大学病院で貧血の治療を受けて
少しずつ改善したが
抗がん剤を投与できるまでには至らなかった
「この痛み止めは2時間しかもたないんだよね…」
などと言いながらも抗がん剤を始めてからずっと毎回几帳面に手帳に記録していた
これからは通院で
と
退院することになったのに
私がコロナ陽性になってしまい
迎えに行けなくなり
娘は千駄ヶ谷に帰った
こんな時にと
情けなさで泣けた
「介護」という言葉を聞いたあとに
少しでも家で快適に過ごせるようにと
電動介護ベッドを購入し
迎える準備をしていたのに…
私の自宅待機期間が終わり
迎えに行けたのは
退院してから3週間後
その間ひとりで
何を思って
暮らしてたんだろう…
ラインのやり取りでは
いつも明るかった…
娘の本当の気持ちを考えると
頭がおかしくなりそうだった
私の前では
いつも笑っている娘
愛しくてたまらない
8月終わりの頃の通院後
娘はいきなり
「味の民芸うどんを食べに行こう!」
と言った
以前よく行ったよね
私も娘もうどんが大好きで
夫がよく連れて行ってくれた
大学病院から
車で30分ほどの場所にあることを
調べていた
久しぶりに2人で外食
嬉しかった
1人前をぺろりと食べ
食の細い私に
「ママ、食べ切れる?」なんて聞いてきて
私の分まで食べていた
これも嬉しかった
以前と変わらない
楽しい時間
そして
洋服を取りに帰りたいと言い
娘の部屋へ
それも
私にとっては娘との楽しいドライブだった
痛みとの戦いは続きしんどそうにしていたが…
気を紛らために
仕事をしたり
猫たちと遊んだり
会議があると言っては数時間だが出社したりもしていた
ある時駅に迎えに行くと
辛そうに歩いてるので
出社はしばらくやめたら?
と言うと
珍しく素直に「うん…」と言った
9月に入って
娘が大好きなマクドナルドの月見バーガーの季節になった
今まで動物性の食品は避けていたが
娘が「食べたい!」
と
月見バーガーセットとマックフルーリーモンブランを
テイクアウトして2人で食べた
それが
私が娘と一緒に食べた最後の食事となった