父を見送りました。
どうも、みなさん、たれまさです。
先日、父が亡くなりました。
奇しくも、ワタクシの誕生日の朝でした。
亡くなる3日前くらいは、かろうじて反応があり、
「あと数日で、娘の誕生日だから、頑張って。」と言ったからなのか、父は私の誕生日まで頑張ってくれました。
もう、ずううっと覚悟してきたけど、
最後の数年は、施設や病院にいて、毎日会っていた訳でもないけど、
点滴だけの寝たきりの生活から、早く開放してあげたかったけど、
でも、やっぱり、その瞬間は、せつないものでした。
思い返すと、わたし、人が亡くなる瞬間に立ち会ったのは初めてでした。
病院のモニターの、血圧や血中酸素値が、徐々に低くなって、テレビで良く見るシーンと同じで、心電図の波形がプーーーっと、直線になっていきました。
本当に居なくなっちゃうのと、自宅に居ないのとは、違うんだなと、日を追うごとに、じみじみ感じます。
最期の2日くらいは、意識は混濁していて、反応はほとんど無かったのですが、聴覚は最後まで残ると言われていると、父が良く言っていたので、ちょびちょび話し掛けてました。
人は、人生の最期には、どんな言葉を聞きたいと思うんでしょうか。
亡くなる一週間前の週末から酸素マスクをつけ始め、マズイ、そろそろだ。と思いました。
何日後に亡くなるか、解らなかったのですが、週明けからスッパリを休ませて頂きました。
絶対、仕事を休んで、最期に立ち会おうって決めていたんです。
そして、言おうと決めていた言葉を言う事が出来て、
臨終に立ち会う事も出来て、
よかった。
本当によかった。
後悔せずに済んだよ。
父も、私が子供の頃、病気になると仕事休んで(!!??)、病院に連れて行ってくれたタイプだったんですが、
カヱルの子はカヱルだな~と思いました。
家族>仕事
は、たれまさ家の家訓として、みゃくみゃくと伝承されているんですね。(笑)
何度も書いていますが、お父さんっ子なたれまさにとって、さすがに堪えています。干からびたスポンジのような気分。
亡くなって数週間経つけど、このブログを書くまでに、何度も挫折し。
部屋の隅で、ぽろぽろ泣いて。
「ああ、わたし、父の事が、本当に好きだったんだな。。。」と思います。
そして、ここ数年は、少し席を外して戻ればチェック、お風呂から上がればチェック、と携帯を度々見るクセのついた日々でしたが、もう心配しなくていいんだという安堵と寂しさの交わる心境。。。。。
いままで、さんざん、生年月日の欄に書いてきた3月○○日は、父の命日になりました。これからは、生年月日書くと、思い出しちゃうんだろうなぁ。。。
写真は、父が見れなかったサクラ。