なつやすみ@宮古島
どうも、みなさん、たれさまです。
久しぶりに介護でも仕事でもないネタです。
今年は、夏休みらしい夏休みを取得し、宮古島へ行ってきました。
ここ数年は、家族が病気で死んで、別の家族が病気で入院して、そんでまた別の家族が病気で死んで、の繰り返しで、パーっと遊ぶのもねぇ、、、。という感じでしたが、色々落ち着き、キレイな海へ行ってきました。いぇーい。(^^)
ただひたすら、海でだら~んとしたい一心で、なんとなく宮古島に行き先決めたんですけど、島内もこじんまりしてて、とっても良かったです。
調べていくうちに、マンゴーも有名らしく、俄然やる気が出て、ひたすら
海(熱帯魚)→マンゴー→海(熱帯魚)→マンゴー
(繰り返し)
な旅でした。いやー、良かったなー。
行く前から帰りたくなくなると思う、と言っていたけど、まだまだのんびりしたかったです。
今回いいなぁと思ったことは、湘南と呼ばれる土地で育っているワタシとしては、海へ行くと、
まず車の渋滞。高い駐車料金。高い海の家料金。そして海も浜も混雑。
というイメージなんですが、海が空いているんです。(゜o゜)
カレンダーになるくらいキレイなのに、空いているんです。
で、駐車場が無料だし、その辺に荷物おいて、ゆる~っと出来る。
温水ではないけど、水シャワーも無料で使える。
ラク。
ラクチンだよ!!
こんなに気楽に行けて、キレイなら、飛行機のって、来るよ!
というところに、いたく感動しました。
いいなぁ。宮古島。
八重干瀬というスポットにて。 潜れないのでシュノーケル。
マンゴーパフェ。ぱんだもご満悦。
ウミガメにも遭遇。でも、随分浅瀬で見れたし、人慣れしてたような。。。。。。
ちなみに左のヒトはワタクシです。
マンゴーは昨日食べたから、パパイヤパフェ。
昨日のも今日のも、下のほうに甘くないヨーグルトが入っていて、さっぱりします。
吉野海岸にて。ニモだよ。
そして、またホテルの部屋でもカットマンゴー。ウシシ。
同じく吉野海岸。チョウチョウウオとスズメダイ。
マンゴージュースとマンゴープリン。最初の日に来てたら、ココ毎日通いたかった。。。
来間島から。海の碧さがカレンダー級。。。
今回Rentioというところで、水中デジカメを借りましたが、これはいいですねー。
自分のデジカメを防水ビニールに入れて、と思っていたのですが、借りてよかった。直に触れるし、水中に入れても砂浜に落としても、正直レンタルだから、気兼ねなく使えストレスフリーでした。
また行きたいです。宮古島。何回でも行きたい~。
こんなに毎日、真剣に遊ぶ事”だけ”考えたの、小学校以来か?!って位、満喫しました。
おかげで、つむじまで真っ黒さ~。。。(苦笑)
父のおもひで
どうも、みなさん、たれまさです。
先日、無事に父の四十九日を終えました。
あれから、ずいぶんと、気がそぞろな毎日でしたが、なんとなく日常生活に戻ってきた感じがしてきました。
この前、とある出来事で、改めて父のケチ、もとい倹約家だった事が思い出される事がありました。
ある日、車のワイパーのゴムが無くなって(取られたのか??)いました。
ホームセンターに新しい替えゴムを買いに行ったけど、H22年以降と以前で、ワイパーの型が変わったようで、5mm違ってました。
うむ、うちのはどっちだ?
そもそも、ウチの車の年式って?
車検証にH22年2月購入って書いている。
なら、H22年以降のを買うのか?
いや、待てよ。
念のため、ディーラーに聞くか?
いやいや、ディーラーに聞いたら「持ってきてくれればやりますよ!」とか調子のいい事をいって、頼んでないメンテナンスとかやってくれて、余計なサービスにお金を払うことになるから止めよう。
(↑カヱルの子はカヱル。。。やっぱケ、、、以下略)
そうだ。ネットでちゃんと調べよう。(ホームセンター内だけど。)
「H22年に新車で買ったって事は、うちの車はH22年式だよねぇ?」
でも、なんか、写真が出てきたけど、まるっこい。違うような気がする。
そうだ。
そうだった!!
父の性格を忘れていたよ。
モデルチェンジした、ニューモデルの新車、買うわけないよ。
型落ちだよ。絶対!!
「やっぱり。。。(-_-;)」(←ネットで前の年式の写真を発見)
そう、たれまさ家で車を買うときは、いつも型落ち。
安くなるから、とディーラーに言い負かされて買い換えていたよ。
そうだった、そうだった。
父よ。。。。
もう居ないのに、存在感あるね。(゜m゜*)プッ
父を見送りました。
どうも、みなさん、たれまさです。
先日、父が亡くなりました。
奇しくも、ワタクシの誕生日の朝でした。
亡くなる3日前くらいは、かろうじて反応があり、
「あと数日で、娘の誕生日だから、頑張って。」と言ったからなのか、父は私の誕生日まで頑張ってくれました。
もう、ずううっと覚悟してきたけど、
最後の数年は、施設や病院にいて、毎日会っていた訳でもないけど、
点滴だけの寝たきりの生活から、早く開放してあげたかったけど、
でも、やっぱり、その瞬間は、せつないものでした。
思い返すと、わたし、人が亡くなる瞬間に立ち会ったのは初めてでした。
病院のモニターの、血圧や血中酸素値が、徐々に低くなって、テレビで良く見るシーンと同じで、心電図の波形がプーーーっと、直線になっていきました。
本当に居なくなっちゃうのと、自宅に居ないのとは、違うんだなと、日を追うごとに、じみじみ感じます。
最期の2日くらいは、意識は混濁していて、反応はほとんど無かったのですが、聴覚は最後まで残ると言われていると、父が良く言っていたので、ちょびちょび話し掛けてました。
人は、人生の最期には、どんな言葉を聞きたいと思うんでしょうか。
亡くなる一週間前の週末から酸素マスクをつけ始め、マズイ、そろそろだ。と思いました。
何日後に亡くなるか、解らなかったのですが、週明けからスッパリを休ませて頂きました。
絶対、仕事を休んで、最期に立ち会おうって決めていたんです。
そして、言おうと決めていた言葉を言う事が出来て、
臨終に立ち会う事も出来て、
よかった。
本当によかった。
後悔せずに済んだよ。
父も、私が子供の頃、病気になると仕事休んで(!!??)、病院に連れて行ってくれたタイプだったんですが、
カヱルの子はカヱルだな~と思いました。
家族>仕事
は、たれまさ家の家訓として、みゃくみゃくと伝承されているんですね。(笑)
何度も書いていますが、お父さんっ子なたれまさにとって、さすがに堪えています。干からびたスポンジのような気分。
亡くなって数週間経つけど、このブログを書くまでに、何度も挫折し。
部屋の隅で、ぽろぽろ泣いて。
「ああ、わたし、父の事が、本当に好きだったんだな。。。」と思います。
そして、ここ数年は、少し席を外して戻ればチェック、お風呂から上がればチェック、と携帯を度々見るクセのついた日々でしたが、もう心配しなくていいんだという安堵と寂しさの交わる心境。。。。。
いままで、さんざん、生年月日の欄に書いてきた3月○○日は、父の命日になりました。これからは、生年月日書くと、思い出しちゃうんだろうなぁ。。。
写真は、父が見れなかったサクラ。
複雑な心境
どうも、みなさん、たれまさです。
父の余命があと二ヶ月と言われてから、更に2ヶ月更新中です。
本当なら少しでも長く、って思うのが、家族の心境ではあるけれど、
複雑な心境です。
弱っていく父を見るのは、本当につらいです。
せめて、会話が可能なら。
うなづくことは出来る為、一方的な問いかけで、どうにかコミュニケーションをとりますが
父の言い分は聞けない。。。
なんなんだ。この中途半端な自己満足感は。。。
うぅ。いっその事、もう植物状態なら。。。
進行性の難病なので、もう良くなる事はないのですが、
せめて、何か好きな物でも食べさせてあげられれば。(誤嚥するので点滴のみ)
とか
車椅子でもいいから、どこかに連れて行ってあげられれば。
とか、
ムダに自動思考がとめどなく溢れてきて、色々な感情に翻弄されます。
自分の心身の調子にもよりますが、見舞いに行く前は、いつも本当に気が進まない。
ホンネは行きたくないけど、行かないと父も寂しいだろうし。。
もうムリ、自分が壊れるから行かない、と決めると、やっぱり翌日行くし。。
そして、フト、出勤途中に色々思い出して、目がにじんだりする。
相反する気持ち。分裂していますね~。
兄も寝たきりの頃、まだ元気だった父や母と私で見舞いに行った時
寝たきりの兄を見て、父は
「自分もこうなるのか。。。。」と小さくつぶやいたのを聞いた事があります。
つらいよね。身体の真ん中辺りが、ぐぅ~っと縮こまる感じ。
遺伝性の難病なので、もしかしたら私も発症するのだろうか。。。
ふう。
父の病院へは、車で行くのですが、道すがら教会があり、今週の説法が看板に書かれています。この前は、
「終わりに向かって」でした。
ヒィーー。(-_-;)(-_-;)(-_-;)
車の中で、一人「な、なんで、今のウチの事知ってんの?」とか呟いてしまいます。
その教会を過ぎると、民家にやけにリッパな桜の木があります。
入院した初冬の当時、この桜を見る事はなかろう。。。と思っていましたが、もしや、見る事になるのかしら。
あとは、正直、医療費も重くのしかかる。。。
個室にした選択に迷いを持ったとき、人生の先輩が
「どうにかなるなら、後悔するから、踏ん張れ!」と助言してくださいました。
そう、そうだよね。
と、まあ、暗い話ばかりなんですが、父との掛け合いで、笑えるネタもあるんです。
それは、また次回に。。。
保険のおはなし
どうも、みなさん、たれまさです。
ちょこっとだけ、仕事のお話を先にします。
去年、仕事で支援してきた会社へ、定着状況をうかがったら「問題なしです!」と自信をもって言われました。
「ちょっと見に行ったりする必要ありそうですか?」と聞いたら、「大丈夫!何かあったら電話します。」と言われました。
うるる~と来ますねぇ。
最初、あんなに色々心配して、コマメに呼ばれていたのに、障がい者ご本人も、受け入れる事業主側も、大成長を遂げているのねぇ。
と、仕事の小話でした。
さて、本題。
生命保険の話。
保険って難しそうで、面倒くさそう、ではないですかね?
私は健康診断で、要精密検査といわれ、大慌てで20代後半に入りました。
(まあ、検査は何もなかったんですが。)
保険って、やっぱり、何かがないと、掛け捨てだから、ムダでは?とか思っていましたが、やっぱり入ってて良かったなーと思う事が、ここ数年で何回もありました。
高度障害と入院特約。
「生命保険って、死んだら(お金)出るんだよね。」位の、浅い知識で、いまいち仕組みやメリットを良く解ってないまま契約したワタクシ。
でも、死亡じゃなくて、高度の障害者になった時も、死亡と同じ金額が、死んでなくても貰えるんですよ。知ってました?私は知らなかったですねぇ。。。
まさか、身内が障害者になると思わなかったので、その仕組みはノーマークで、お金に困った時に、周りの人にその仕組みを教えてもらったんですよねー。
保険の外交員は、加入時は熱心ですけど、申請時は熱心じゃない。苦笑。
まあ、普通そうですよね。「保険入って貰いましたが、使う機会、今年はありませんでしたか?」とか、毎年聞かれたら嫌味だもんね。(笑)
だから、掛けた方が、保険料取り戻すことを気にしてないとなー、、、と思います。
うちは、兄が難病で高度障害になり、死亡する前に、生命保険金を払って頂きました。
ちなみに、高度障害で生命保険もらったら、死亡と同じだから、それ以降、入院特約とか(入っていたとしたら)使えないと思います。(契約によると思いますが。)
次は父。
老人ホーム代も高額なので、高度障害の申請しようか、一時悩みました。
今は老人ホーム(終身)だけど、進行性の難病だから、本当に最期は医療が充実している病院にいないと、ケアしきれないだろうなぁと思い、入院特約(最大120日)があるので、それを使い切ってから、高度障害の申請をするか。。。という事に決めました。
なんか、こういう話って、そうそうしないですよね。
身内がしょっちゅう、死亡したり、高度障害になったり、フツーはしないよなー。
でも、お金の話って、重要だと思う訳です。
イザって時って、ホントにあるんだね。(別に保険会社の回し者じゃないけど)
保険って、ある時期に見直しとかしますよね。
まあ、普通、自分が、すぐ死んじゃったり、障害者になると思わない(ですよね?)から、見直し時に、死亡保険金を下げたり、やめたりする事もあると思います。
でも、正直、「父よ、、、見直ししないで欲しかったよ。。。」とか、黒い気持ちもあります。
あと、申請書類の話ですが。高度障害の申請をする時、「もう、これ以上良くなる事はありません。死亡と同等です。」という主治医の意見書を書いてもらいます。
切ない。
なんて非情な家族なんだ。。。。と思われたらヤダなーとか、多少オモイマス。
でも、お金も大事。
保険金の申請はするのだ。
こういうのは、遭遇して、初めて、保険の仕組みが解るもんだな。。と思いました。
そうそう、あと、落とし穴があって、保険加入(払っている人)が父なんですけど、受取人の変更などの、契約内容の変更があると、本人の署名・捺印が必要だったりするんですけど、麻痺して署名出来なくって、面倒くさい事にもなりました。
保険を申請するときは、有事の時なので、面倒くさい作業が、本当にストレスでしたね。。。
署名・捺印が出来るうちに、終活しないといけませんね。。。
しかし、こういう決断をするのも、本当にストレスです。
私の場合は、母も心を病んで、全部一人で決めましたが、毎回げんなりします。
(身近な人に大変助けられましたが、決断するって体力使うと思う)
そして、今、父は、ターミナル時期なので、病院に入院しておりますが、入院特約を見込んで、贅沢に個室にしました。(私が勝手に決めた。)
ずっと、もくもくと働いてきて、老後楽しもうとしていたのに、息子は難病になり、自分も難病になった父へ最期の贅沢です。
本人が望んでいるか、意思疎通は難しいですが、残される方の自己満足かな?苦笑。
(やっぱ、似てる。。。。)














