バーニング 劇場版
消えたあの子とパントマイムのコツ
上映時間: 148分
監督: イ・チャンドンさん
出演: ユ・アインさん、スティーブン・ユァンさん、チョン・ジョンソさん、他
イ・チャンドンの新作ということで超楽しみにしていた「バーニング」を観てきました。「オアシス」「シークレット・サンシャイン」「ポエトリー アグネスの詩」など毎回圧倒される作品ばかりのイ・チャンドン監督最新作ということですごくハードルを上げていきましたが、めちゃくちゃおもしろかったです( `ー´)ノ
この映画の序盤で、ヘミがジョンスにパントマイムのコツを話す場面がありますが、その言葉が映画全編にわたって貫かれていたなと思います。「パントマイムのコツはそこにミカンが『ある』ことを信じるんじゃなくて、そこにミカンが『ない』ことを忘れるってことが大事なの」と。この映画のなんか薄気味悪く、気持ちの悪い感覚ってそのほとんどが『ない』ということを忘れられないことからきてるものが多くて、ヘミの家にいるのであろうが姿を見せない猫や、家に何度もかかってくる無言電話や、ほんとにあったのかわからない井戸や、そしてなにより後半いなくなるヘミの存在など。あるはずなにのない、さっきまであったものがない、この虚無感というかポッカリと心になにか暗い穴が空いちゃう感覚、これが様々な細かい演出やセリフで描かれてほんとに怖いし居心地が悪いし、気味が悪い。そしてリアルですし、すごく普遍的な感覚だと思いました。それがすごくうまくいってるから、ほんとすごいですよね。
気味が悪い、ということでいうとベンがほんとに良かったですね。ウォーキング・デッドのあいつが演じてますがほんとに薄気味悪い!あの絶妙なうさんくささ、どうやって金稼いでんだ?みたいなポルシェ乗って綺麗な女を連れて日本でいう広尾みたいなところに住んでる感じ。すっごく村上春樹的キャラクターで、それを完璧に体現したウォーキング・デッドのあいつ含め素晴らしかったです。
このベンのうさんくささや、なんとなく点と点が線につながる感じから、ベンが何かしらの方法でヘミを消したんじゃないか…と主人公は思うようになるし、観客ですらそう思いますよね。「ビニールテントをよく焼いてるんですよ。そろそろ焼きたいと思ってるんですよ。」と言うベン、このビニールテントって要するに人殺してるってことなのでは??など、他にもとにかく決定的なことは言わないのだけど、言葉の意味や比喩を読み解くと、そしてなによりこのうさんくささ!このベンが人を殺してるに違いないし、ヘミを消したのは絶対こいつだ!と思っちゃうし、思わせちゃうというこの「そう観客に思わせる」ことがすごくうまくいってることがこの映画の素晴らしい点なのでは、と思いました。
というのも、ヘミをこの男が消したという、決定的な証拠は描かれないんですよ。主人公が確信に至ったであろうあのボイルという猫ちゃんにしても、あの猫がボイルである証拠ってなにもないですし、彼をストーキングしても証拠は出てこなかったですし。ベンがヘミを消したとも取れるし、ベンは無関係で主人公の誇大妄想とも取れる。ここが絶妙ですよね。
この映画、いろんな側面から解釈することができると思うけど、「俺の大好きなあの子」が、よくわかんねぇけど金持ちなうさんくさい男に持っていかれて、しまいには女を取っ替え引っ替え。彼女は消えちゃうしもう我慢ならん!とブチギレるが、うだつが上がらない俺は直接あいつを殺すなんてできない。だから、せめて小説というフィクションの中でなんか怪しいムカつくあいつをぶち殺す!という、フィクションという武器であいつをぶち殺す系映画としても見れるなぁなんて思いました。なんというかこっち側の人間のせめてもの抵抗…というかさ。この見方が個人的には好きで。
ヘミが消えてクライマックスの手前、主人公がヘミの部屋でパソコンの前に向かって何かを書いているというシーンがありますよね。つまり個人的にはヘミの部屋で小説を書いてるシーン以降は、主人公の小説の中のシーン、主人公の脳内なんじゃないかと解釈しました。まぁそんな単純な話じゃないし、もっと深い解釈はいくらでもできるけど。笑
どうにもならない現実やモヤモヤに対する抵抗をフィクションにすることで、彼はすこし心に決着がついたんじゃねぇかなぁ。同時に、こういう現実のモヤモヤこそ創作活動の原動力になるという、イ・チャンドン自身の話にも取れるなぁなんて。彼は大事なものを失い、心がどん底に落ちたところでやっと今まで書けなかった物語が書けた、というフィクションや創作物が産まれる瞬間の物語とも取れるなぁと思いました。そう思うと、序盤に示されたパントマイムのコツ、「『ある』ことを信じるのではなく、『ない』ことを忘れる」という言葉もなんだかスッと腑に落ちるなぁなんて思いました。
ただ、クライマックスはほんとに曖昧になってるし、監督のインタビューからも答えを明確に設定してないみたいです。つまり、ほんとにベンがヘミを殺した、とも取れるんですよね。もしこのクライマックスが現実の出来事だとしたら、明確な証拠はないけど犯人らしき男を殺した、というビジランテの暴走というか、ほんとに救いようのない悲劇にも見えるんですよね。なんかよくわかんないけどめっちゃ金持のイケてるやつに対する貧困層の劣等感や不信感が、ドロっと暴走し爆発してしまう。この解釈はこの解釈で、ものすごく普遍的でリアルな結末だなぁとも思います。
見た人それぞれでいろんな解釈がありそうな一本ですね。それにしてもほんとに薄気味悪く、スリリングで、どしんとくる一本でした。
でも僕は、全てを失った男からやっと創作物が誕生した…というフィクション誕生譚だったんじゃないかと。ほんとに薄気味悪いですが、でもその中に言葉にできないなにかポジティブなものを受け取ったような気がします。
最高でした!