柳田邦男さんというノンフィクションライターがいる。
自分の父親が二十年前に、脳死した関係で、当時彼の書物をよく読んだ。
どちらかというと、「マッハの恐怖」「マリコ」の方が世間的には有名なのかな?
最近では、がんについての著書が多いイメージが。
たまたま、テレビを見ていたら、柳田邦男さんが東日本大震災の被災地を訪れ、
亘理町で在宅介護を支える医者と、あの日何があったか、
ということを語っているシーンに出くわした。
地震が起こった後、患者さんの元にかけつけた看護師さんが津波に巻き込まれて亡くなり、
その遺体を確認した、と言うくだりで、医者が涙目になっているのを見た。
また、患者さんの家族の中で、小学生一人だけ生き残った(学校にいて、
助かったらしい)ケースもある、と言っていた。
そのお医者さんが、
「その子がこれからどうなるのか・・・。周り(近所の人々)が心配しているが」
とつぶやかれていたのが印象に残った。
小学生が一人でこれから生きていかなければならないこの現実。
根こそぎ津波に持って行かれてしまい、更地のような被災地を見て、
その子は何を思うのか。
そんな思いを抱いて、番組を見続けると、医者がつぶやく。
「宗教者って・・・全部、神様に預けちゃうんですね。取次者っていうか。」
そのコメントに対し、柳田さんが語りだす。
「太古の頃から、人間って大きな災害とか直面したときに、
そうしないと生きていけなかったのかも。」
(あやふやですがこんなことを言ってたと思う)
日本で被災した少女が、ローマ法王に問いかけたニュースを思い出した。
「なぜ子どもたちはこんなに悲しまなければならないのですか」
「私も同じように『なぜ』と自問しています。いつの日かその理由が分かり、神があなたを愛し、そばにいることを知るでしょう」
とローマ法王は回答したという。
これだけの大災害、なぜ起きたのか。
なぜ、何の悪いこともしていない人たちが死ななければならなかったのか。
被災地と、そこで奮闘する医者と、取材を続けるノンフィクションライター。
聖書にある。
私は裸で母の胎から出てきた。また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。
(ヨブ記1:21)
自然の恐ろしさ。
でも、自然は生き物をはぐくむ。
割と聖書では普通に出てくる考え方なので、
クリスチャンの端くれとしては、普通に受け止めていた間隔だったが、
お医者さんの
「宗教者って預けちゃうんですね・・・」
と驚いたようなうつぶやきに、悲しみを人に預けるという感覚、
あまり馴染みはないんだなあ、と思い知る。
もともと神様からもらった命、帰るときも神が決める。
そう、思うしかない。
今しなければならないことは、途方にくれている人々のことを思い、
寄り添い、ささやかでも自分にできることを考える。
忘却が一番いけない。
柳田邦男さんの最新の著書、
福島原発に関するものだそうです。
読んでみようかと思います。