつける。
いや、庭には防草シートを敷いて、
その上に砂利が撒いてあるんですが、
防草シートに雑草が生えるんですよ。
そんなにたくさんでも、大きくも無いんだけど
ひっぱると、防草シートからパリパリと剥がれる音がする。
でも根っこが抜けないという事が無いので
楽ちんではあります。
砂利の中のちっこい雑草の芽を取るの
ちょっと大変なのねんのねん。
少し成長してから抜く方が簡単かもしれません。
コンビニでカフェオレとおやつを買って
海沿いの道でまったり。
新聞読んで、日曜版についてるバズるを解いて
おやつ食べて、煙草ぷかーー。
でも今日の新聞には、ぴょんばぁ泣いちゃったよ。
ぴょんばぁは紙の新聞だけど、
産経新聞のサイトで無料で閲覧できる範囲なので、
転載しても大丈夫だと思う。
産経抄
時間は川の流れにたとえられる。
来し方行く末を思うとき、人は時間の岸に立つ。
誰かを待つときも。
<帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく/
岸といふ文字を歳時記に見ず>。
いまの上皇后さまが平成24年の歌会始で詠まれた一首である。
その前年の東日本大震災では、
多くの人が津波にさらわれ行方不明となった。
季語に「岸」という言葉がないように、
帰りを待つ思いに四季はない―。
残された人の心に寄り添い、
待つ身の切なさをこれほど優しく詠(うた)った一首を
他に知らない。
時間はそれでも流れている。
オピニオン
(天皇誕生日の一般参賀の模様を書いたもので、
ところどころを抜粋します。)
延々と続く傘の波を、誇らしく思う。
もっとも宮殿前に着くとその傘が邪魔になり、
後方からではお出ましになる場所が全く見えない。
ああ残念、と肩を落としていると、
お出ましの直前になって〝奇跡〟が起きた。
誰から指示されたわけでも、
合図があったわけでもないのに、
みんなが傘を閉じたのだ。
途端に視界が開け、テレビでおなじみの、
ガラス張りのベランダが見えた。
日本人ならではの皇室への敬意と、
周囲への気遣いが見せてくれた、お出ましの舞台である。
(その光景に、令和4年の沖縄訪問の際に、
沖縄勤務だった当時の思い出が浮かびます。)
当時那覇支局長だった筆者も同行取材した。
交通規制が敷かれた幹線道路を
黒塗りの長い車列が走行する。
それを最後尾のバスから眺めるのは、なかなか壮観だった。
と、その車列がふいに減速した。
沿道に大勢の県民が、
200~300メートルほどの間隔で数十人ずつ集まり、
御料車に向かって日の丸の小旗を振っていたからである。
両陛下が通られるだろうと、どこからか聞きつけ、
ひと目お姿をみようと朝から待っていたのだ。
両陛下は、減速した御料車から会釈をされたり、
手を振られたりした。
そのたびに沿道に、日の丸の花が咲いた。
父母に手を引かれた子供たちや、
車いすのおじい、おばあもいた。みんな笑顔だった。
君民の絆が生み出す圧巻の光景に、胸が熱くなった。
バスの中からでなく、沿道で、一緒に小旗を振りたかった。
(そして一般参賀の帰り道、後ろで誰かが言ったのです。)
「日本人で良かった」
泣いちゃったよ。
まさに「国体」だよね。。。。
ちなみに、「国体」をWikipediaで調べたら
研究論文ですか。。。っていうくらい
しっかりした長文の解説が載っていました。
本日の夕食
すき焼き
油揚げ入り大根おろし
大根おろしに、パリッと焼いた油揚げと、
生姜チューブと小ネギを乗せて出したら
亭主、いきなり、生姜の塊が乗ったところをパクっと食べた。
いきなり食べるな。
「お醤油かけて」と言ったら、
素直に醤油をかけておりました。
なんでしょう。これ。
大根おろしは認識していたと思うんですが、
油揚げが混ざってたことで誤解したのでしょうか?
ぴょんばぁの料理を信じてたんでしょうか?
ただ単にバカなだけでしょうか?
油揚げのサクサク感が美味しかったです。
本日のすき焼きはお肉300グラムちょっとで作ったんだけど
やっぱりちょっと足りなかったな。
すき焼きの時は、400グラムくらい買っても良いな。
うどんも買ってあるので、
明日の朝はうどんすきであります。
ちなみに、タベルナはギリシャのレストラン。
元はラテン語らしいです。
レストランに来て食べるなとは、これ如何に。